都内の主要なエキナカの一角の店舗はもとより、最近では大手コンビニやカフェチェーンのスイーツコーナーを覗くと、大きな八角系のロゴが描かれた“パン”がある。カスタードを定番にさまざま味を展開している、冷やして食べる「くりーむパン」だ。
本商品を展開するのは、広島発の株式会社八天堂。同社はクリームパン一つで、広島から東京に進出し、さらに海外へとその名を広げている。ではなぜ「クリームパン」で同社は成功できたのだろうか。
今回は常務取締役 事業統括本部長の藤井康平さんに、八天堂がクリームパンを看板商品に選んだ理由や、売れるようになるまでの苦労、今後の展望などを聞いてみた。
◆和菓子屋としてスタートした八天堂
八天堂のはじまりは1933年まで遡る。「昭和初期、まだ甘いものが貴重だった時代に甘いお菓子で少しでも周りの方々を明るく元気にしたい」という想いから、和菓子屋としてスタートした。
そこから戦後西洋の文化の影響を受け、二代目が洋菓子を取り入れ「和洋菓子」の店へ。さらに三代目では「焼き立てパン」業態へと、これまで形を変えながら会社を続けてきた。2023年に創業90周年、会社創立70周年を迎えた。
そんな同社だが、これまで決して順風満帆な経営だったわけではなく、実は倒産危機を経験してきたという。
◆「八天堂といえば○○」という商品を作りたい
「三代目のパン屋の売り上げは、焼きたてパンブームの先駆けとして好調でした。
ところが、時代とともにコンビニや焼きたてパン屋が次々に出店する外部環境の変化と、人財育成が追い付かない中での経営もあり、当時13店舗あるうち数店舗が赤字に転落し、初めての倒産危機に直面しました。
その後は、なんとか立ち直るためにビジネスモデルを変えて製造卸をスタート。当時まだスーパーの袋詰めパンには無かった天然酵母・地産地消などこだわりのパンを、地元のスーパーへ卸すことにしました。
結果この戦略はヒットし、売り上げが回復。しかし時間の経過とともに、地元のパン屋もスーパーの卸業態に次々と進出、少しずつ陰りが見えてくるようになりました」
焼き立てパン屋の業態での倒産危機の経験もあり、「このままでは卸売り業態も競合や環境の変化により益々厳しくなる」。そんな学びを得た社長は、ある大きな決断をしたという。
「目的買いしていただける『八天堂の看板商品』をつくることにしました。当時100種類ほどを超えるパンを製造していましたが、選択と集中で『八天堂といえば〇〇』という商品を作らなければと思ったんです」
◆日本人の嗜好に合わせた「くちどけ×クリームパン」を開発
三代目の社長は、未来の「八天堂の看板商品」について悩み続けた。
メロンパンやクリームパン、ジャムパン、あんぱん、クロワッサン、食パン──。パン屋に並ぶ人気商品、いわゆる“スタンダード”なパンに対して、何か“スタンダード”な要素を加えれば、新しい“イノベーション”が生まれるはずだと考えた。
またこの開発をきっかけに、東京進出を決めていた同社。一流ベーカリーが多く、おいしいパンも数え切れないほど多い東京に対し、広島からの輸送が前提となるため「冷めても美味しいパン」であることが条件となった。
さらに様々な試作を行う中たどり着いたのが「くちどけ」というキーワード。「くちどけ」は日本人の食の嗜好の一つ。当時“くちどけの良いパン”と呼ばれるものは存在しなかったが、クリームパンであれば、それが叶えられるかもしれないと考えた。
「『くちどけ』を実現するためには、生クリームを使用することが必要でした。ただその場合は冷蔵保管が必要であり、なおかつ焼き上げる前にクリームを包むと、焼成時に溶けだしてしまう。
そこで、焼き上げた後にクリームを入れることができる“くちどけの良い”配合のパン生地の開発、焼き上げたパンにクリームを入れる方法をかなり模索しました」
◆和洋菓子屋時代の人気商品がヒントに
試行錯誤する中で、ヒントになったのは先代の和洋菓子屋で人気だったある商品だという。
「和洋菓子屋の時代に人気だったショートケーキがパン生地のヒントになりました。パンは強力粉でつくりますが、薄力粉を配合することで、冷やしても硬くならないくちどけの良い生地ができました。
また焼いたパンにクリームを注入する工程では、シュークリームで使っていた“シューポンプ”を活用。冷蔵庫で保管することによって、翌日にはパン生地に水分が移行し、さらにくちどけの良い理想の食感になりました」
