世界中で大きな注目を集めるF1には、現在マクラーレン、フェラーリ、メルセデス・ベンツ、ルノー/アルピーヌ、アストンマーティンという5つの自動車メーカーが参戦しており、日本からはホンダがHRC(ホンダ・レーシング)として戦っている。これら以外にも様々なメーカーがF1への参戦を検討していることが報道され、実際に2026年にはアウディ、キャデラック、フォードが加わることが決まっており、人気と自動車メーカーからの注目度の高さがうかがえる。
そこで今回は、F1に関係する自動車メーカーのなかから、ホンダ、ルノー/アルピーヌ、そして今後の参戦を控えているフォードという3メーカーの概観とモータースポーツへの取り組みを紹介する。
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■ホンダ(HRCの活動を含む)
・初参戦:1964年
・参戦シーズン:34
・優勝回数:136
・タイトル獲得数:8
1946年に本田宗一郎が立ち上げた本田技術研究所が源流。同年、軍用の無線機発電用エンジンを自転車用補助エンジンに転用した通称『バタバタ』を開発。これは「自転車を漕ぐのは大変だろう」という宗一郎の夫人さちさんへの思いやりから誕生したともいわれる。1948年には本田技研工業株式会社を資本金100万円、従業員34人とともに設立。2輪車の開発と生産を本格的にスタートさせる。
当初よりモータースポーツを通じた技術開発に熱心で、1954年には技術革新と技術者の育成を目指して「マン島TTレース出場宣言」を行い、1959年、世界最高峰の2輪レースだったマン島TTレースへの参戦を果たす。そして1961年には早くも2輪世界グランプリの125ccと250ccの2クラスでメーカータイトルを獲得する。
いっぽう、1961年には日本の通商産業省が『自動車行政の基本方針』を発表。これに従えばホンダが4輪事業に進出する機会が失われるため、かねてより極秘裏に進めていた4輪車開発計画を加速。1962年には4気筒360ccDOHCエンジンを積むスポーツカーとトラックの試作車を作り上げると、1963年には軽トラックのT360、小型スポーツカーのS500を相次いで発売した。
これと並行してホンダはF1参戦を計画。初の4輪車を発売した翌年の1964年に実戦デビューを果たし、1965年には初優勝を遂げるという、これもまたホンダらしいスピード感で成功を収めた。
製品面では1958年に発売したスーパーカブが世界的大ヒットとなったほか、1973年には低公害エンジン『CVCC』の実用化に成功。「絶対にクリアできない」と言われていたアメリカの排ガス規制法「マスキー法」を世界で最初に通過させるなど、常に先進技術で世界のモビリティに貢献してきた。
電動化には熱心で、現在はシリーズ式を発展させたe:HEVと呼ばれる独自のハイブリッド車で好評を博しているほか、2040年にグローバルで電気自動車/燃料電池車の販売比率を100%とする目標を掲げている。
いっぽう、1964年に開始した第1期F1参戦は4輪事業強化のため1968年に撤退。その後も1983〜92年の第2期、2000〜2008年の第3期、2015〜2021年の第4期と参戦と撤退を繰り返した。レッドブル・パワートレインズ(RBPT)を通じてパワーユニットを供給している現在(2024年執筆時点)もF1には参戦していないというのが公式な立場で、新レギュレーションがスタートする2026年からアストンマーティンにパワーユニットを供給する形でF1に復帰することが決まっている。
■ルノー/アルピーヌ
・初参戦:1977年
・参戦シーズン数:43
・優勝回数:177
・タイトル獲得数:12
創業者のルイ・ルノーは1898年に初の4輪エンジン車『タイプA』を開発すると、翌年にはふたりの兄とともに『ルノー・フレール社』を設立。モータースポーツへの参戦にも熱心で、1902年にはルイの兄マルセルが『タイプK』を駆ってパリ-ウィーン・レースで優勝したほか、1906年にフランス・ルマンで開催された初のグランプリレース(F1の源流となるレース)『フランスGP』でも栄冠を勝ち取っている。
量産車では戦前よりタクシーの受注でビジネスを拡大したほか、フランス軍にも戦車や航空機などを供給。第2次世界大戦中にフランスがドイツの圧制下に置かれると、ルノーもドイツ軍への協力を余儀なくされた。この影響で戦後、ルノーは実質的にフランスの国営企業として再出発することになる。
その後はコンパクトカーを基軸においてビジネスを再建。1960年代にはルノー8ゴルディーニでラリーに挑戦したほか、ワンメイクレースも開催。さらに1973年に傘下に収めたアルピーヌは、同年に世界ラリー選手権でチャンピオンに輝く活躍を示した。
1976年にはアルピーヌを母体としてルノー・スポールを設立。V6ターボエンジンを積むアルピーヌ・ルノーA442Bは1978年ル・マン24時間で総合優勝を果たす。これと並行してルノーはF1用V6ターボ・エンジンの開発に着手。1977年には初のF1マシン『RS01』がデビュー。当初はオーバーヒートやターボラグに苦しめられたものの、1979年にツインターボ・エンジンを投入すると、その年のフランスGPでルノーF1は初優勝を飾った。これはターボ・エンジンによる初のF1優勝でもあった。
