前回からの続き。夫はトウマの趣味を私の勝手な価値観で奪うなといいます。でも、試合にも出られず、試合にでる努力もしないトウマをみていると、意味がある時間だとは思えないのです。それに、トウマのせいでチームに迷惑をかけているのではと、肩身の狭い思いをしているのです。たとえばピアノを習っていたとします。自主練もしない、コンクールはいつも参加するだけ。それなら「やめたら?」といいますよね? お習字だって字がうまくならなければ意味がないと思ってしまいます。それと同じことだと思うのですが……。
夫の言葉について、自分なりに考えてみます。「自分が気まずい」という都合で、子どもの趣味を奪ってはダメ……理屈ではわかるけど……。「迷惑なんじゃないか」と感じる思いが消えません。練習終わりにコーチに相談してみることにしました。
コーチは真剣な表情で、私の相談に答えてくれました。
コーチが息子さんのために熱心に指導していたこと、しかしその指導が厳しすぎて息子さんが野球をやめてしまったこと……はじめて知りました。
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コーチからトウマの長所を褒めてもらい、わが子の意外な一面に驚きました。
私は自分のことしか考えていなかった。上手くなること、レギュラーになることだけがスポーツじゃない……。夫の言葉やコーチの言葉によって気づかされたのです。
たしかに、トウマはあんなに野球が好きだといっているのに、私の都合だけで取り上げてしまうところでした。下手でもベンチでもいいじゃないか。きっと夫とコーチはそう思っていたんですね。
もし私がムリにやめさせていたら、これから野球のほかに好きなものができても、また取り上げられると思って無気力になってしまうかもしれない。たいへんな間違いをしてしまうところでした。
それでも周囲の反応が気になってしまうことはあるので、試合の日の送り迎えや付き添いはできるだけ夫に任せることにしました。精神的に負担に思ってしまう時間が減ることで、少しラクになりました。私も、夫やコーチのようにあたたかくトウマを見守っていきたいと思います。
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