和菓子、和洋菓子屋、パン屋の経験があるからこそ作れる、これまでの技術を活かした八天堂ならではのくりーむパンが誕生した。
◆広島から東京へ「エキナカ」出店が成功の鍵に
広島で試験販売を重ねた後、準備を整え東京に進出。期待と不安を持ちながらのスタートだったが、ある出来事からくりーむパンの需要に気がついた。
「あるお客様から『お持ち帰り用の箱はないのか』って聞かれて。ケーキはお持ち帰りの時、よく箱に入れるじゃないですか。ただ私たちはパン屋だったので、これまで『箱がないのか』なんて聞かれたこともなくて。
すぐに無地の箱を準備して、くりーむパンを5個セットで詰めてみた。するとそのセットがどんどんと出ていくんです。予想外の出来事で驚きました。
『どうして』とお客様に尋ねたら『おいしいから誰かに持っていこうと思うんだ』と。なるほど私たちのパンは、パンじゃなくて“スイーツ”に近いものとして受け入れられたんだと思いました」
◆東京出店後10倍の売上を達成
お客様の反応から売れることを確信した同社は、一点集中に踏み切った。2009年には東京での販売を請け負ってもらえるパートナー会社とも巡り合えた。
「最初は東京都北部の『東十条商店街』での販売でした。反響は予想を上回り、売れ行きは絶好調で目標であった山手線内での販売につながりました。五反田駅、埼玉県大宮駅での催事販売でも大きな反響をいただき、品川駅でも販売することができるようになりました」
販売を続けていくうちに、口コミから徐々に広がり、メディアに取り上げられると瞬く間に認知が拡大。東京出店後、1年で約5倍、数年後には約10倍の売り上げ増を達成した。
◆“飽きさせない”味で、販路を増やし続ける
さて、たった一つ“くりーむパン”に絞った八天堂だが、飽きさせないために、どのような工夫をしているのだろうか。
「もう一度食べたくなる味を常に意識しています。イメージはお母さんの握ったおにぎり。なんか母親が作るおにぎりって、定期的に食べたくなるじゃないですか。
今も毎月たくさんの商品を開発して新作のくりーむパンを販売していますが、全ての商品において余計なものはほぼ入れないことや、濃い味は使わないことを徹底しています」
エキナカを飛び出し、現在はコンビニや大手カフェチェーンでもその姿を見かけるようになったくりーむパン。その理由には、開発当初からのある想いがあった。
「当初から各地域で『ここに行けば食べられる』という状態を実現したいと思っていました。その想いは今も変わっていません。ただ一社でできることは限られているので、最近は多くの企業様と商品を開発しています。
今後もより良い未来が描けるのであれば、お互いの強みを活かして、積極的に連携していきたいと思っています」
◆日本が生んだ新しいパンの文化を世界に広げる
くりーむパンを通して、“パンの手土産”という新しい文化を創ってきた八天堂。2024年秋には、そごう広島、そごう横浜への出店をスタート。現在もさまざまな企業とコラボレーションしながら、次々に新商品を発表している。
12月27日からは「八天堂 そごう横浜店」をリニューアルし、「新スタイルのくりーむパン」も発売した。
さらに日本全国だけではなく、シンガポールや香港、マレーシア、カナダなど海外にも販路を広げている。しかし海外での展開においては、まだまだ課題があるようだ。
「日本には何かを買って帰る“手土産”の習慣がありますが、海外にはありません。つまり海外でくりーむパンを受け入れてもらうためには、違う訴求を考えないといけないのです。
まだまだ『この食べ物は一体何なのかわからない』と言われることもあり、今は試食をしていただきながら海外での需要を探っています」
また現在企業としては本業から発展した、「体験型の食のテーマパーク」や「農福連携事業」など社会や地域に貢献できる事業に積極的に取り組んでいる。
なかには社員主導の新たな事業も生まれているんだとか。くりーむパンを通して世界に挑戦していく八天堂の今後が楽しみだ。
<取材・文/フジカワハルカ>
【フジカワハルカ】
広島生まれ、東京在住のライター。早稲田大学文化構想学部卒。趣味で不定期で活動するぜんざい屋を営んでいる。関心領域はビジネスと食、特に甘いものには目がない。X(旧Twitter):@fujikawaHaruka