2023年に大阪から東京に進出し、 2024 年に王者になったガクテンソクと、その才能を見抜いていたオール巨人。東京進出の最初のきっかけや、心の支えになった師匠の言葉とは。
■『M−1』よりも寄席に近かった
巨人 『THE SECOND〜漫才トーナメント〜』(以下、『セカンド』)で優勝したときも、この衣装やったっけ?
奥田 はい、黒でした。
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巨人 シックでいい衣装やね。
奥田 2020年が僕らの『M−1グランプリ』ラストイヤーで、その後に変えたんです。寄席や営業で10分、15分のネタをやっていくとなると、これまでの別々の衣装はなんか違うなと思って。ふたりでそろえようや、と。それまでは僕が青系のジャケットに白いパンツで。
よじょう 僕はスーツの下に赤いチョッキを着ていました。
巨人 ピシッとしたスーツ姿で出てくると、お客さんも聴こうという気持ちになるんよね。東京なんかだと、私服みたいな格好で出てくる若いコンビがいるやろ。あれは得しないと思うな。あと、しゃべりやすいスーツってあるよな。しゃべりやすい靴も。
よじょう 靴もですか?
巨人 慣れてない靴はイヤやな。ほんまはスニーカーがええねんけどね。ただ、スーツに合わんし。スニーカーのほうが動きやすいやん。足元もスベらんし(笑)。
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奥田 僕も漫才をやるとき、番組側が衣装を用意してくれたことがあるんですけど、なんか違うなと思って。座っているだけやったら、その衣装でもよかったんですけど、漫才はやっぱり自分のスーツでやりたいなと思いました。
巨人 実は、今着ているチェック柄のスーツはオーダーしたんやけど、あんまり好きやなくて。感覚的なものなんやけど、落ち着かない。「若く見えますね」とかホメてくれる人もおんねんけど、僕もシックなほうがしっくりくる。黒とか、紺とか、グレーとか。
奥田 師匠はそのイメージがありますね。僕らはどんな衣装にするか考えているとき、ここまでシックな衣装でそろえているコンビはあまりおらんやろうと思ったんですよ。
ひとりやとほんまに冠婚葬祭の帰りみたいになっちゃうんですけど(笑)、ふたりやったら衣装に見えると思って。真っ黒ってあんまりいないし。
巨人 ええと思うで。そうそう、『セカンド』のとき、気づいてへんと思うけど、決勝ネタを最後まで見んと「おめでとう」のメール送ったんよ。
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奥田 ミルクボーイのラジオで巨人師匠がそのことを話しているのを聴きました。普通、LINEとかって、受信した時間まで気にしないじゃないですか。それで改めて時間を確認したら、「ほんまや。まだネタやってる時間や」って。
巨人 決勝は先攻がザ・パンチで、ガクテンソクが後攻やったろ。ふたりのネタを聴いていて、「これは勝負あったな」と思ってん。ガクテンソクの場合は決勝を含めて3本のネタ、どれも思いどおりの結果やったな。予想と実際の結果が合うと気持ちいい。最初から自信あったやろ?
奥田 去年戦って、『セカンド』はこういう大会なんやと、だいたいわかったのが大きかったですね。
巨人 『セカンド』のネタ時間は6分やん。賞レースにしたら長い持ち時間やけど、そのへんどう?
奥田 それでいうと、『M−1』が4分だったので、『セカンド』のほうが寄席に近い感覚でしたね。『M−1』のように凝ったテーマよりも万人受けするネタのほうがいいし、むしろ寄席で培ったものが生きる大会やと思います。
■新たな賞レースに「また戦うのかよ」
巨人 (ふたりの)『M−1』が終わって4年か。ってことは来年、デビュー20周年やな。
よじょう オール阪神・巨人師匠は50周年ですよね。
奥田 30年も先輩!
よじょう 息、長すぎます。
巨人 もう、新ネタを覚えるのは無理やで。70過ぎたら、物は忘れるし、物を落とすし。手の湿り気がないから(笑)。もう"落とし"寄りやわ。
奥田 でも、うれしいです。50年間、舞台に立ち続けている人が目の前におるのが。僕らの指針になるので。
巨人 ふたりは結局、『M−1』は決勝までは行けんかったんよな。準決勝止まりで。やっぱり『M−1』を嫌いになったこともあった?
