冬とは思えない暖かさと晴天に恵まれた12月4日の午前、喪服に身を包んだ数人が都内の寺院の境内に入っていった。寺院からは厳かな読経の声が聞こえ、その後、彼らは墓所の方へと歩を進めたという。
この日、10月17日に亡くなった俳優・西田敏行さん(享年76)の四十九日法要が執り行われたのだ。参列者は、喪主を務める妻の寿子さんと2人の娘、そして数名の親族だったという。芸能人の姿はなく、法要は親類だけでひっそりと行われたようだ。
国民的名優として惜しまれながらこの世を去った西田さんだが、いまも追悼の声は絶えない。
「12月6日には、西田さんの最後の出演作となった『劇場版 ドクターX FINAL』が公開され、名優の“最後の演技”に多くの感動の声が上がっています。
エンドロールでは“In Memory of Toshiyuki Nishida(西田敏行の思い出に)”という追悼の言葉が捧げられており、作品全体で西田さんに哀悼の意を捧げているのです」(芸能ライター)
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76年の生涯を役者として走り抜いた西田さん。そんな彼の安らぎの場所にも注目が集まっており、一部週刊誌は地元の福島に遺骨を埋葬するのではと報じていた。役者となるきっかけとなった幼少期を過ごした“最愛の故郷”だったからだ。
「西田さんは福島県郡山市の出身です。彼の母親は、戦争の疎開先としてやってきた郡山で貯金局に努めており、その局長に見初められて結婚。’47年に西田さんが生まれます。
西田さんの父親は若くして亡くなり、母親は彼を東京に連れて帰ったのですが、のちに別の男性と恋に落ちて再婚。幼い西田さんは福島にいる実母の姉夫婦へ養子に出され、再び郡山で幼少期を過ごすことになります。
姉夫婦がどちらも映画好きだったことで、自然と役者を目指すことになった西田さん。その意味で、多感な時期を姉夫婦と過ごした郡山は、西田さんにとって忘れがたい“役者としての出発点”なのです」(芸能関係者)
西田さんの知人が明かす。
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「西田さんは上京してからも郡山の友人たちと交流を重ね、長年地元の観光大使も務めてきました。
’11年に福島が東日本大震災に襲われた際には、被災の3週間後に被災地へと向かっています。その半年後には、音楽仲間と郡山で野外コンサートを開催するなど、地元の復興を人一倍願っていたのも西田さんでした。
晩年、自身の死後を考える中で“遺骨を地元の福島に埋葬したい”という思いも、西田さんの中には少なからずあったでしょう」
■家族全員で囲む食卓に憧れたマイホーム
しかし、同時に西田さんには、生涯にわたって苦楽を共にした愛妻への感謝の念もあった。
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「西田さんは、’73年に妻の寿子さんと出会います。自身が出演していた舞台『写楽考』を見に来た寿子さんに西田さんが一目ぼれ。猛アタックした末に、二人は同棲を始めました。
しかしまだ駆け出しの役者だった西田さんには収入はないも同然。寿子さんにも喫茶店のアルバイトをしてもらって生活費を賄っていたそうです。
’74年に二人は結婚。黄色のトパーズの結婚指輪を買ったそうですが、『パールは高すぎて買えない…』と悩んでいる西田さんに、寿子さんが『あなたの誕生石でいいわ』と助け舟を出してくれたのです」(前出・芸能関係者)
前出の西田さんの知人が明かす。
「西田さんは、入籍して二人の娘さんが生まれた後、養父母の老後や娘さんたちの教育を見据えて、思い切って都内に5LDKのマイホームを買ったそうなのです。
家族全員が食卓を囲むという生活に憧れていた西田さんですから、最終的に故郷ではなく、都内のお墓を選んだのには、“いつでも会いに来てほしい”という強い思いがあったのでしょう」
お墓について、本誌の取材に西田さんの所属事務所はこのように答えた。
「西田さんが埋葬された東京のお墓には、彼の養母や養父の遺骨も納められています。地元への思いは強かったものの、西田さんは、奥さんと出会い、ご家族と長年過ごされた東京を自らの眠る場所として選ばれたようです」
お墓がある寺院は、西田さんの自宅から車で15分ほどの距離にある。天国の西田さんはこれからも愛妻を優しく見守り続けてゆくに違いない――。
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