2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』が12月15日の放送分「物語の先に」をもって、全48回に及ぶ放送に終止符が打たれた。
毎回丁寧に紡がれたお話だったが、文句なしに最終回は幼少期から続く主人公のまひろ(演:吉高由里子)と藤原道長(演:柄本祐)のこれまでの関係性をしっかりと締めくくるものとなっていた。
隠棲して久しい道長は衰弱。彼を支えてきた面々も天寿を全うする中で、自身も危篤状態に陥るが、振り返ってみれば本作の登場人物は、病死が多い。戦国モノの大河では、討ち死にや切腹などで退場することが多いが、この時代はまだ武士そのものが珍しいし、戦い方も弓主体だったりするので、考えてみれば死別の理由として病死って当たり前なんだよね。(文:松本ミゾレ)
物語の先に待つのは戦乱と暴力の時代
最終回の本編については、その他のサイトやSNSなんかでも散々出るんだろうから、僕はちょっと本作のその後に目を向けた話をちょっとやっておきたい。最終回のサブタイトルにもあるように、本作の物語の先には、やがて訪れる争乱の兆しがありありと感じられる。
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東国で戦が発生したと聞かされたまひろの「嵐が来るわ」という言葉は、平安時代の優雅で繊細で、美しい物語を描き切った大河ドラマ『光る君へ』の終わりを意味するセリフと感じられた。
事実、公卿たちが跋扈、暗闘する時代はこれ以降徐々に武士の台頭によって変わることとなる。まひろは聡明な女性なので、道長の死によって朝廷の変革にも気が付いたことだろうし。
以降、この国では道長が存命中には勃発しなかった争乱もしばしば発生するようになり、やがて時代が下れば本格的に武士たちの時代に移ってしまう。
すっかり忘れていたが、本作第1回で安倍晴明(演:ユースケ・サンタマリア)は大雨を予言していたのだそうだ。言われてみれば本作第1クールは結構陰謀、陰謀で人が殺される場面も多かったっけ。
そういった“穢れ”の跋扈を晴明は予知していたんだろうけど、その穢れを嫌ったのが道長で、大成することで政を支配し、そうすることで専横と揶揄されることがあっても、結果的に世の乱れ、嵐の到来を先延ばしにしたということになるのかな?
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『光る君へ』で描かれた素晴らしい、雅な世界観のその先には鎌倉時代、戦国時代など、血なまぐさい歴史が次々に待ち受けることとなる。
物語に感情移入してしまった、いち視聴者としてはそういった未来に暗澹たる思いも抱くが、このドラマの登場人物たちがそういった暗い未来を知らずに歴史から退場できたことは、なんか安堵する部分も。
2025年大河も期待!面白いといいけど……
さて、大河ドラマというものは1年おきに新作がスタートする。2025年の大河は『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』。主演は横浜流星。何度見ても凄い名前である。主人公の蔦屋重三郎は日本のメディア産業の始祖、いわゆる版元であるという。
江戸時代中期から活躍した人物で、時には徳川幕府の老中の改革をわが身を顧みずに批判するなど、肝が据わった人物だ……まあ、僕も今のところ、それぐらいしか知らないんだけど。
いわゆる武士ではないので、合戦云々とか、そういう舞台で活躍したタイプではない。
というか江戸時代の話なので、そもそも合戦なんか描写はないんだろう。
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そういう意味では残念な部分はありつつ、少しだけホッとしている。なにせ『光る君へ』の最終回では、これまで騒乱を抑えて治世に励んでいた道長が死に、まひろは世の乱れを予感していた。
その予感はちゃんと当たるだけに、世の中が血で血を洗う地獄みたいになっていた期間をすっきり飛び越えて、江戸に幕府を開いた家康もとっくに亡くなった江戸時代中期から物語が始まるというのは、なんというか安心だ。
キャストも素晴らしく、現在公開されている中でも特に里見浩太朗、石坂浩二、渡辺謙らの名前が目を引く。何にせよ、始まってみなければわからない。第1回は来年1月5日放送予定。期待して待ちたい。
ところで『光る君へ』最終回の放映がなされた12月15日は、今年最後とされる満月が見られる夜だった。コールドムーンというやつだ。この日、ドラマの中で死没した道長は、満月とはとにかく縁が深い。
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる ことも なしと思へば」
の歌は有名で、ドラマでも登場した。本作最終回を、この満月でもって締め括ったのも、なんとも詩的で美しい。『光る君へ』にぴったりの終わり方だ。