F1コラム:F1が“コンタクトスポーツ”に変化した経緯。セナが始めた攻撃的な戦い方。安全性向上が皮肉な結果を招く

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2025年01月04日 07:00  AUTOSPORT web

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1990年F1日本GP アイルトン・セナ(マクラーレン)とアラン・プロスト(フェラーリ)が1コーナーでクラッシュ
 ベテランモータースポーツジャーナリスト、ピーター・ナイガード氏が、F1で起こるさまざまな出来事、サーキットで目にしたエピソード等について、幅広い知見を反映させて記す連載コラム。今回は、安全性の向上とともに、F1が“コンタクトスポーツ”(相手との接触が可能なスポーツ)に変化した経緯を振り返った。

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 F1世界選手権は1950年に始まり、その初期の数年間は、マシン同士が接触することはほとんどなかった。その理由は極めて単純で、当時、接触により命を落とす可能性が高かったからだ。1950年代から1960年代初頭のF1トップドライバー、スターリング・モスは当時のF1について、次のように述べていた。

「競争相手に衝突することで、相手と自分の両方の命を奪うかもしれない。そのリスクは非常に現実的だった」

■接触が命にかかわるリスクをはらんでいた時代

 昔のF1において接触事故がどれだけ危険だったのか、いくつかの例を挙げよう。

 1962年のベルギーGP(スパ・フランコルシャン)で、トレバー・テイラー(ロータス)とウィリー・メレス(フェラーリ)が激しい2位争いを繰り広げていた時のことだ。フェラーリがわずかに接触したことで、ロータスは深い溝に転落したが、テイラーは無傷で脱出した。一方、メレスのフェラーリは上下逆さまになって炎上した。メレスは炎の中から何とか這い出すことができたものの、さまざまな怪我を負い、その後、数週間にわたって入院生活を送った。

 1982年のベルギーGP予選中、ジル・ビルヌーブ(フェラーリ)が、ヨッヘン・マス(マーチ)を追い抜こうとした際に事故が起きた。ビルヌーブを前に出そうとしたマスと追い越そうとしていたビルヌーブが同じ右側に移動したため、フェラーリはマーチの後輪に接触、空中高く舞い上がった。ビルヌーブはシートに固定されたままフェラーリから投げ出され、命を落とした。

 ビルヌーブのフェラーリは、アルミ製のシャシー/モノコックを基盤として構築されていた。彼の死の翌日、ジョン・ワトソンがマクラーレンMP4BでベルギーGPを制した。マクラーレンはMP4により、F1史上初めてカーボンファイバーで作られたモノコックを採用した。

 そのカーボンファイバー構造は、すぐにすべてのチームによって模倣されるようになり、現在でも使用されている。この構造はモノコックを“サバイバルセル”へと進化させた。カーボンファイバー・モノコックは、サーキットやドライバー装備の改善とともに、1980年代を通してF1ドライバーという職業をはるかに安全なものにした。

 1950年代から1980年代にかけて、F1に参戦していたスターリング・モスたちは、互いに接触しないようにしていた。それはリスクを計算した上での判断だった。つまり、接触は危険すぎたからだ。しかしマシンがより頑丈になり、サーキットがより安全になるにつれて、このリスク評価は変化した。いまや、ライバルに衝突したり、相手を押し出したりすることは、必ずしも命にかかわる行為ではなくなったのだ。

■安全性向上に伴い、新たなドライビングスタイルを持ち込んだセナ

 多くの点において、この安全性の向上を利用し、より攻撃的なドライビングスタイルを導入した最初のドライバーは、アイルトン・セナだった。彼は1990年のワールドチャンピオンシップを、日本GPのターン1で、タイトル争いのライバル、アラン・プロストに突っ込むことで確定させた。その行為は判断の誤りやミスによるものではなかった。セナは後に、プロストとの衝突は意図的に行ったものであることを認めたのだ。

 セナによって、F1に不幸なトレンドが生まれた。世界中の若いレーシングドライバーは、当然ながら、F1ワールドチャンピオンを手本にするからだ。

 1990年にF3でレースをしていたミハエル・シューマッハーも、セナが鈴鹿でどのようにワールドタイトルを獲得したかに気付いた。その数週間後、マカオF3で、シューマッハーがミカ・ハッキネンにプレッシャーをかけられた際に、衝突が起きた。ハッキネンはウォールに突っ込み、シューマッハーは表彰台の頂点に立った。

 シューマッハーはその攻撃的なスタイルをF1に持ち込んだ。1994年には最終戦オーストラリア・アデレイドでデイモン・ヒルと衝突した後に初のワールドタイトルを獲得。3年後、スペイン・ヘレスでの最終戦で、タイトル争いをしていたジャック・ビルヌーブと接触し、1997年のチャンピオンシップから除外された。

 最近では、マックス・フェルスタッペンやルイス・ハミルトンが“インファイト・テクニック”を用いて相手を威圧し、極端な場合には衝突も辞さない場合がある。

■接触も辞さない戦い方に変化したのは必然

 攻撃的なスタイルを用いること、そして時々衝突が起きることは、F1で成功するための必須条件になってしまったのだろうか。偉大なドライバーたちのうち、セナ、シューマッハー、ハミルトン、フェルスタッペンなどが、ライバルをコース外に押し出したり、衝突したりした経験を持つ。

 スターリング・モスの話に戻ろう。彼の次の言葉は、25年以上前に発せられものだ。

「今日のドライバーたちの間で、敬意が欠けているのは明らかだ。それは、現代のマシンやサーキットが、我々の時代よりもはるかに安全だからだろう」

「たとえば、アイルトン・セナとアラン・プロストは、時速200km以上で走っている時に、相手をコース外に押し出した。私の時代にも、いわゆる“ダーティ”と言われるドライバーは何人かいた。ライバルをわざと邪魔しようとするのだ。とはいえ、彼らがしていたのは、後続のドライバーたちに砂や砂利を浴びせるために、ラインを少し外れて走る程度のことだった。そのころのF1は“コンタクトスポーツ”ではなかったのだ」

「現代のマシンとサーキットの安全対策の影響で、ドライバーたちは相手に対する敬意を失い、レースのリスクを軽視することになった」

 安全性の向上が衝突を増加させる結果を招いた。皮肉ではあるが、論理的な結果であるともいえるだろう。F1は基本的に、限界を探り、それを押し広げるスポーツなのだから。

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