アキュラNSX GT3を駆り2019年のGTDクラスでシリーズチャンピオンに輝いたトレント・ハインドマンは、ウェイン・テイラー・レーシング(WTR)でIMSAウェザーテック・スポーツカー選手権のフルタイム・プログラムに戻るあたり、「適切なタイミングで、適切な場所」にいると感じたと語った。
メイヤー・シャンク・レーシング(MSR)でGTDタイトルを獲得したニュージャージー州出身の彼は今週末、2025年の開幕ラウンドであるデイトナで、ダニー・フォーマル、グラハム・ドイル、カイル・マルチェッリとともにWTRの45号車ランボルギーニ・ウラカンGT3エボ2をドライブすることとなっている。
またハインドマンは、ウェザーテック選手権の残りのシーズンで、フォーマルとペアを組むことが決定済み。29歳の彼は一年間のブランクを経てフルタイムの競技に復帰する予定だ。
彼の以前のフルシーズンの取り組みは2023年で、ボルト・レーシング・ウィズ・ライト・モータースポーツのポルシェ911 GT3 Rをドライブし、GTDプロとGTDの2クラスで表彰台を獲得した。それ以前はサポートシリーズのIMSAミシュラン・パイロット・チャレンジで断続的に活躍していたが、北米最高峰シリーズでフルシーズンを完走したのは2019年以来のことだった。
「2020年はロングレースにしか出ていなかった」とハインドマンはSportscar365に語った。「2021年は何もなかったようなものだったが、その後ライト・モータースポーツと一緒にレースに出場した。ライアン・ハードウィックが良い機会を与えてくれたんだ」
「しかし、それはある意味断片的なシーズンだった。すべてのレースに出場したわけではない。2022年はウェザーテック選手権では何もしなかった。そして2023年が最後のフルタイムシーズンで、昨年はロレックス24(デイトナ24時間)だけだった」
「2019年以来、本当の意味でのフルタイム・シーズンが一度しかないんだ。1年間、安定した場所に居られるのは素晴らしいことだし、少なくとも僕にとっては、前を向いて結果を出すことに集中する機会を与えてくれる」
ハインドマン自身が認めているように、彼がフルシーズンのグリッドから離れたのは状況と選択の結果であり、GTDのグリッドに戻る方法を見つけるのは容易なことではなかったと言う。
「その両方が少しあった」と彼は述べた。「例えば2022年、その多くは『ここで優先すべきことはなんだろう?』というものだった。別のチームと別のメーカーで始めたいのか? というふうにね」
「その時点では、ライト・モータースポーツとアラン・ブリニョルフソンとの関係は非常に強固で、僕の見方ではそこには未来があった」
「だから最終的には、『よし、ここに全力を注いで、今あるチャンスでできる限りのことをしよう』という感じだった」
「何を優先するかを選ぶというようなケースもあった。しかし、多くの場合、例えば今年もそうだったが、エントリーリストですべてのカテゴリーを見たとき、とくにGTのグリッドに並んでいるすべてのチームを見ると、ここにはない名前があることに気づくだろう」
「そのときに思い出すんだ。『一歩下がって、自分が持っているものや今いる場所に幸運があるように』という気持ちもあるが、コース上だけでなく、ショーに行くためだけにも、このような競争環境にあることを理解する必要がある」
「そういうことがたくさんある。だから、適切な場所で適切なタイミングをつかむことが幸運だったのだと思うよ」
ハインドマンは、昨季2024年のウェザーテック選手権からの事実上の欠場は、当初の計画ではなかったと明かした。ライリーとデビッド・ブルールと一緒にケリーモスでフルシーズンを戦う予定だったが、計画が頓挫したのだ。
「残念ながら(フルシーズン・プログラムが)実現しなかった」とハインドマンは当時を振り返った。
「一緒に仕事をしていたブロンズのドライバーはデイトナの後、プログラムを継続しないと決めた。それが現実だった」
「いずれにせよ『よし、もう一度方向転換して、僕が知っている場所に行く必要がある』ということだった。自分の役割を果たし自分の仕事をすれば、長期的な未来が手に入るだろうとわかっている」
「だから、昨年の1月からは状況をうまく軌道に乗せて、その行き先がどこになるのかを見極めようとしてきた」
「そして、明らかにWTRとは、僕がランボルギーニ・スーパートロフェオを走っていた頃からの長い付き合いがある。トラビス・ハウジ(WTR副社長兼GM)やGTDチームを率いるマット・ブローガン、デイブ・ワグナーなど、核となるグループは全員(当時と)同じだ」
「あの後チームは大きく拡大した。今では彼らは本当に、本当に素晴らしい新しい施設を持っている」
「しかしそれは、以前の関係があり、僕がフリーで僕のような誰かが入ってくることを必要としているというシナリオがあったから実現したことであり、その意味では非常に幸運だったと思う」