乾燥しがちな年代になってもツヤ肌をキープしている演歌歌手の天童よしみさん。「実は母や祖母がとても美容に熱心だったんです。目の下にクマがあると、すぐ母に指摘されますね(笑)」一緒に暮らす2人の共通の話題は美容ネタなのだという。
「哀れな姿を見せたくない」
「これまで大きな肌トラブルがなくこれたのは、母が教えてくれた美容法のおかげ」
そう話すのは、『道頓堀人情』や『珍島物語』など数々のヒット曲を持つ演歌歌手の天童よしみさん(70)。間近でお顔を拝見しても、70歳とは信じられないほどキメが細かく、ハリがあってシミやシワも見当たらない。その秘訣を伺うと、
「化粧水や乳液はケチらないでたっぷりつけていますね。手にたくさん出して顔につけたあと、もう一度手に取って、両手で顔を包み込むように重ねづけしてしっかりと保湿しています。それと、化粧水を先に使うのが本来の手順だと思いますが、乳液を先に使うのが私流です」(天童さん、以下同)
これも、母、筆子さんのアドバイスどおりだ。
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「母も乳液から使ってスキンケアしているのですが“肌は敏感だから、乳液からつけたほうが肌もビックリしないんちゃうの”って。最初に乳液で肌をほぐしてからほかのケアをすると、より潤いやすい気がします。髪もシャンプー前に軽くトリートメントをしてから洗っているんですよ。乾燥してライトのきついスタジオにいると肌も髪もバリバリになるんですが、長年このやり方を続けていて効果を実感しています」
ファンの方や仲良しの美容家であるIKKOさんなどからもオススメの化粧品を頂くが、いちばんの美の師匠はお母さまなんだそう。
「母は今91歳ですが、美容へのアンテナが高くて。私たちの共通の話題といえば、美容のことがいちばん多いくらい。母が使ってよかったというものは私も一緒に使っています。そもそも母や亡くなった祖母は昔から身だしなみへの意識が高くて。
いつ誰と会うかわからない、そのときに哀れな姿を見せたくない、というのが母のプライドで、外出しなくてもきちんとお化粧して身繕いをします。そんな母を見てきたので、私もオフでも化粧は欠かしません」
お母さま譲りの美容法もあり、大きなトラブルなく心身ともに健康に過ごしてきたというが、40代後半にはいくつか不調も訪れた。
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温野菜を意識して食べる
「生理が終わるという未知の経験がものすごい恐怖で。そのときは内科から心療内科までいろいろな科で診てもらって特に問題はなかったんですが、48歳のときに、坂を上がっていたら心臓がすごい速さで打って、なにこれ気持ち悪い、と……」
診断の結果は不整脈。医師からは体重を少し落とすため、歩くように指導を受けた。
「でも、歩くって大変ですよね。効果が出ているのかもわかりにくいし、好きな人と一緒に歩くんだったらいいのに、つまんないなって(笑)。ぜんぜん続けられなかったんです」
そのときの不整脈は更年期不調のひとつだったのか、その後は元気に過ごせている。ウォーキングは続かなかったものの、その後は食事と睡眠、運動を大事にしてきた。
「50歳を過ぎたころから冬だけじゃなく、夏も肌が乾燥して顔全体が垂れてきたんです。そんなとき通い始めた声のトレーニングの先生に、声も顔も“乾燥”が大敵と聞いて。とはいえ、ハチミツを舐めるとか、甘やかすばっかりもよくないと」
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商売道具の喉と肌を労るため、食事を見直すことに。
「メニューはすべて声の先生が指導してくださったんですが、急な食事会などで思うように続かないことも。それでも意識して食べているのは温野菜。中でもブロッコリーや舞茸はオススメです」
肌を休ませることも大切にしている。
「遅くまで起きていると肌に悪い、といつも母に言われるので、まずお風呂に入ってメイクを落として肌を休ませます。メイクを落とすだけでも大変でしんどいんですが、嫌なことは後回しにしない、と決めて早めに入浴して遅くとも12時には就寝するように」
多忙な毎日のため運動習慣にもひと工夫。
「家事を運動にしてしまうの。洗濯物を干すときは、少しでも遠くに干すように背伸びをしながら干して。腕もできるだけ伸ばす。毎日そうやって干していたら、腕や身体の痛みがなくなったんです」
食器を洗うときにも、手首を意識して洗っているそう。
「コップが深いほど手首をよく使うので楽しいんです(笑)。何もしなかったらそういう身体になってしまうので、家事ひとつでも筋肉を動かすようにしています」
いくつになってもキレイでいたい
現在、お母さまと2人暮らしの天童さん。家事は分担し合っているそうだが、筆子さんはこの5年で2回、骨折をして入院、手術をしている。
「2度目の骨折は入院した病院の中でもいちばんの重症と言われたほど。玄関で転んだのですが、私の目の前だったので『どうして支えられなかったんだろう』『事前に手すりをつけておけば』という後悔はずっとあります。でも幸いなことに、80代でも骨がくっついて無事に退院しまして。リハビリも熱心に続けているので、今では杖を使いつつ伝い歩きができるようになり、車いすは卒業しました」
最近では、毎晩ベッドで40分ほどの脚上げ運動が習慣に。
「私は数回上げるのも大変。おかげで母のほうがスタイルがよくなってきて、周りから“よしみさんも頑張って”と言われています(笑)」
筆子さんは北から南まで、天童さんの全国ツアーにも同行している。
「そのほうが私も安心できるし、母も私の歌で元気が出ると言って、公演中は舞台袖の特等席で鑑賞してくれています。もしものときが刻一刻と迫ってきているような気がして。だから一日一日を大事にして、母が快適で、最高に楽しいと思える毎日を過ごすサポートをしていければ」
いつまでも元気でいてほしいとの願いから、転倒事故をきっかけに家に手すりをつけたり、地震の際はどう行動するかを話し合ってシミュレーションするなど、できる範囲で備えているそう。
さて、年末には『紅白歌合戦』への出場も控えている。昨年は故郷・大阪で通天閣をバックに熱唱し、大反響を呼んだ。今年の見どころについて伺うと─。
「驚かせますよ。いくつになってもキレイでいたいっていう思いを込めて、ヴェルサイユ風にバラもあしらってビジュアル系で登場したいと思っています。それで“天童さん、あの年でキレイ”って希望を湧かせたいんです。昭和の時代のように家族でそろって見てもらって、“元気出たわ〜”とあったかい気持ちになってもらいたいですね」
さらに、来年は“昭和100年”。それにちなみ、2025年の11月のステージでは昭和の名曲100曲にチャレンジする予定だそう。また、演歌だけでなく、ジャズ、クラシック、J -POPの4ジャンルのコンサートも実現したいと意欲を燃やす。
この秋、70代に突入し、ますます精力的に活動する天童さんだが、年齢を重ねることをどう捉えているのだろう。
「実は60歳になるときは怖かったんです。『赤いちゃんちゃんこ着なきゃいけないの?』ってそればっかり思って、一時期は赤い衣装を封印していたくらい(笑)。でも超えたらなんてことなかった。80代、90代で元気な人もいっぱいいますし、むしろ早く70歳になれって気持ちだった。恋してる人も、結婚した人もいるし、70代はキラキラ輝かなきゃ損です!」
取材・文/荒木睦美
てんどう・よしみ 9月26日生まれ、大阪府出身。天才少女演歌歌手として10代でデビュー。’85年『道頓堀人情』でブレイクし、’97年『珍島物語』がミリオンセラーに。『紅白』への出場は今年で28回目を迎える。最新曲『昭和かたぎ』も好評発売中。