吉岡里帆、華やかな着物姿で笑顔 なじみ深い大覚寺の展覧会「父と絵を描きに行った思い出が」

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2025年01月20日 10:58  ORICON NEWS

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華やかな着物姿で笑顔をみせた吉岡里帆(C)ORICON NewS inc.
 俳優の吉岡里帆が20日、東京・上野の国立博物館で開創1150年記念 特別展『旧嵯峨御所 大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―』の取材会に参加した。

【全身カット】美しい…!華やかな着物姿で登場した吉岡里帆

 重要文化財『牡丹図』(狩野山楽筆 江戸時代・17世紀 京都・大覚寺蔵)の前で取材会は行われた。華やかな白い着物姿で登場した吉岡は音声ガイドのナビゲーターを務める。大覚寺は思い出深い場所だそう。「大覚寺は幼少期のころ育った場所からとても近い場所にありまして。父と一緒に大沢池という本当に美しい大きな池があるんですけど、大沢池の絵を描きに行った思い出があります」と笑顔。「時代劇の撮影場所としても使わせていただいてるご縁もあって、私も時代劇で大学時代に撮影した経験もあります」と振り返っていた。

 会場をひと足早く内覧。「圧倒的な100面の障壁画が集まってる。お寺の方々もここまで一斉に集まるのを見ることはそうそうないということで、とてもこう貴重な展覧会になっています」と呼びかけながら「京都の大覚寺さんの天皇家ゆかりのとても華やかな空気感を味わっていただけるような展覧会かなと思います」と発信していた。

 京都西北に位置する嵯峨(さが)は、古くから風光明媚な王朝貴族遊覧の地として愛されてきた。平安時代初期、嵯峨天皇(786〜842)はこの地に離宮・嵯峨院を造営し、空海(774〜835)の勧めで持仏堂に五大明王像(現存せず)を安置。その後、貞観18年(876)に皇女・正子内親王の願いで寺に改められ、大覚寺が開創された。

 令和8年(2026)、開創1150年を迎えるのに先立ち、優れた寺宝を東京国立博物館で一挙に紹介。中でも、寺内の中央に位置する宸殿は、元和6年(1620)に後水尾天皇に入内した和子(東福門院)の女御御所を移築したものと伝えられ、内部を飾る襖絵・障子絵などの障壁画は、安土桃山〜江戸時代を代表する画家・狩野山楽(1559〜1635)の代表作として重要文化財に指定されている。本展では120面を超える障壁画のほか、信仰の歴史を跡付ける歴代天皇の書や、平安時代後期の仏像を代表する明円作『五大明王像』など、密教美術の名品も公開している。

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