【動画】赤楚衛二&上白石萌歌の音楽ライフは? 映画『366日』スペシャル対談動画
■恋人役で再共演! 「勝ちだなと思いました(笑)」(赤楚) 上白石「何も気を遣わずにできるな、と(笑)」
本作は、沖縄と東京という2つの都市を舞台に、20年の時を超えた、切なすぎる純愛ラブストーリー。2003年、沖縄に住む高校生・湊(赤楚)は、同じ高校の後輩・美海(上白石)と出会う。同じ音楽が好きな2人は自然と惹かれ合い、付き合うことに。東京の大学へ進学した湊に続き、美海も上京。東京で2人は幸せな日々を送り、やがて湊は音楽会社に就職、美海は通訳という自分の夢に向かって頑張っていた。「こんな幸せが、365日ずっと続きますように」―そう願っていた2人。だがある日、湊は突然、別れを告げ美海のもとを去ってしまう…。
――再共演が決まった時のお気持ちを聞かせてください。
赤楚:『ペントレ』ですでに信頼関係を築くことができていたので、(上白石萌歌さんとの)共演が決まった瞬間、「あ、勝ちだな」と思いました(笑)。
上白石:私も心強かったですね。やっぱり恋愛ものは初対面の方だと気を遣ったり、いろいろな気持ちを計りながら演じたりするところがあるんですが、赤楚さんとだったら、もう何も気を遣わずにできるな、と(笑)。そうしたベースとなる信頼関係がありましたし、私は勝手ながら(赤楚さんが)戦友のような存在だと思っていたので(笑)、こうして濃密にお芝居でぶつかることができることが楽しみでした。
――今回、高校生から社会人の30代まで同役を20年間演じられましたが、演じるにあたって意識したことや役作りでされたことはありますか?
上白石:私はこんなに幅広い年代を演じたのが初めてでした。年代順の撮影ではなかった分、母親になることも急だったり、別れや出会いもバラバラだったりしたので、自分の身なりや湊の状況、「娘の年齢的に美海は母親何年目なのか」とか…そうした美海の周りの環境を考えながら、その歳の美海の表情はこんな感じかなと想像したり、母に母親になった時の気持ちを聞いていろいろ考えながらお芝居をしました。母には一番相談しやすかったので、子供を育てることなどについて聞いていました。
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――演じた役とご自身で重なる部分、異なる部分は?
赤楚:僕はどちらかというと外交的で、思ったことをすぐ口に出すし、我慢することが割と苦手なタイプなので、(演じた)湊とは割と逆なのかなって思います。でも、相手が大切だからこそ気持ちを伝えられない湊の気持ちは共感できるので、そういうところをふくらませて湊の人間像を作っていきました。
上白石:撮影が始まったばかりの時に、監督がおっしゃった「美海は太陽で湊が月であってほしい」という言葉がすごく印象的だったんです。月は太陽がないと成立しないし、太陽もまた月がいないと存在できないっていう意味で、お互いがお互いを照らし合っている美海と湊のイメージがつきました。「美海は本当に“純”な太陽であってほしい」ということを、監督から現場で何度も言われたので、「人の明るさって何だろう」「沖縄の日光を浴びて育った女の子の純粋な明るさとは?」というところを探り探り考えながら演じていました。
■音楽が身近に感じられる本作 赤楚&上白石のそれぞれの音楽ライフとは?
――映画の原案となったHYの「366日」にはどんな印象を持たれていましたか?
赤楚:学生時代の恋愛の時に共に寄り添ってくれるような楽曲だなという印象を持っていたんです。でも撮影を通して、やっぱり“人を想う”というところにフォーカスすると、学生時代の時に恋愛ソングだと思っていた印象が、全然違うような聴こえ方がするようになったので、いろいろな解釈ができるような楽曲なんだなと思いました。
上白石:学生の時に「366日」を聴いた時は、まだ自分が知り得ない気持ちや体験したことのない気持ちを歌った曲だなって思っていたんです。この作品を演じるうえで改めて聴き直すと、あの頃わからなかった気持ちが少しわかるようになりました。本当にいろいろな方に愛されている名曲は歳を重ねるごとにその曲の解像度も上がっていくというか…。楽曲が時を超えて愛される秘密は、いろいろな楽曲の味わい方が年齢によってできるところなんだなと思いました。学生時代に聴いた時は、失恋の痛みみたいなものを描いた楽曲だと思っていたんですけど、改めて大人になってから聴くと、やっぱり人を想うことってすごく幸せだなとか、痛みの先にある愛情みたいなものが含まれている楽曲だな、あの頃に聴いた時よりも温かい曲だなということを、今回改めて感じました。
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赤楚:新曲を聴かせていただいた時は、「いい曲だな」「これ、楽しみだな」と思いながら、お客さん目線で普通に聴いていました(笑)。映画の最後に流れてきた瞬間に、「こんなにも湊の心を代弁してくれている曲なんだ」というふうに改めて感じました。本当に今回の『366日』という映画の全てと言ってもおかしくないような楽曲だなという印象ですね。
上白石:私が新曲を聴いた時は「こんなにも自分の役とリンクする言葉があるんだ」と思ったんです。私は美海の視点の曲だと思っていたんですけど、赤楚さんが湊としても共感できるとおっしゃったので、本当に…恋や愛を体験した人にとって全員に刺さる曲なんだなと思いました。
赤楚:たしかに。
上白石:多分、リアルタイムで「366日」を聴いていた方々は、今30代後半ぐらいの方になると思うんですけど、その当時を生きていた方々にとっての答え合わせみたいな曲にもなるなとも感じました。この作品の最後をとても鮮やかに彩ってくださっている曲でもあると思うので、いろいろな方が「恋をして」を聴いて答え合わせをしたり、気持ちを思い返したりするような重要な曲になるんじゃないかなと思いました。
――本作はHYの「366日」からインスパイアされた作品ということもあり、劇中でも音楽が身近に感じられる映画でもありましたが、お二人の生活にも普段から音楽は寄り添っていますか?
