ゴシックとダークがかけ合わさったような、唯一無二の雰囲気を纏う人形で人気を集めている人形作家・遠山涼音さん。
2024年には10度の展示会・イベントを実施するなど、精力的な活動を続ける彼女には、人形作家を生業とする以前「精神病を患い飛び降り自殺未遂をした」という強烈な経験がある。
両足のかかとは骨が飛び出る開放骨折、腰は10箇所以上の粉砕骨折となり、リハビリを終えた現在も杖は手放せない彼女だが、「飛び降りたことに後悔はあまりない」という。その言葉の真意と彼女の半生に迫った。
◆“学年1位の優等生”には自傷癖があった
遠山涼音さんの中学時代には、明と暗の2つの要素があった。
「がんばった分だけ成果が返ってくるから、わりと勉強は好きな子どもでした。とにかく必死にやって、学年1位になったことも。クラスメイトから、『あの子やん、めっちゃ頭いいコ』なんて言われるとドヤっちゃってましたね(笑)。
一方で、当時から自傷癖があったんです。なにかはっきりした理由があったわけではないんですけど、友達が少なかったり、なんとなく家族との距離感に悩んでいたりで、周りと歯車が噛み合わなかった。
それで塞ぎ込んでいるときに、安全刃がついていないカミソリでスパッと手首を切ると、感情をリセットできたんです。血の量が多いほど、『よし、これでまたがんばるぞ』って思えた」
自傷を精神の拠り所にしながらも、涼音さんはかねてから関心のあった美術科がある大阪の公立高校へ進学。17歳になると、グラビアアイドルとしてデビューを決めた。
「性的な意味ではなく、美術のデッサンで使うヴィーナス像のように、モチーフとしての女体の美しさに興味がありました。
加えて、16年前の当時はいま以上にグラビアアイドルが流行っていた時代で、私自身も松本さゆきさんの大ファン。自然とグラドルの世界に憧れが募り、大阪に住みながら東京の事務所に所属しました。定期的に東京に行っては、単発の仕事と出版社への挨拶回りをするような生活でした。
ただ、決して売れっ子だったわけでなく、むしろ悩みが増える日々。周りのグラビアアイドルは皆、信じられないくらい細身で、普通体型だった自分と比べてしまって。
『もっと痩せなきゃ』ってストレスから、過食しては下剤を大量に飲むという、摂食障害気味なところも出てきた。
あと、いまほど加工技術も高くなかったため、雑誌に載った自分の姿を見ては『自分、こんなんなんや……』と落ち込むこともしょっちゅうで。自傷はさらに回数を増していきました」
◆グラドルを引退し会社員として働くことに
高校卒業後は美大に入学するもすぐに中退。その後、大阪府内の一般企業でアルバイトしながらグラドル活動を続けたが、1年ほど経つと所属事務所がグラドル業界から撤退することに。
「大阪の事務所に移籍する話もあったんですが、全然売れなかったし、精神的にもしんどいし、もういいかなって思ってひっそり引退。そのまま、もともとアルバイトしてた会社の社員になりました。
でも、ずっと抱えていた精神的な悩みは消えなくて、むしろ増えていく一方でしたね。
幼少期からあった心配性が悪化して、仕事から帰ると『あのメール、ちゃんと送ったっけ?』と過剰に気になってしまい、朝方まで寝つけない。翌日に出社してパソコンの履歴を見て、やっと安心して寝れるといった状況で。
しかもこの頃から、幻聴や幻覚もはじまっていて……。周りからはいつも眠そうにフラフラと出社する私は、かなり心配されてたんじゃないかな」
当時は、いまほどに精神障害への社会の理解が進んでいない時代。
そのため、涼音さんは自身の精神状態を「恥ずかしいこと」と認識し、信用できる上司にしか症状を相談できなかった。精神科には通っており、「強迫性障害」と診断され薬も服用していたが、効果はいまひとつだったという。
◆オフィスの3階から走り出すように飛び降りた
そんな状態で働き続けていた23歳のある日、涼音さん自身も思いもよらぬできごとが起きた。
「正直、記憶はかなり朧気なんです。たしか、夕方から夜にかけての時間帯。1人で会社で作業してたら、いつものように幻聴に襲われて。
背後から複数の声で『死ね!』と聴こえて、頭のなかは『逃げなきゃ!』ってだけでした。それで3階のオフィスの窓から、まるで走り出すような形で飛んだみたいです。
そんな飛び降り方だったから、地面への着地は足から。両足のかかとは骨が飛び出る開放骨折で、かかとじゃ体重を支えきれなかったから、次に地面についた腰も10箇所以上、粉砕骨折してました」
この記憶のあとに涼音さんが意識を取り戻したのは、すでに処置が終わった病院のベッドの上。ショックのあまり、どこまでが自身の記憶で、どこからが医師から告げられた事実かは定かでないという。
◆「退院したら死のう」と本気で思っていた
「かかとや腰よりも、折れた骨が太ももの大動脈に刺さった大量出血のほうがヤバかったようで、目が覚めると輸血処置をされてました。全身も固定されていて、最初は『え、ここって異世界? 宇宙人に監禁でもされてる?』なんて思っちゃって。
でも、ちょっと体を動かそうとしただけで走る激痛で、『あ、私。飛び降りたんだ』ってジワジワ実感していって。痛みで首の向きひとつ変えられないレベルでした」
この騒動を、周囲の人たちや涼音さん自身はどう受け止めたのか。
