有村架純、地震で倒れたタンスの下敷きに 阪神・淡路大震災特番でナレーション担当

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2025年01月19日 07:00  ORICON NEWS

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NNNドキュメント'25『ここに、たしかに、死があった 大震災を知らないあなたへ』ナレーションを務める有村架純
 俳優の有村架純が、きょう19日放送の日本テレビ系NNNドキュメント’25『ここに、たしかに、死があった 大震災を知らないあなたへ』(深0:55〜1:25※全国ネット)のナレーションを務める。

【バングにカット】あちこちに煙が…発災直後の神戸の様子

 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災。兵庫・伊丹市出身の有村は、当時1歳で被災した。自宅は、ことごとくガラスが割れ、家具や棚が倒れた。有村も倒れたタンスの下敷きになったが、父親に助け出され、けがはなかった。

 有村は当時の記憶はないものの、震災について、幼いころから家族らから聞き、防災への意識や自身の価値観に大きな影響があったという。

 30年経った今、神戸の街は再開発で生まれ変わり、被災の痕跡は消えている。「想像できない」「戦争のような古い出来事」という世代が増えつつある。しかし、たしかに、ここには死があった。母を亡くした兄弟、2人の子を亡くした父、教え子を亡くした教諭、残された人たちの30年をたどり、大震災が奪ったものの大きさと尊さを伝える。

 鈴木佑一さんは、当時住んでいた母と子の支援施設「神戸母子寮」で被災した。暴力をふるう父から逃れるため、母の富代さんと兄の一馬さんと3人で暮らしていたが、富代さんは全壊した建物の下敷きとなり、亡くなった。父は一馬さんだけを引き取り、佑一さんは児童養護施設に。2人は生き別れとなった。

 震災から28年後の2023年、一馬さんの居場所を知った佑一さんは、意を決し会いに行った。2人は再会を果たし、一緒に母の墓の前で手を合わせた。止まっていた家族の時間が再び動き始めた。

 番組では、2人の子どもを亡くした父親と震災後に生まれた息子のそれぞれの思いや、教え子の児童を亡くした教諭が震災を語り継いでいる様子を追う。

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