世界中で大きな注目を集めるF1には、現在マクラーレン、フェラーリ、メルセデス・ベンツ、ルノー/アルピーヌ、アストンマーティンという5つの自動車メーカーが参戦しており、日本からはホンダがHRC(ホンダ・レーシング)として戦っている。これら以外にも様々なメーカーがF1への参戦を検討していることが報道され、実際に2026年にはアウディ、キャデラック、フォードが加わることが決まっており、人気と自動車メーカーからの注目度の高さが伺える。
今回は、F1に関係する自動車メーカーのなかから、メルセデス・ベンツ、今後の参戦を控えているアウディ、キャデラックというプレミアムクラスの車を取り扱う3メーカーの概観と、モータースポーツへの取り組みを紹介する。
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■メルセデス・ベンツ
・初参戦:1954年
・参戦シーズン数:33
・優勝回数:219
・タイトル獲得数:11
自ら『自動車を発明したメーカー』と名乗るメルセデス・ベンツ。カール・ベンツは内燃機関で走る3輪車の特許を取得、ゴットリーブ・ダイムラーは4サイクル・エンジンを積んだ『馬なし馬車』を開発したことで名を馳せたが、お互いの存在を知らなかったふたりが、偶然にも1886年にそれぞれの偉業を成し遂げたところに、すでに運命的なものが感じられる。
ベンツとダイムラーはそれぞれ企業を立ち上げて自動車の改良と生産に携わるが、1894年にはダイムラーの技術で作られた車両が歴史上、初のレースとされるパリ-ルーアンで優勝。また、オーストリア・ハンガリー帝国のニース総領事だったエミール・イェリネックは、自ら販売を手がけていたダイムラー車を駆ってレースに参戦していたが、そのレース車を『メルセデス』と名付けていたことがきっかけとなり、イェリネックがダイムラー社と正式な販売契約を結んだ1900年にはダイムラーに代えてメルセデスが商品名となったことも、ダイムラーとモータースポーツの結びつきの深さを示している。
そして1926年、第一次世界大戦で経済が疲弊していたドイツにおいて、ダイムラー社とベンツ社は輸入車に立ち向かうために共同でダイムラー・ベンツAGを設立。そのブランドとしてメルセデスベンツが用いられることになる。ただし、1930年代を迎えても世界経済は冷え込んだままだったが、この頃、ドイツ政府はモータースポーツを国威発揚のために利用することを思いつき、ダイムラーベンツらに資金援助。銀色のレーシングカー『シルバーアロー』は国際的なレースを席巻していった。
ドイツ敗戦後、メルセデス・ベンツの立ち直りは早く、1952年には300SLプロトタイプでル・マン24時間で総合優勝を果たすなど世界中のスポーツカーレースで活躍。1954年にはより高性能なW196を開発してまずはF1に、翌1955年には300SLRの名でスポーツカーレースに投入。ドライバーのファン・マヌエル・ファンジオは初年度から2年連続でF1ドライバーズ・タイトルを勝ち取ったほか、ロードレースのミッレミリアは史上最速タイムで制覇。ル・マン24時間でも首位争いを演じていたが、不運な展開でマシンが観客席に飛び込み、80名を越す死者を出したため、メルセデスはこのレースから撤退するとともに、ワークス活動の中断を余儀なくされた。
その後もメルセデス内ではモータースポーツ不遇の時代が続くなか、元従業員の手でエンジンチューナーのAMGが1967年に発足し、現在に至るまでモータースポーツ活動の中心となっていることは特筆すべきだ。
1980年代に入るとメルセデスは徐々にモータースポーツ活動を再開。まずはザウバーと組んでグループCカーによるスポーツカーレースに参戦。これに続き、AMGが中心となってドイツ・ツーリングカー選手権への挑戦が始まる。さらにはザウバーとのパートナーシップで1994年にはF1にも復帰。翌年にはマクラーレンへのエンジン供給を開始し、1998年には初のコンストラクターズ・タイトルに輝く。
その後もマクラーレンとのパートナーシップを継続する一方、2009年にはホンダF1の施設を買い取ったロス・ブラウン率いるブラウンGPにエンジンを供給して2度目のコンストラクターズ・タイトルを獲得。この年の終わりブラウンGPを買収すると、翌年からメルセデスAMGとしてF1へのワークス参戦を再開。2014年にハイブリッドを用いたパワーユニット規則が導入されると、2021年まで8年連続でコンストラクターズ・タイトルを勝ち取り、黄金期を築き上げた。
量産車部門では戦前より高級車作りを得意としているが、1990年代にはコンパクトカー市場にも参入。AMGブランドを用いたスポーツカー分野でも根強い人気を誇る。
電動化に関しては、一部条件付きで「2030年までに完全なEVメーカーになる」ことを目標として掲げていたが、2024年2月、市況の変化を受けてこの目標を取り下げている。
■アウディ
・参戦:2026年(予定)
