東京藝大・箭内道彦教授に聞く 生成AI時代、広告クリエーターはどう受け止める?

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2024年12月14日 11:01  ITmedia ビジネスオンライン

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「コピックアワード」で審査する箭内道彦教授

 漫画家やイラストレーターに長年にわたって愛用されている画材・コピック。このコピックを製造するトゥーマーカープロダクツが、「コピックアワード」という作品コンテストを2017年から開いている。毎年国内だけでなく、海外からも多数の応募がある。


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 主にアマチュアを対象にした賞で、デジタル作画や生成AIによる描画が進む時代に、コピックを用いた手描きイラストの魅力を発信する狙いだ。7回目となる今回は、世界各国から3600点以上の作品の応募を集めた。コピックは手描きイラストを象徴するツールとして、世界70カ国以上で販売し続けている 。


 審査委員は漫画家やイラストレーター、デザイナーや東京藝術大学の教授など、イラスト界のさまざまな人材が毎年入れ替わりで担当する。2024年のコピックアワードの審査委員の一人が、クリエイティブディレクターで東京藝術大学教授の箭内(やない)道彦さんだ。


 箭内教授は1990年に東京藝大を卒業後、博報堂に入社。2003年に独立し、タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」、資生堂「uno」、リクルート「ゼクシィ」、サントリー「ほろよい」などの広告キャンペーンを手掛けてきた広告クリエイターの第一人者だ。


 コピックの魅力とは何か。生成AI時代で、人が手で描くイラストはどのように変わっていくのか。箭内(やない)道彦・東京藝大教授に聞いた。


●生成AI時代、どう受け止める?


――箭内教授のコピックとの出会いはいつだったのでしょうか。


 コピックが登場したのは1987年。僕が三浪して東京藝大に入った後、2年生の頃です。当時「こういうのが出た」と早速購入した同級生がいたのを覚えています。僕はそれを横から見守っていた形でした。


 僕はデザイン科だったのですが、同じデザイン科でも、平面系と、立体系に大きく分かれていました。僕は平面系のグラフィックだったのですが、コピックをいち早く取り入れていた学生たちは、カーデザイナー志望や、家電メーカーに入りたいといった、いわば「プロダクト志望の理系的な学生」が多かったのが印象的でした。


 僕がコピックを仕事で使う機会は、その後もありませんでした。しかし、Tooの画材自体は前身の「いづみや」の時からずっと愛用し続けています。いづみやは大正時代から続く、伝統ある画材専門店なのですが、その老舗がコピックという新しい画材を生み出したことは衝撃的でしたね。


――コピックアワードの審査委員を引き受けた経緯は。


 昨年度のコピックアワード2022、2023の審査員を担当した同じ東京藝術大学の押元教授から「次は箭内先生お願いします」と内々に言われていました。つまり大学の業務の一環として引き受けたつもりだったのですが、いざ審査をしてみると、それを横に置いて、非常に面白い体験ができました。


 応募してきた絵を見ていると、どの絵も「好きで描いている」のだという作り手のパッションが伝わってきます。これは審査していて非常に楽しい経験でしたね。他の審査員の方々の視点もとても新鮮でした。


●本当はイラストレーターになりたかった


――箭内教授は藝大を卒業後、博報堂に入社しています。どんな経緯で広告代理店を選んだのでしょうか。


 今回のアワードの作品を見ていて、本当はイラストレーターになりたかった自分を思い出しました。僕は、イラストレーターになれなかった人生だったんです。僕が大学にいた1980年代は、グラフィック系のデザインの学生の多くがイラストレーターになりたかった時代でした。


 しかし、商品としての強さをオリジナリティーとして持っている絵を描けないとイラストレーターにはなれません。「自分にしか描けない絵はどんな絵なんだろう?」と大学在学中ずっと考えていました。何かを描いても、どこかの誰かの絵に似てしまう自分に対し「ああでもないこうでもない」と?(もが)いていましたね。


 イラストレーターになることができないことを思い知って、広告代理店に志望先を切り替えた経緯があります。僕は大学の4年間を、個性を探すことの呪縛から逃れられないまま終えました。自分の個性を見つけた周りの同級生たちがうらやましくて仕方がありませんでした。


 ただ今になってみると、自分の絵が結果として誰かの二番せんじになってしまうことにむしろ面白さを見いだしています。個性を無理やり見つけてきたものではない絵に、僕はとても魅力を感じるようになりました。コピックアワードへの応募作の中にも、そういう魅力のある作品が多かった印象です。