上白石:私はもう「NO MUSIC, NO LIFE」です(笑)。
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上白石:はい(笑)。もう大好きで、生きがいです。隙あらばライブに行ったり、移動中もずっと聴いていたりするので、本当に活力ですね。三度の飯より好きっていうぐらい、音楽にたくさん救われてきたので、私にはなくてはならないものですね。
赤楚:僕は最近、聴く時と聴かない時があって…。
上白石:それは、すごくわかるかも。
赤楚:僕にとっても音楽は近しいものではあるけれど、(歌詞と)自分の心がマッチしていない時に、遠ざかってしまうような瞬間があるんです。だから僕は基本的に歌詞がないクラシックが好きなんですよね。そんなに考えずに聴くことができるし、「何か沁みるなぁ」って感じることが多いですね。
■「大切な人がいる人たちに刺さる」「いろんな形の愛が描かれている」作品に
――撮影で印象深かったことは?
赤楚:(湊と美海の)身近にある幸せの積み重ねのようなシーンの撮影は印象的でした。あとは、沖縄の海中道路が気持ちよかったよね。
上白石:そうですね。沖縄の海の砂が白くて、日光の照り返しがすごかったんです。「目、開かないね」って話してたよね。ビーチが灼熱で、しかもなかなか逃げ場所もなくて。日焼けしたよね?
赤楚:うん。砂に触ってたら火傷しそうになりそうなぐらい、暑かったもんね。
上白石:(湊がビーチで)仰向けで寝ているシーンをやりきったのは、本当にすごいと思う。
赤楚:湊が浜辺で、手で目隠しをして泣いてるように見せようという意図だったんですけど、実はちょっとまぶしすぎて(苦笑)。客観的に見たら、本当に泣いているように見えるっていう作戦でした(笑)。
上白石:さすがです!(笑) 浜辺で2人が見つめ合うシーンも…。
赤楚:あれ、やばかったなぁ(苦笑)。映像で見たら大丈夫なんですけど。
上白石:不思議と映像から暑さを感じなかったよね?
赤楚:すごいよね。映像では全く暑さを感じさせずに、爽やかなシーンになっていて…。
上白石:わかる、わかる!
赤楚:それぐらいキレイでした(笑)。
――完成をご覧になっていかがでしたか?
赤楚:切なく悲しいストーリーという印象を持たれがちですけど、僕はわりと主題歌の「恋をして」が光のように見えたので、すごく優しい気持ちにも、温かい気持ちにもなれる作品だなと思いました。僕が出ていないシーンは上白石さんが1人で頑張っていたので、「うわぁ、美海、申し訳ない」「こんな頑張ってたんだ」という気持ちになっちゃいましたね(苦笑)。
上白石:(笑)。それはある意味、湊の視点だよね。私は、完成を観る前のアフレコ作業の時に湊がMDを聴いているシーンを見たんです。いやぁ、素晴らしすぎて、「湊はこんな顔で聴いてくれていたんだ」というのを知った時、美海と近しい気持ちというか、美海を演じた者としてあふれ出る気持ちがすごくありました。
――最後に映画をご覧になる方にメッセージを。
赤楚:本当に、大切な人がいる人たちに刺さるような映画になっているかなと思います。人を思う素晴らしさみたいなところを注目していただけたらと思います。
上白石:恋愛だけにとどまらず、家族愛とか、もっとその先にあるような、いろんな形の愛を描いた作品になっていると思います。私も演じながら「人が人を思う気持ちって本当に尊いな。それがたとえ報われなくてもその人のことを思って言葉にしたり、行動したりすることはすごく美しいな」と感じました。誰かに優しくなれたり、誰かのことを思い出すことができたりする映画になっていると思いますので、ぜひ劇場でご覧ください。
(取材・文:齊藤恵 撮影:高野広美)
映画『366日』は、1月10日公開。