長野県上田市にある戦没画学生慰霊美術館「無言館」の共同館主に就任した内田也哉子さん(48)。「残りの人生、誰かの役に立つことを、見つけられるといいね」という母の言葉に背中を押されたという。
人生の“折り返し地点”を迎えた彼女に、母・樹木希林さん、父・内田裕也さん、そして夫の本木雅弘さんと子どもたちの関係を聞くと、そこには内田家に受け継がれる“偉大な背中”が見えてきた。
「いま緊張しています。あまりに大きな責任なので、半年間、悩みました。まだ、発芽しているのかわかりませんが、お手柔らかに、手厳しくお願いします」
ステージ中央にポツンと座った女性は、すこしはにかむように、胸に手を当てて絞り出した。
すると、傍らに並ぶ白髪の男性が軽妙にフォローを入れる。
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「われわれ2人に加えてもう1人、今日は都合が悪くお越しいただけませんでしたが、『樹木希林』という女優さん……彼女のお母さまも、ともに歩んでいる思いです」
11月3日、文化の日。長野県は上田市の複合型文化施設「サントミューゼ」小ホールには、320人と満員の観衆が詰めかけていた。
「無言館『海よ哭け』コンサート」と題したイベントの第1部として、初の公開対談を行ったのが、同館共同館主の2人だ。
戦没画学生慰霊美術館「無言館」を’97年、上田市に創設した作家の窪島誠一郎さん(83)と、今年6月1日に共同館主に就いた文章家の内田也哉子さんである。
也哉子さんは母・樹木希林さん(享年75)と、父でロック歌手、俳優の内田裕也さん(享年79)とのあいだに生まれた一人娘で、19歳のときに俳優・本木雅弘さん(59)と結婚した。
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2男1女の母となり、俳優の妻として、エッセイや翻訳も手掛ける文章家として活動してきた。
しかし「全身がん」であることを2013年に公表した母は、闘病の末2018年9月15日、75歳で他界。
およそ半年後の翌年3月17日には、父・裕也さんも旅立った。
それから3年を経た2022年4月、也哉子さんは無言館を訪れ、窪島館主にこう打ち明けていた。
「母が亡くなってから、彼女の遺した数々の言葉のインパクトがいまだにあって、そこに私はたたずんでいるという感じです。もちろん母とは関係ないところで生きてみたいという思いもあります。
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でも、一度どっぷり母や父との関係と向き合ってみる機会にするしかない、一度突き抜けてみようと思っています」(著書『BLANK PAGE 空っぽを満たす旅』文藝春秋より)
さらに2年ほどして今年6月、無言館の共同館主への就任会見で、次のように述べたのだ。
「気づけば、あっという間に人生の折り返し地点に立っていました。
母は最晩年になって『もうそろそろ、あなたも自分の家庭を耕すだけでなく、残りの人生、誰かの役に立つことを、見つけられるといいね』と言ってくれた。背中を押されたようでした」
“人生100年時代”にあって、今日の立ち位置を「折り返し地点」と認識する也哉子さん。
両親亡き後、いかに「どっぷり親との関係と向き合って」きたというのだろうか。
またこの年代は、親の看取りがあるかと思えば、子が成長して、手を離れていく時期でもあろう。
文字どおり“人生のターニングポイント”に立った也哉子さんの心情に、耳を傾けた……。
■「なぜ、ああいう父と夫婦関係を続けるのか? なぜ崇めるのか?」と問いただした
「家に帰ってこない父に、一筋に仕え、わき目も振らず仕事して、生計を立ててきた母でした。でも父の悪口を、母は一切口にしたことがありませんでした」
1976年2月11日、東京都生まれの也哉子さんは“ほぼ女手ひとつ”で母・樹木希林さんに育てられた。
希林さんが内田裕也さんと結婚したのは、1973年のこと。
だが希林さんが《(一緒に住んだ期間は正味)3カ月はなかったわねぇ》(著書『この世を生き切る醍醐味』朝日新書より)と振り返るとおり、也哉子さんを出産する1カ月前から別居が始まっていた。
物心つくころの也哉子さんには、家に父がいないのが日常だった。
「年に1〜2回会う程度」の父だったが、たまに、酔って明け方に押しかけてくることがあった。
怒鳴り散らし、家具を壊す父の姿は幼い娘のトラウマになったが、それでも希林さんは裕也さんを、「尊敬に値する人」だと娘に言い聞かせていたという。
「ところが、小学6年生のときに友達から、週刊誌を見せられて、『也哉子のお母さんって、別の人と結婚してたんだね』と言われた。
すごいショックでした。あんなに父に貞淑だった母が再婚だとは、夢にも思いませんでしたから」
帰宅した母に問うと、
「そうよ、言ってなかったっけ?」
希林さんは21歳のときに俳優・岸田森さん(故人)と結婚したが、4年足らずで破局し、その5年後に裕也さんと再婚していたのだ。
