26日に公開された外交文書では、1993年7月に開かれた東京サミット(先進国首脳会議)に合わせた、インドネシアのスハルト大統領来日を巡る事前のやりとりも明らかになった。宮沢喜一首相がクリントン米大統領に、スハルト氏と会談するよう直談判。クリントン氏は快諾した。(肩書は当時)
インドネシアは途上国など100カ国以上に上る非同盟諸国の代表格だった。冷戦後の国際秩序の再構築には非同盟諸国との対話も重要だとする日本政府は、スハルト氏からの打診を受け入れてサミットに合わせた来日を計画した。一方、インドネシアの東ティモール侵攻を問題視する他のG7諸国は難色を示していた。
事態を打開したのは、93年4月のワシントンでの日米首脳会談だった。宮沢氏は「インドネシアは途上国だが、大変な可能性を秘めている。何らかの形でスハルトがメッセージをG7首脳に伝える機会を設けたい」と直訴。クリントン氏は「会ってもいい。本件は貴重な先例となるかもしれない」と応じた。
宮沢氏は「ワンダフル。友好親善を示す絶好の機会だ」と歓迎した。ただ、同席したクリストファー米国務長官は「(クリントン氏は)東ティモール問題を提起せざるを得ない。注意深く進めていくことが適当だ」とくぎを刺した。
クリントン氏とスハルト氏の首脳会談は93年7月7日に東京で行われた。