奥田 心底嫌いになったことはないですね。前提として、『M−1』が始まる前から芸人だった人と、『M−1』を見て芸人になった人ではとらえ方が違うと思うんです。
僕らは素人時代、『M−1』に出たいと思って芸人になった。漫才師になるきっかけを与えてくれたのが『M−1』なんです。感謝こそすれ、恨む筋合いのものではないんです。
巨人 そうやな。『M−1』が好きで漫才師になって、フラれたから嫌いになるというのは違うよな。それは逆恨みやもん。
奥田 ただ、先輩方の中には、もともとやりたいビジョンがあったのに、『M−1』ができて、これに勝たないとおもんないやつみたいに見られるから出ざるをえないという人たちもおったと思うんです。巻き込まれたというか。そういう人たちは複雑な感情もあるのかなと思います。
僕は毎年、『M−1』も普通に見てます。酒飲みながら。最高に楽しいですよ。ただ、2019年だけはリアルタイムでは見られなかったですね。優勝したミルクボーイが同期だったんで意識しちゃって。僕らがその年に3回戦落ちだったのもあったんですけど。
よじょう 俺、全然見れたで。
巨人 ハーッハッハッハッ。
奥田 そういうとこちゃう? おまえが足りひんところは。でも、ええわ。ふたりとも見てないのも気持ち悪いし。
巨人 『M−1』を卒業して、ようやく賞レースから解放されたと思いきや、『セカンド』が始まったわけやんか。そのとき、どう思った? チャンスやと思った?
奥田 う〜ん、チャンスやとは思わなかったですね。それよりも、いらんことしやがって、っていう。
巨人 ハーッハッハッハッ。
よじょう また戦うのかよ、と。それなりに楽しく過ごしていたので。
奥田 世間的には僕らは日の当たらない芸人やったと思うんですけど、僕らなりに日の当たる所を探して成長してたんですよ。ビルとビルの隙間でも日の当たる場所はあるんで。喜びがないと続かないんで、今のポジションにやりがいも感じていましたし。
よじょう ほんと、『セカンド』で優勝する前から面白くやってたよな。
奥田 ただ、優勝して、周りの方々にしみじみ「良かったなあ......」と言われて、初めて「俺たちってくすぶってたんやな」と気づきました。
巨人 僕はふたりが優勝したときは「せやから言うてたやろ」と思ったで。ガクテンソクには売れてもらわな困ると思ってたから。
よじょう 僕らは巨人師匠に発掘していただいたようなもんなんで。要所要所でホメていただいたことで、今日までなんとか持ちこたえることができました。
奥田 2012年から『ytv漫才新人賞』(読売テレビ)が始まったんですけど、その頃、『M−1』が一時なくなり、僕らの主戦場だった「baseよしもと」(大阪の若手がメインの劇場)が潰れ、相変わらずどの賞レースも予選で負けていて、解散するかみたいな空気になったんです。
でも、まだ漫才師として何も成し遂げていないのにやめられるかという話になり、直後、『ytv漫才新人賞』の予選であるROUND2に出場させてもらって。そこで1位通過を果たしたんです。
そのとき、審査委員長をされていた巨人師匠に「しゃべりうまいね」ってホメられたんです。「君たち、今までどこにおったん?」みたいな。
巨人 2007年の『M−1』決勝でサンドウィッチマンを見たときの衝撃に似てたな。「こんなおもろいやつらがおったんか」って。「なんで君らが出てこれんかったん?」って。ふたりとも声もええしな。センスのあるツッコミで笑いが取れるのも、時代に合っていると思った。
よじょう 2014年に『THE MANZAI』の決勝に出たときも、グループリーグで、9人いる審査員のうち巨人師匠だけ1票入れてくれたんですよ。
巨人 ほかの審査員には悪いけど、みんな見る目ないなと思ったで。
■東京を意識したきっかけは巨人師匠
奥田 師匠、覚えてます? 2012年の『ytv』の予選収録が終わった後「来れるコ、みんなおいで」って天六(大阪・天神橋筋六丁目)の焼き鳥屋で打ち上げを開いてくれたんです。全員初めましてみたいな感じやったんで、まあまあ静かで。僕らも、「俺らなんかが行ってええんかな?」と思いましたから。
巨人 がっつり負けたやつも来とったもんな。おまえら、よう来れるなみたいな(笑)。
奥田 その席で師匠が「東京に挑戦したいという気持ちがあるんなら、したほうがええ」という話をされたんです。僕ら、まだそんなこと全然考えてなかったんですけど、2023年から東京に拠点を移して。今にして思うと、あのとき初めて東京を意識したような気がします。
巨人 僕は東京が好きやなかったから無理やった。だから後悔はないんやけど、若い人はいっぺん東京で勝負したらええんちゃうかとは思うね。テレビのギャラも1桁違ったりするし。東京はどうや?