その事実を知ると、母への疑問は余計に膨らんでいった。
「なぜ、ああいう父と夫婦関係を続けるのか? なぜ崇めるのか?」
思春期になり、反発心も手伝って問いただすと、母は答えた。
「ごめんね、あなたには苦労をかけるけれど、私の人生には必要な存在なんだ……」
希林さんは、最初の結婚につまずいたとき、両親、特に父の悲しみようを見て「万が一、再婚するなら、どんな試練があろうと添い遂げよう」と覚悟したという。
一方で、地に足をつけた生活者としての母、他方では、180度違う男性との婚姻を続ける母。
一見、矛盾したような、対極的な両面を母に見ることで、也哉子さんは「ものの捉え方」を覚えて、成長していった。
■はじめての食事の席で「結婚という選択肢が現れたとき、私もそこに入れてください」と言われた
「このシューズ、本木さんと兼用なんですよ」
也哉子さんが足元に目をやって、つぶやいた。ユニークなラウンドトゥの革靴が、夫婦の空気感を醸している。
也哉子さんが夫・本木雅弘さんと出会ったのは中学3年生のとき。
父が企画・脚本・主演した映画『魚からダイオキシン!!』(1992年)の関係者の食事会に呼ばれ、共演の本木さんを紹介されたのだ。
当時の彼はアイドルから脱却し、本格派の俳優として頭角を現し始めたころだった。
「私がスイスの高校に留学してからは、手紙をやり取りするようになりました。そして一時帰国した高2の夏休みに、はじめて2人で食事に出かけたんです」
そこで本木さんから「結婚」の2文字がいきなり出たという。
「いますぐじゃなくても、いつか結婚という選択肢が現れたとき、私もそこに入れてください」
文通していたとはいえ、17歳の也哉子さんには寝耳に水のこと。
「一気に『結婚』まで話が飛躍したことに、ただ驚いていました。結婚という選択を、もっともしなさそうな人に見えていましたし」
それから2年後の1995年、フランスの大学に通っていた19歳のとき、29歳の本木さんと結婚。
10代での結婚には母の“すすめ”も大きかったようだ。
「本木さんと仲よくさせていただいていると知った母は『まず結婚してみて、家庭を築いてみるのも面白いわね』と言い出しました。
『勉強は後からでもできる。もし結婚がダメでも、お互い次のステージに進めばいいでしょ』と」
かたや、本木さんには「本気で結婚を考えるなら内田家に入ってもらえない?」と母は相談。
「本木さんの実家は16代も続くお米農家です。400年も前のお墓を守り、その土地で自然に耳を傾け、耕し、食卓に糧を届けてきた。
母は『そんなルーツを持つ農家のご子孫なら』と最大限の敬意を示していましたが、内田家も絶やしたくなく、本木さんが内田家に入ってくれることになりました」
ところが若夫婦は、結婚半年後のアメリカへの新婚旅行で「離婚だ」と大喧嘩。別々に帰国後に、也哉子さんの妊娠がわかった。
「そこで『とりあえず一回立て直しましょう』となりました。
『誕生する命を迎え入れて、それでもダメなら考えましょう』と」
以後「年に2度ほど」は大喧嘩が繰り広げられてきたそうだ。
「私は父と暮らした経験がなく、はじめてお付き合いした本木さんと結婚したので、『男性が家庭にいる状況』もはじめてでした。
『どこまで甘えていいか』試す感じで喧嘩を吹っ掛けていたんです」
そんな娘夫婦に、二世帯住宅で暮らす母のスタンスは……。
「本木さんの味方でしたね。彼に『本当に終わりに(=離婚)していいのよ。それが也哉子の学びにもなるから』と言っていました」
そうしてなんとなくクッションとなっていた希林さんは、娘夫婦の“かすがい”だったのだろう。
新婚旅行後に妊娠がわかって、1997年に出産したのが長男・UTA(ウタ)さん(27)。190cmの長身で、現在はモデルとして国内外で活躍している。
1999年に出産した長女・伽羅(きゃら)さん(25)は、2015年に祖母の希林さんが主演した映画『あん』に出演している。現在はフランスの大学院に進み、国際コミュニケーションを学ぶ。
そして2010年に、次男の玄莵(げんと)くん(14)を出産。彼はいま中学生だが、アーティスティックな才能を発揮し、也哉子さんの著書の挿絵も手掛けている。
「夫婦喧嘩しながら『これじゃあ無理だ』と思うこともありました。
でも、続けていった先にしか見えないものもあるんじゃないかと、子育てしながら、夫婦で合わない部分は均してきたんです」
母の生き方に見てきた両極性が、也哉子さんに無意識に刷り込まれ、それが結婚生活の耐性となったのかもしれない。
「そしたら銀婚式を過ぎて、来年(2025年)は結婚30年なんですね。いまも、お互いに興味を持ち続けている部分はあるし、最後にはどんな景色が見えるのか、楽しみでもあります」
(取材・文:鈴木利宗)
【後編】内田也哉子さん アカデミー賞受賞しても女優の道へ進まなかった理由へ続く
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