読みながら新しい世界が目の前に拓かれていくのを感じた。
ジャニス・ハレット『アルパートンの天使たち』(山田蘭訳。集英社文庫)は、カルト教団〈アルパートンの天使〉の複数信者が廃倉庫の中で死体として発見された事件を巡る長篇である。見つかった遺体の中には損壊がひどく、内臓が引きずり出されているものもあった。現場には他に十七歳の男女と生後まもない乳児がおり、警察に保護された。しかし、乳児の方は行方がわからなくなってしまう。信者たちは自分を地上に降臨した天使だと思い込み、世界を滅ぼす反キリストとして赤ん坊を殺そうとしていた形跡があった。彼らを煽動した自称・大天使ガブリエルは廃倉庫からは逃れたが逮捕され、終身刑の判決を受けた。
冒頭から少しずつわかってくる事件のあらましを書くと上のようになる。本書の主人公であるノンフィクション作家のアマンダ・ベイリーは、この事件に関心を持って取材を開始する。本の最初数十ページは、彼女が関係者に取材や協力の依頼メッセージを送り、承諾されたり励まされたり無視されたり関係のない返信をもらったりするさまが描かれ、いささか退屈である。だが、この時点でもう作者の企みは始まっている。
『アルパートンの天使たち』には、小説の基本的な部品である地の文が存在しない。ほとんどがベイリーの行った取材記録であり、会話の録音を起こしたものや、ワッツアップというアプリケーションでベイリーが交わしたメッセージのやりとりで大部分が構成されている。大部分と書いたのは、作中作に当たるものがいくつか挿入されているからだ。〈アルパートンの天使〉事件が起きたのは二〇〇三年で、約二〇年の歳月が過ぎている。その間に事件になんらかの着想を得たと思しき小説・戯曲が書かれているのである。それらが断章の形で随時挿入されていく。また、アマンダの草稿も部分的に入れられる。
事件関係者を除けば、主たる登場人物は三人である。一人はアマンダ、もう一人は彼女と同じ職場にいたことがあるオリヴァー・ミンジーズという男性だ。オリヴァーはアマンダと並行して同じ事件の取材を始めていることがわかる。いわばライバルなのだが、獄中にいるガブリエルの取材がなぜかアマンダには許可が出ないのにオリヴァーには許される。オリヴァーは独善的で、これは性格のなせる業というよりはアマンダを女性として見くびっているのだと思われる。このオリヴァーの独走にアマンダは何度か煮え湯を飲まされるのだが、ワッツアップでのやりとりは絶やさずに続けていく。もう一人の主要人物であるエリー・クーパーはアマンダの協力者だ。音声起こしは彼女が担当しており、関係者談話の途中にときどきエリーのコメントが挿入されるのが文章のリズムを作り出している。
アマンダの調査には最初から不穏な空気が漂っているのだが、読者はそれが何故かは明言できないはずだ。最初のうちアマンダの関心は、現場から消えた三人、当時十七歳だった男女と赤ん坊を追うことに向けられる。ホリーという名で呼ばれていた女性もまた消息不明になっているのである。消えた人物が事件の中でどういう役割を振られていたか、また彼らが今どこで何をしているのか、ということが小説を通しての関心事となる。
最初から漂っている不穏な空気が濃くなり始めるのは、アマンダが事件の背景に気づき始める「5 近づけば近づくほど、遠ざかっていくわたし」の章あたりからだ。物語の序盤から、名を明かさずに接近してくる謎の情報提供者など、前進するのに役立つのか、それともただのノイズなのかわからない要素が存在して、アマンダは翻弄される。それらが図のしかるべきところにぴたり、ぴたりと嵌まり始めるのである。事件の輪郭は急速に明瞭になり始める。その快感でページを繰る手の速度も一気に上がるはずだ。それまで雑然と示されてきた謎の砕片が組み合わされてアマンダによる解釈が行われる。この論理的な謎解きと並行して、事態の背後で蠢いていたものが正体を現すというスリラーとしての主部も展開されていく。
作者が巧みなのは、この段に至っても深刻な話に滑稽さの差し色を入れていくことで、突っ走って最後まで行ってもらいたいと願う読者の気分はそれで抑制されることになる。この溜めが大事で、最後の二章で爆発するのだ。それまでアマンダが交わしたやりとりや状況証拠、なぜか挿入されていた作中作も回収されることになる。無駄な部品は一つもなかったのだ。疾風怒濤の勢いで物語が流れるだけではなく、意外なものが実は重要な部品であったことが示され、事態のありようが完全に変化して見える。ええっ、それも使うんだったの、と読みながら私は呟いた。お見それしました。すごい作品でした。
ジャニス・ハレットは劇作家・脚本家として活躍してきた人で、二〇二一年に発表した小説家としてのデビュ--作『ポピーのためにできること』(集英社文庫)で英国推理作家協会賞ジョン・クリーシー・ダガー賞を獲得した。これも人々のメールのやりとりで構成された作品で、本書と同じように一般的な意味での地の文なしで話が進行していく。
翻訳されて世評の高かった作品だが、正直私は乗れなかった。ミステリーとしての趣向は買うものの、読ませるという意味では難があると思ったからだ。『ポピーのためにできること』はある事態がまず描かれ、その関係者たちの肖像がメールのやりとりを通じて浮かび上がってくるという小説だ。関係者たちの性格に事件を解く鍵が潜まされているという、アガサ・クリスティーが得意とした謎解き小説である。
ただしそれはクリスティーのような熟練の書き手がやれば楽しい読物になるのだが、『ポピーのためにできること』は顔の見えない人々のやり取りが延々と続くだけなので、そこから各人の性格を読み取るのは難しいだろうと私は感じた。どう考えても地の文での描写と会話で書いたほうが読者には親切なはずで、それをわざわざメールのやりとりでやるのは奇を衒っただけの趣向と言われても仕方ない。この作品を指してモキュメンタリー形式という言い方がされたし、私もしたかもしれないが、事実に近づけて見せようという意志は作者にそれほどなく、むしろデニス・ホイートリー『マイアミ沖殺人事件』(中公文庫)のような、事件調書を本文としてそのまま提示するタイプのミステリーではないか。
というような形式への不満が前作ではあったのだが、『アルパートンの天使たち』にはまったくない。何度も書くが、本書には無駄な部分が一切ないからだ。序盤のもたついているように見えるところだって、読み返してみるときちんと話の大事な部品になっている。この叙述形式で書かれることに意味のある小説なのだ。なるほど、これは新しい可能性を秘めた作品だと思う。前作を手に取らなかった人にもお薦めする。格段に読みやすく、おもしろくなっている。ディヴィッド・ゴードン『二流小説家』(ハヤカワ・ミステリ文庫)のような、小説の小説ミステリーが好きな人にもぜひ読んでもらいたい。
(杉江松恋)
『アルパートンの天使たち (集英社文庫)』
著者:ジャニス・ハレット,山田 蘭
出版社:集英社
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