奥田 こういう世界もあるんや、ということがわかったんは大きいですね。大阪が土俵だとすると、東京は四角いリングなんやな、と。ポストに上がって飛んでもよし、というか。そもそも競技が違う。
巨人 異種格闘技みたいなな。
奥田 大阪から来たばっかりのときは、まわしを締めて、リングで相撲を取っているような感覚がありましたから。それだけで目立って......。
巨人 それが肌に合わんというやつもおるやろうしな。せやから無理に東京に居続ける必要もないと思うんよ。イヤになったら、また、大阪に帰ってくればええんやから。
奥田 でも東京へ行くとき、メッセンジャーのあいはら(雅一)さんに言われたんです。「簡単に戻ってこれると思うなよ」って。「大阪は、おまえたちは一度、大阪を捨てたと思ってるからな」と。
巨人 そんなことないやろ。それはそれで惜別の言葉やったんちゃう?
よじょう でも、ほんまに最初の1年間、NGK(なんばグランド花月)からまったく呼ばれんようになりました。
奥田 『セカンド』で優勝してからやな。呼んでもらえるようになったの。でも、まだ、トータルで10回くらいしか呼ばれていないと思う。
巨人 『セカンド』で優勝して、一番変わったことは?
奥田 スケジュールの空白のなさですね。優勝から7ヵ月、変わらず忙しいままでありがたいです。丸1日休んだのは5日間とかじゃないですか。
よじょう 僕は新幹線の移動がグリーン車に変わったのが一番うれしかったです。
巨人 あと、変えなあかんのは意識やな。いずれ、NGKでトリを取れるような漫才師にならなあかん。もし今、「トリ、取ってくれる?」って言われたら、「いや、ちょっと待ってください」ってなるやろ。
奥田 間違いなくなります。
よじょう 固まります。
巨人 そう言われたら「ほな、行かせてもらいます」と思えるようにしとかんと。5年以内にそんな日が来るんちゃう?
奥田 ありがたいなあ。
よじょう あと5年、死ぬ気で行きます!
奥田 せやったら、トリ取れたとき死んどるやん。そっからやのに。
巨人 ハーッハッハッハ。
●オール巨人(オール阪神・巨人)
1951年生まれ、大阪府出身。高校卒業後、実家の鶏卵卸業勤務を経て、74年に岡八朗に弟子入り。75年にオール阪神・巨人を結成。デビュー直後から爆発的な人気を博す。「上方漫才大賞」受賞4回は史上最多。19年には「紫綬褒章」を受章。『週刊プレイボーイ』本誌で『オール巨人の劇場漫才師の流儀』を連載中
●よじょう(ガクテンソク)
1981年生まれ、兵庫県出身。関西大学卒業。相方の奥田修二とは中学からの同級生。2005年に学天即(現ガクテンソク)を結成。中学社会と高校地理歴史の教員免許を所持している。狩猟免許を所有。趣味は読書、雨乞い、茶道など
●奥田修二(ガクテンソク)
1982年生まれ、兵庫県出身。造園会社の社員を経て、学天即(現ガクテンソク)を結成。日本最古の書物『古事記』が好きで、noteでその魅力を発信している。アイドル好きを公言し、仕事でも数多くの推しグループと共演が実現した
取材・文/中村 計 撮影/矢橋恵一