アウディのトレードマークであるフォーリングスは、アウディ、ホルヒ、DKW、ヴァンダラーの4社を統合して1932年に設立されたアウトウニオン(ドイツ語で自動車連合の意味)が同社の源流であることを示している。
アウトウニオンを構成する1社である高級車ブランドのホルヒは1898年の設立と古く、残る3社も100年以上の伝統を誇る。アウトウニオンは戦前、メルセデス・ベンツとともにドイツ政府の支援を得てグランプリレースや速度記録などに挑戦。その初期モデルはフェルディナント・ポルシェの設計によるもので、V16エンジンをミドシップする先進的なメカニズムでメルセデスとともに多くの成功を収めたほか、1937年に行った速度記録では公道で初めて400km/hを越えるなど、驚異的な性能を誇った。
戦後は、アウトウニオンの拠点の多くが東ドイツ側にあったために復興が遅れる。その影響もあってアウトウニオンは1958年にダイムラーベンツによって買収されたものの、1965年にはフォルクスワーゲン傘下となったほか、1969年には同じドイツのNSUと合併。このときアウディNSUアウトウニオンと改名し、現在のアウディの基礎ができあがる。
当初は地味な印象が拭えなかったアウディのブランドイメージを完全に変えたのが1980年にデビューしたフルタイム4WDモデル『クワトロ』だった。路面を選ばず優れたパフォーマンスを発揮することを証明するため、アウディはクワトロでWRCに参戦。シリーズを席巻すると、それ以降のWRCマシンはいずれもフルタイム4WDを採用するなど、ラリーの歴史を塗り替える活躍を示した。
ちなみに、クワトロの開発を指揮したフェルディナント・ピエヒは、戦前のグランプリカーを開発したフェルディナント・ポルシェの孫で、アウディでの功績が認められて1993年にはフォルクスワーゲンの会長に就任。2015年までグループの総帥として手腕を振るった。
アウディはクワトロをひっさげてドイツ・ツーリングカー選手権やアメリカのIMSAなどに参戦。同じアメリカではパイクスピーク・ヒルクライムで1985年から3年連続で最速記録を樹立した。さらに1999年からはル・マン24時間への挑戦を開始。2000年から2014年までに13勝を挙げる快進撃を見せた。
これまでアウディはF1に参戦したことはなかったが、2026年シーズンよりF1に挑むことを2022年8月に宣言。その2カ月後にはザウバーを買収してワークス参戦することが発表された。現在、ドイツ・ノイブルグのアウディ・フォーミュラ・レーシングGmbHにてパワーユニットの開発が勢力的に進められている。
量産車の分野では、アウディはメルセデス・ベンツと同じプレミアム・セグメントに属しており、先進技術とスポーツ性を強調した製品作りでメルセデス・ベンツに迫る年間200万台規模に成長。電動化にも精力的に取り組んでおり、2033年までに内燃エンジン搭載車の生産を終えるとしている。
■キャデラック
・参戦:2026年(予定)
キャデラックはアメリカの高級車メーカーとして1903年に設立。1912年には人力に頼らずエンジンを始動するセルフスターターを世界で初めて実用化したほか、V8エンジン搭載モデルをリリースするなど、先進性やラグジュアリー性を強調したブランドとして確固たる地位を築く。
これに先立つ1909年にゼネラルモーターズ傘下に入り、この関係は現在に至るまで変わっていない。
キャデラックが国際的なモータースポーツで目覚ましい活躍を示したことはないが、1950年には特異なデザインのシリーズ61でル・マン24時間レースに初参戦。10位と11位に入った。2000年にはキャデラック・ノーススターLMPでル・マン24時間に再チャレンジしたものの、トップから70周以上離された21位と22位でレースを終えている。
2023年にはVシリーズRを開発して世界耐久選手権とIMSA GTPシリーズに参戦。初年度の2023年にはル・マン24時間で3位と4位に食い込んだほか、2024年も1台が7位でフィニッシュするなど、トップクラスの実力を示している。
F1については、2023年にアンドレッティ・グローバルと共同で参戦する方針が示されたものの、F1がアンドレッティのエントリーを認めなかったために、この計画は頓挫。しかし、2024年にキャデラックF1チームとして再度申請したところ、これが認められ、2026年からのF1参戦が確定した。
アンドレッティは2024年にチームをTWGグローバルに売却。キャデラックは、このTWGグローバルと協力してF1に参戦するが、マイケル・アンドレッティの父であるマリオがTWGグローバルの取締役としてこのプロジェクトに関わる。なお、キャデラックは将来的にフルワークス参戦を目指すものの、当面はフェラーリからパワーユニットの供給を受ける。
量産車に関してはカーボンニュートラル化に取り組んでおり、2035年までにはグローバルな企業活動のすべてを再生可能エネルギーでまかなうほか、2020年代末以降はアメリカで発売されるすべてのキャデラックを完全電動化することを明言している。