12月25日、突如公開された、松本人志のインタビュー。会見をせず、芸能記者・中西正男氏の独占インタビューに答えてYahoo!ニュースで配信とは、異例の手法である。「2025年から独自プラットフォームで活動再開する」という宣言に歓喜したファンもいれば、「事件への反省もなく、言いたいことを垂れ流しただけ」と批判する声もあり、賛否が渦巻いている。
このインタビューが公開されたまさに当日、時事芸人・プチ鹿島氏による著書『半信半疑のリテラシー』が刊行された。新聞14紙を読み比べてニュースを読み解くプチ鹿島は、同書で松本人志の事件と報道についても取り上げている。そこで指摘されていることは、今回の松本人志インタビューの問題点を、予言的に提示しているようでもある。
◆1.悪いのは俺じゃない…「マスゴミ論」に全乗り
松本人志は今回のインタビューで、『週刊文春』版元の文藝春秋らを提訴した理由をこう語っている。
《そもそもなぜ裁判を起こしたか。自分の考えからすると「これはアカン」と感じる報道への憤りというか、正義感というか、そういうものが色濃く昔からあったんです。ほかの多くのタレントさんよりもそこの熱は高かったと思いますし「これはなんとかしないといけない」という思いも強かった。
そんな中での今回のことだったので、これは訴えるしかないとすぐに決めました。》(12月25日Yahoo!ニュースより)
要するに、週刊文春のような“マスゴミ”をやっつけるために、なんと「正義感」で訴えたというのだ。
もし記者会見なら、「では文春が詳細に取材した被害者の証言や、裁判所に提出した約20種類の証拠は捏造だと言うのですか? どの部分が捏造ですか?」と突っ込まれるところだが、この場に突っ込む記者はいない。
◆ウケがいい「マスゴミ批判」の危険
プチ鹿島氏は、『半信半疑のリテラシー』の中で松本人志の才能をリスペクトしつつも、松本が数年前から安易な「マスゴミ批判」に陥っていたと書いている。
「いわゆる『マスゴミ』批判はすごくウケがいい。
実は、松本人志さんのニュースに関するコメントを『ワイドナショー』で見ていたときに、かなり気になったのがマスコミへの批判でコメントを組み立てているのが目立ったことです。
その気分もそれなりに理解できるのです。
松本さんは若くしてスターだったから、プライベートでたくさんマスコミの突撃取材があったと思うし、その中には度を超えた取材や書かれ方もあったと思います。それは事実だろう。
だからこそ松本さんからすると、『最大の権力者』というのは政治家や官僚などではなく『マスコミ』だったと思うのです。(中略)
つまり自然に『マスゴミ論』的な、もっと言えばネット右派に歓迎されるような言説になっていったのではないか? こういう皮肉な、いや、かなり深刻な側面を数年前から私は感じていた」(『半信半疑のリテラシー』より)
◆「文春はデマ」と信じたいファン
そして文春報道以降、やり場のない悲しみにとらわれたファンも、「いつしか『文春はデマ、捏造』というムーブに全乗りすることで光明を見出した」と鹿島氏は指摘する。
「いや、私だってマスコミに対する不満はあります。他の人より多いくらいだと思います。
でもそれは、新聞をはじめとする既存メディアは利用する価値がまだあると考えているからこそであり、しっかりしてほしいという意味での批評や批判なのです。決して全否定ではない。
だからまとめて“マスゴミ”と呼んじゃうような『マスコミ批判』は危険だと思います。気分や感情に支配されてる部分が大きいように感じる。『私が大好きなあの人を追い込んでいるからマスゴミは潰れろ』となってしまったら、もうこの世には混乱しかない」(同書より)
◆2.「物的証拠がない」だけを強調するおかしさ
今回の松本人志インタビューでもう一つの問題は、裁判を取り下げた理由として、「物的証拠がない」を勝利宣言かのように挙げたことだ。
《もし落としどころを見出すならここじゃないか。そう思えたのがコメントにも出した「物的証拠」の部分だったんです。(中略)
僕からすると、今回の記事において物的証拠がないと文春サイドが認めた。》(12月25日Yahoo!ニュースより)
実際、裁判取り下げ時(11月8日)に松本側が「直接の物的証拠がない」というコメントを出した時、「物的証拠がない=証拠がない=デマ」と読み替えて、「松ちゃん勝利!」と誤解したファンが大量発生した。
だが多くの弁護士等が指摘しているように、証拠には種類があって、「物的証拠」だけでなく、証人の発言や文書記録もちゃんとした「証拠」である。特に、性加害事件では物的証拠(たとえば現場の録音や録画)は、ないことがほとんどだという。
文春側は東京地裁に約20点の証拠を提出しており、裁判取り下げ前は、誰でも閲覧することができた。
松本人志もそれを知っているはずなのに、あえて勝利に見えるような「物的証拠がない」だけを強調したのだろうか?
