「演歌の女王」と呼ばれた八代亜紀さんが亡くなって、2024年12月30日に1周忌を迎える。
八代亜紀さんは破格のギャラ
「出演は難しいだろうと思いつつ、八代さんのマネージャーさんに相談したら“彼女にやらせます”と言うんです。検討するとか、相談しますではなく“やらせる”ってどういうこと? と思って」
そう話すのは、過去に八代さんと仕事をしたことがあるという演出家の男性。かつて、こんな“夢のコラボ”が実現したという。
「25年ほど前のことでした。ある出版社から“12月に開催するパーティーで面白いショーができないか”と言われたのです。いろいろ頭を悩ませて、すでにキャスティングされていたプリンセス天功さんと、八代さんがコラボするのはどうかとひらめいたんです」(演出家の男性、以下同)
世界的イリュージョニスト・プリンセス天功こと2代目引田天功と、歌手の八代さんのコラボとは、いったいどんなショーだったのか。
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「天功さんが箱に入り、そこに剣をブスブスと刺した後、『舟唄』を歌いながら八代さんが登場するというシナリオです。面白いけど、さすがに八代さんの事務所は許可しないだろうと思ったのですが」
すると、冒頭のように2つ返事でOKが出た。
「八代さんに“やらせる”と言うから、どういうことかと思ったら、当時のマネージャーは八代さんが亡くなる前に離婚した男性でした」
パーティーが開催されたのは、12月中旬。その年のNHK紅白歌合戦に八代さんの出場も決まっていた。
「発表されたばかりの紅白出場者リストに名前があって、八代さんはすごく機嫌がよかったのを覚えています」
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肝心のショーはどうだったのか。
「天功さんが箱に入り、いよいよ八代さんが登場する場面なのに、音響スタッフがステージを見入っちゃって再生ボタンを押さない。私は焦って“早く押せ!”と叫びましたよ。ヒヤヒヤでしたけど、ショーは大成功でした」
その後に聞いた話が、男性にとっては1番の衝撃だったと話を続ける。
「私の記憶が確かなら、キャスティングをした人からは八代さん単体のギャラが600万円だったと聞きました。いろいろ揃えたセットとか会場代を合わせても、八代さんのギャラが一番高くて驚きました。当時は景気がよかった時代だったのでしょうね」
八代さんは、1985年に両親へのプレゼントとして都内に3億円豪邸を建て、神奈川・箱根には総工費1億円の別荘を所有していた。
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さらに、終の棲家となった5億円豪邸を都内に建設。かつて公開されていた納税者ランキングにも名を連ねた。
一方、歌手活動の傍ら多くの慈善活動も行っていた。地震などの被災地支援を熱心に行い、亡くなる直前も児童養護施設の子どもたちにプレゼントを贈っていた。
稼いだお金は、自身のためだけでなく、さまざまな人のためにも使われていた――。