1986年にはF1参戦を一旦休止するも、1989年にはエンジン・サプライヤーとしてF1に復帰。初の自然吸気V10エンジンをウイリアムズに供給する。V8に近いコンパクトさとV12に迫るパフォーマンスを発揮したルノーのV10エンジンは、アクティブサスペンションを完成させたウイリアムズの実力と相まって1992年には初のF1タイトルを獲得。その後も1997年まで6年連続でワールドチャンピオンに輝いた(1995年のみベネトンでタイトル獲得)。
その後は2010年から2013年までレッドブル・レーシングとともにF1を席巻し、4年連続でタイトルを制覇したが、2014年にハイブリッド・パワーユニット規制が導入されると低迷。2016年にはフルワークスチームとしてF1に復帰したのに続き、2021年からはアルピーヌ・ブランドに転換したものの、これまでのところ初年度の1勝を除けば黒星続きとなっている。さらにルノーは財政難も重なって2025年をもってF1パワーユニット・サプライヤーとしての活動を休止すると発表。2026年以降、アルピーヌF1チームはメルセデス製パワーユニットを使用する。
量産車では、2024年にアルピーヌ初の電気自動車『A290』を発表。ルノーは欧州圏内においてEV専業ブランドとなることを目標としているほか、アルピーヌも100%EVブランドとすることが決まっている。
■フォード
・初参戦:1967年(1963〜1966年の109E、406による参戦を含む)
・参戦シーズン数:42
・優勝回数:176
・タイトル獲得数:10
創業者のヘンリー・フォードは1896年に初の試作車を完成させたあと、1903年にフォード・モーター・カンパニーを設立する。フォードは当初より実用車の販売をビジネスの主軸に据えていたが、それを決定的なものにしたのが1908年に発表されたモデルTだった。世界で初めてベルトコンベア方式で大量生産されたモデルTは手頃な価格と相まって世界的な大ヒット作となり、累計で1500万台以上が生産された。
その後もフォードは一貫して良質な実用車作りに邁進。高級車は1922年に買収したリンカーン・ブランドに任せるという形態をとった。
フォードは早くから海外進出に熱心で、1910年代には早くもイギリスで現地生産を開始。その後、日本やドイツに工場を設立しただけでなく、各市場にマッチした製品開発を行い、真の意味でグローバルな自動車メーカーへと成長していった。
なお、フォード自身はモータースポーツが自動車メーカーのPRに有効であるとの信念を持っていたと伝えられるが、戦前のモータースポーツでフォードが華々しい戦績を残すことはほぼなかった。しかし、戦後になるとアメリカのストックカーレースNASCARシリーズに1949年に参戦を開始。翌1950年には初優勝を飾った。
やがてフォードはF1にも関わりを持つようになる。きっかけとなったのは、ロータスのコーリン・チャップマンが新興エンジンビルダーのコスワースに新しいF1規定に則したエンジンの開発を依頼したことにあった。しかし、コスワースは自力で開発できる財政力がなかったため、ロータスと縁が深かったフォードに財政支援を打診。これをフォード側が快諾したことから、コスワースが完成させた3.0リッターV8エンジンはフォード・コスワースDFVと名付けられることとなった。
最高出力よりも軽量・コンパクトを狙ったDFVは、同じく軽量でバランスに優れたロータス49に搭載されて1967年にF1デビュー。1968年にはロータスにコンストラクターズ・チャンピオンをもたらす。その後も自社製エンジンを持たないイギリスのF1チームなどに愛され続け、1981年までに計10回のタイトル獲得に貢献した。
1987年に導入された3.5リッター規定にあわせて開発されたフォード・コスワースHBエンジンは1989年に登場。93年にはマクラーレンとベネトンが計6勝、94年にはベネトンが計8勝を挙げたもののタイトルには届かなかった。1999年にはV10エンジンのCRを投入したが大きな成功を収めることはできず、2000年にフォードのF1活動は傘下にあったジャガーに引き継がれたものの、2005年にはF1参戦権とミルトンキーンズの施設をレッドブル・レーシングに売却したことで、フォードF1参戦の歴史は途切れることとなる。
なお、フォードは2023年にレッドブル・パワートレインズ(RBPT)と技術提携を交わし、2026年からRBPTが実戦投入する新規定のパワーユニットを共同開発する形でF1に復帰することが決まっている。
電動化については、2030年までにヨーロッパで販売するすべての乗用車を電気自動車もしくはプラグイン・ハイブリッド車とする方針を発表しているほか、アメリカ本国では乗用車だけでなくピックアップや商用車にも電気自動車を投入すると公言している。