小泉堯史監督、松坂桃李「この話は、今だからこそちゃんと残す意義があると思いました」『雪の花 −ともに在りて−』【インタビュー】

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2025年01月18日 08:10  エンタメOVO

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(左から)松坂桃李、小泉堯史監督 (C)エンタメOVO

 江戸時代末期の福井藩を舞台に、数年ごとに大流行して多くの人命を奪う疫病から人々を救うために奔走した実在の町医者・笠原良策の姿を描いた『雪の花 −ともに在りて−』が1月24日から全国公開される。本作の小泉堯史監督と主人公の笠原良策を演じた松坂桃李に話を聞いた。




−監督、今なぜこの映画を撮ろうと思ったのでしょうか。

小泉 吉村昭さんの原作にひかれ、映画にしたいと思いました。僕の今までの映画がそうなのですが、人物にひかれることが多いんです。その人に出会ってみたいという思いが強くありますね。小説から具象的にスクリーンに立ち上げてみたいというか、映画を作ることによって、その人物をもっとよく知ることができるのではと。そういう魅力ある人でなければ撮る気がしないですね。愛情が持てる人であれば、スタッフと一緒になって、その人物のことをもっと深く知っていくことができますから。

−この映画はウイルス(天然痘)を扱った話ですから、当然、コロナのことも意識したと思いますが。

小泉 コロナのことはプロデューサー的に、「これは」というのはあったと思います。僕は撮影が終わっても公開までなかなか次に進めないんです。でも、コロナで3年も4年も空いたので、プロデューサーも心配して、いくつか企画を提示してくれましたが、それはどうも合わなくて。それで、「吉村さんの『雪の花』だったらどうですか」という話をしたら、ぜひそれをと。コロナを意識していないわけではありませんが、歴史と伝統を大切に、医者として病に対峙(たいじ)し、いかに生きるか。その生き方を問う作品ではありますね。

−松坂さんは最初に脚本を読んだ時にどう思いましたか。

松坂 今の時代だからこそ、監督もこの映画を作ろうと考えたのかなと思いました。すごく今と通じるものを感じましたし、疫病がまん延してきた時に隔離する様子もコロナと重なりました。やっていることが今も昔も変わらなくて、すごく身近に感じました。だからこの話は、今だからこそちゃんと残す意義があると思いました。

−良策役に松坂さんというのは、初めから監督のイメージとしてあったのですか。

小泉 脚本を書き始めると、人物が自分の中で動き出しますよね。そうすると「この人物を誰にお願いすればいいか」と想像し始めます。今回は書きながら松坂さんの姿が浮かんできました。

−松坂さんは実際に演じてみて良策のキャラクターをどう捉えましたか。

松坂 疫病が広まったことによって、漢方医だった良策さんが改めて一から蘭方を学び直すというのは、すごく大変なことだったと思います。それは、漢方医としてのプライドもある中で、新しいものを取り入れて、多くの人たちの命を救いたいと思ったからです。無名の町医者ということで、風当たりがすごく強かったにもかかわらず、献身的な妻・千穂(芳根京子)の支えや、役所(広司)さんが演じる日野鼎哉(ていさい)先生をはじめ、多くの人たちの手を借りながら、自分の足を使って、多くの人たちの命を助けるという偉業を成し遂げた。良策さんの医者としての志の強さみたいなものをすごく感じました。

−演じる上で、心掛けたことや気を付けたことはありましたか。

松坂 監督から「本番までに本読みやリハーサルを重ねてきたので、あとはもう素直に演じてもらえればいい」という言葉を頂いたので、それを頼りに演じさせていただきました。本番までにやれるだけのことはやったということです。あとは相手のせりふをきちんと聞いて、その場に立った時に目に入ってくる情報や、相手の表情などもちゃんと受け入れられるようにリラックスした状態で臨むことで、ようやく素直に演じることができるのかなと思いました。

−監督、松坂さんの演技はいかがでしたか。

小泉 俳優さんが難しいのは笑顔ですかね。彼はそれが自然で素晴らしい。それを毎日見られるのは楽しみでした。美しい笑顔は芝居ではなかなか作れない。これは天性のものです。でも芝居は芝居。きちんとその役をつかんで、その人物を実在感をもって立ち上げることが俳優さんの力量です。それは歴史に対する想像力にもつながります。その時代に生きた人をきちんと捉え、現在に生かすことが大事ですから。

−監督の演出で印象に残ったことは。

松坂 今回初めて経験したんですけど、寄りの演技であればあるほどカメラが遠くなっていきました。そうすることによって役者はカメラの存在が気にならなくなり、より自然なお芝居に近づけるというお話を聞いた時に、なるほどと思いました。自分が今まで経験した現場だと、寄りの演技であればあるほどカメラは人物に寄るのですが、小泉組は逆なんです。すごく新鮮でした。

小泉 僕なんかそれほどでもない。黒澤(明)さんだったらセットをブチ抜き、ステージの隅までカメラを持っていきますから。

−監督、松坂さんが暴漢をたたきのめすシーンは、黒澤監督の『赤ひげ』(65)で三船敏郎さんが遊郭のやくざをたたきのめすシーンととても似ていると思ったのですが、意識しましたか。

小泉 それを意識はしていませんでしたが、僕が映画界に入ったきっかけは『赤ひげ』でしたから、どこかに身についてしまっているというか、頭で考えなくても体の中に染みついているものがあるから、脚本を書く中で自然に出てきたのかもしれません。

−監督は時代劇もたくさん撮っていますが、時代劇の魅力や可能性についてはどのように考えていますか。

小泉 自分の中では時代劇、現代劇という区別はありません。時代劇、要するに歴史といっても人間の営みは現代と全く同じです。その時代に生きている人たちが今の自分たちにつながる。司馬遼太郎さんは「ビビッと電流が通う」みたいな言い方をしていました。それがなければ、過去の時代の歴史は生きてこないわけです。歴史とは自己のことだと考えれば、時代劇も自分の発想で自由にやれるところがあります。それと、この笠原良策もそうですが、時代劇はなかなか現代では出会えないようないろいろな人物と出会える。そういう点では非常に魅力的です。それを今の人に伝えて、感じてもらうことが大切ですし、歴史が現在生きるわれわれの想像力を刺激するという楽しさもある。また、時代劇の中では、日本人の持っている美しさというか、姿の美しさを表現することもできますしね。

松坂 台本を読んだ時に、現代にも通じるものがあるから共感できたし、演じながら疫病のような未知のものに対しての恐怖や不安は今も昔も変わらないと思いました。だから時代劇ということで距離を置いてしまうと、歴史の1ページを見るぐらいの感覚になってしまうけれど、現代劇と何ら変わらないものとして捉えてもらえると、時代劇をとても身近に感じることができるので、早く皆さんにこの作品を届けたいという思いがあります。

−最後に、この映画の見どころを。

小泉 『雨あがる』(00)の時、黒澤さんは「見終わって、晴々とした気持ちになるような作品にすること」と言いました。今回も、爽やかな気持ちになって劇場を後にしてもらえたらうれしいです。小津(安二郎)さんは「映画は後味が勝負だ」と言っていました。作り手としては、それを目指したい。映画は映像と言葉の調和の美しさ。要するに全部が見どころなんです。映画全体から感じ取ってもらうことが大事なのだと思います。

(取材・文・写真/田中雄二)


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