「両親はもともと放任主義なんですが、私が精神を患っているのは知っていた。ショックだったとは思うんですけど、『これ以上は悪いことはないから。こういう転機は人生にはある。きっとこれからいいことあるよ』と前向きな言葉をかけてくれたのをよく覚えています。
私自身は、もう辛い思いをしてまで会社にいかなくていいんだって安堵はありつつ、医者からは『最悪、一生寝たきり』と言われたときの絶望感は大きかった。処置してくださった方や家族にも失礼だとは思いつつ、『退院したら死のう』って本気で思ってました」
◆涼音さんを支え続けた“人形”の存在
そんな胸中にあった涼音さんを救ったのは、彼女の人生にずっと根付いてきた人形だった。
「幼少期から人形のコレクションをしてたんです。とくにかわいいトイ系が大好きで、体が異様に小さいブライス人形なんかも好み。美術系の高校に身を置いてからは、アンティーク系の人形をモチーフにした油絵もよく書いていました。
美大もグラドルの仕事も辞めた20歳のころに、『せっかく自由な時間ができたんだから、ずっと好きだった人形をつくってみたい』と思い立ったんです。有名な人形作家の吉田良さんが出していた技法書を買って、そのまま独学で人形づくりを学び始めました」
就職後、飛び降りにいたるまでも、涼音さんは趣味での人形制作を続け、SNSへの作品投稿などもはじめていた。
「だからこそ、全身が動かない可能性があると言われたときは、『もう人形がつくれないんじゃないか』という意味で絶望したんです。
だけど、お医者さんが2カ月間に及ぶ治療を施してくれた末に、足首の関節は動かないけど、手はちゃんと動かせるようになった。『やった! また人形をつくれる!』って気持ちが1番にありましたね」
◆杖を歩く生活になっても「人形制作に支障はない」
その後、4カ月に及ぶリハビリ生活を送ったが、その施設では涼音さんの制作意欲をさらに増す恩人が現れたという。
「担当の理学療法士さんが、私の作品の写真をみて、『すごくいい!』って絶賛してくれたんです。
『手に職なんやから伸ばすべきだよ。いま休んでちゃもったいない』って、消灯時間の9時を過ぎても、遅くまで作業できるように上の人に取り計らってくれて。こんなに応援してくれる人がそばにいてくれたことは、本当にありがたかった」
リハビリ施設を出た時点では、左足の関節はまったく動かず、装具で90度にとめる必要があった。右足は力が入りづらく、杖をついて歩く生活に。全回復とは言えそうもないが、涼音さんにとってはたいした痛手ではなかったという。
「飛び降りを機に会社を辞めれたし、もう人形制作に打ち込もうと決めていたので。実際、杖をつく程度なら、制作にはたいした支障はありませんでした。
それに、飛び降りを経験して『自由にやろう』という気持ちになれたからか、誰かが可愛いと思うものではなく、自分の感情に任せてつくりたいものをつくれるようになってきました。
それを見た人がどう解釈するのかは本当に自由だと思っているので、感想をもらえるのがすごく嬉しいです。展示会などで私の作品を知ってもらって、そこからさらに人形業界に注目が集まっていくことが、いまは何よりの歓びです」
◆飛び降りなかったら死んでいたかもしれない
現在は、一般企業で働きつつ、人形作家としても知名度を上げている涼音さん。飛び降り後に通いはじめたメンタルクリニックでは「統合失調症」と診断され、現在は合った薬を服用し、メンタルも安定しているという。
そんな彼女はいま、33歳。10年経ったいま、飛び降りた経験をどう振り返るのか。
「変かもしれないけど、結果として大きな後遺症もなく生きのびているわけなので、そこまでマイナスなこととは思ってないです。
逆に、もしあのとき飛び降りていなくて、もっと精神面が悪化していたら、もしかしたら自らの意思で死んでたかも。それくらい、当時は仕事や精神病のせいで苦しめられていたんです。
だからある意味、そのときの環境をリセットできてよかったなって。グラビアもOLの仕事もだけど、ずっと感じていた『何をやっても上手に歯車が回っていかない』という悩みから解放されたし、実際に好きなことをして生きるきっかけになったと思ってる。
だから、あくまで私の人生においてはの話だし、周囲の人に心配をかけたのは申し訳なく思っているけど、飛び降りたこと自体に後悔はないんです」
◆自殺する前に何としてでも環境を変えてほしい
今回の取材でどうしても聞きたかったのは、昨今、自殺者が増えている若者たちに、飛び降りを経験した涼音さんならどう声をかけるかということ。取材時間ギリギリとなったが、涼音さんは最後まで誠実に答えてくれた。
「無理にいまいる場所にい続けた結果『死にたい』って気持ちが増していくのは、『自分には別の居場所がないから、ここでどうにかするしかない』って視野が狭まっている状況でもあると思う。だから、自殺したいって思ったら、その前にまずは何をしてでも環境を変えてみてほしい。
私の場合は、精神疾患の幻聴の症状のせいでわけのわからないまま飛び降りたっていう、強制的な環境の変え方でした。
それでも、変わったあとの居場所ではいきいきとやりたいことをできている。だから、もし自殺が頭をよぎってしまった人は、その前にいまいる場所を変えてみる行動をしてほしいと強く思います」
飛び降りたら、死、あるいは生活に大きく支障をもたらす後遺症が残る可能性も十分にある。そうなる前に一度、一歩引いてあたりを見回し、別の居場所を探すべきなのだろう。
<取材・文/田中慧(清談社)>