◆文春が提出した証拠約20点のショッキングな中身
裁判取り下げ時に、鹿島氏はスポーツ新聞各紙の「記者の目」を読み比べて、気になったポイントを『半信半疑のリテラシー』の未収録原稿に書いている。
日刊スポーツは、こう記していたという。
《文春側は第2回弁論準備へ向けて約20項目の証拠を提出していた。女性への取材内容や松本らとのやりとり、酒席にいた放送作家への取材データなど多様で、ここまでの報道にあまり出ていなかった同席タレントについてなども触れられていた。
裁判が進めば当時の出来事がさらにつまびらかになり、『FRIDAY』の関連記事で訴訟を起こした渡邊センスや松本と同じく活動休止したスピードワゴン小沢一敬ら以外にも影響が及ぶ可能性は高かった。》(日刊スポーツ、11月9日)
この証拠が明らかにされる前に、松本側が裁判を取り下げた、というニュアンスで同紙は報じていた。
◆「松ちゃん勝利」と誤解される報道も
また、スポーツ報知には疑問を感じたと、鹿島氏は指摘する。
「かなり疑問に思ったのがスポーツ報知の一面見出しだ。『文春と電撃終戦 松本人志』として、その横に『強制性の有無を直接に示す物的証拠はないこと等を含めて確認いたしました』という松本氏側のコメントを大きく載せていたのだ。
そして端っこのほうに、『心を痛められた方々がいらっしゃったのであれば、率直にお詫び申し上げます』という女性たちへのコメントを小さめに載せていた。
これ、順番と大きさが逆でしょう?
松本側が謝罪をしたという事実が大きいと思うのだが、『強制性の有無を直接に示す物的証拠はないこと等を含めて確認いたしました』をデカく載せると、まるで松本側の勝利宣言に見えてしまう人もいるのでは?」(『半信半疑のリテラシー』未収録原稿より)
松本人志の活動再開をファンが喜ぶ気持ちはわかる。ただ一方で、今回のインタビューを含めた報道を、冷静に読み解くことも必要ではないだろうか。
◆復帰に期待するのは時期尚早
また、松本人志が「独自プラットフォームで活動再開する」と宣言したことに注目が集まったが、これについても鹿島氏は2024年1月29日配信のメルマガ時点ですでに、疑惑の解明前に松本の「復帰」や「将来」について期待することへの危惧を表明していた。
「当初私はテレビからは撤退しても吉本の劇場に戻ればよいのでは?と考えていた。劇場から配信してチケットを売れば買いたい人だけが視聴できる。そのシステムが定着すればむしろテレビに引導を渡してしまうきっかけにもなるのでは?と。
でもすいません、そのあとちゃんと考えて『今は言うことではない』と考え直しました。
この手の『将来の話』は、現在問題となっている性加害疑惑の本質を置き去りにしていると思われても仕方ないからです。やはり問題がきちんと解決されない限り、エンタメの今後などを適当な気分で考えてはいけないと思うようになった。(中略)
そもそも、あれだけよく見ていた番組も、最近はVTRで出てくる松ちゃんを正視できなくなってしまった自分に気づいた。なら、女性はなおさらだと思う。もっともっと深く現状(ずさんに放たれる乱暴な擁護も含めて)を正視しなければならないと気づいたのです」(「プチ鹿島メルマガ」2024年1月29日号より)
◆本当に理不尽な目にあったのは誰なのか
鹿島氏は『半信半疑のリテラシー』の中で、こうも述べている。
「私は『なぜニュースを見るのか』という理由は、『理不尽な目にあっている人』『困っている人』を知ることだと思うようになりました」
今回の性加害報道で本当に理不尽な目にあったのは誰なのか。ニュースや報道の受け取り手である我々のリテラシーも問われているのではないだろうか。
<文/日刊SPA!取材班>