 コピックアワードの審査に携わって良かったと思うのは、この賞がプロのイラストレーターへの登竜門ではなく、今自分が好きだと思う絵を描いている人たちが胸を張り合う場所に立ち会えたことです。まさに初心に帰ることができる機会でした。


●絵を描く過程にこそ価値がある


――近年ではPCやタブレットによる作画が当たり前になり、手書きによるイラストが少なくなる一方です。さらに近年では生成AIによる描画も台頭してきています。箭内教授は生成AIの動きについてどのように見ていますか。


 便利なツールであることは間違いないと思います。よく、そのような質問をされると、「AIにできないことを見つけるのが俺たち人間の仕事だ」という風なことを言う人がいます。それは外れてはいないと思うのですが、僕はAIによって節約して得られる時間にこそ差異があると考えています。


 僕は、表現物というのは、見る人のためだけのものではなく、まずは作者のものだと考えています。作者にどんな失敗や葛藤があり、その作品のゴールにたどり着いているのか。その過程を味わうことこそが、僕はアートだと考えています。AIには全くそれがありません。もちろん、AIをディレクションする人の違いはありますが。


 絵から作り手の試行錯誤や葛藤が感じられる部分に、非AIの意味があると思います。今日のイラストを審査していても、審査員によって全然違う解釈をしているのも印象的でした。AIの絵だとそうはならないでしょう。正解もなくて、逆にいろいろな解釈ができることが、人が描く絵の豊かさや素晴らしさなのだと思います。


 ですから、AIによって仕事が奪われるという考え方もありますが、AIが生み出したものと人が生み出したもので、どっちが優れているとは一概に比べられないと僕は思います。絵を描く時間を体験することが、「絵を描く者の自由」の最たるものです。絵を描くことをアウトプットだと思っている人も少なくありませんが、そこに至るプロセスにこそ素晴らしさがあります。


●技術による“脱職人化”の流れ


――一方で、箭内教授がいる広告業界をはじめ、クリエイティブの仕事面でも生成AIを活用する動きも進んでいます。生成AIによる業務効率化についてどう思いますか。


 AIに限らず、仕事は30年前と比べたら相当楽になりました。例えばCMの編集にしても、合成技術が進んでいなかった時代には、素材の切り抜きの作業や、合成をなじませる作業に何時間もかかっていました。今ではPCですぐにできてしまいますから、技術の進歩には感謝しています。


 職人気質じゃないクリエイターが登場し、活躍できるようになったのもそのテクノロジーのおかげです。例えば50年前は、映画監督は誰にでもできる職業じゃありませんでした。自分の映画を撮りたいと思ったら、先輩のもとで長く学び、何年もの修業を重ねて得るさまざまな技術も磨かなければなりませんでした。


 しかし今では、スマートフォン一つでも映画を撮れます。プロフェッショナルとしての修業をせずとも、その人のアイデアや物事の動かし方さえあれば、映画を作ることができるようになった。それは、AI以前の映像編集技術の進化のたまものなのです。映像に限って見ても、テクノロジーがチャンスを増やしてくれていると思います。


 生成AIも同様です。今ではAIがチャンスを奪っているという見方もあります。AIをうまく乗りこなすことで、作業の時間が短く済み、身体を休めることができたり、家族と過ごす時間が増えたりすることは素晴らしいことだと思います。


――生成AIをクリエイティブ業務で使うことによって、クリエイターとしての尊厳に関わってくるような部分はないのでしょうか。


 広告代理店のコピーライティングにしても、もともと人間が生成AI的にやっていた部分はあるんですよ。昔のコピー年鑑を見て、商品名だけ入れ替えてコピーを書くことは当たり前でした。CMも同様で、商品だけ変えて多少のアレンジとともに成立させるようなCMは、自覚的にも無自覚的にも多くのプランナーがやってきたことなのだと思います。


 どこかで見たことがあるものと、どこかで見たことがあるものをミックスして、新しい企画を作りましたみたいな作業は、生成AI以前からずっと人間がやってきました。それがこれからは、そういう罪な部分をAIに担わせるようになるのではないかと思います。そう考えると、生成AIの出力物を見ていると、AIのように仕事をしてきた自分たちが反省すべきタイミングでもあると思いますね。


(河嶌太郎、アイティメディア今野大一)



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