多くの医療系コミックエッセイを描く著者・水谷緑氏は、担当編集者の友人を介して、まどか先生と出会った。そのまどか先生の人柄に惚れ込み、水谷氏が描いたのが「まどか26歳、研修医やってます!」(KADOKAWA 刊)だ。
【写真を見る】漫画家・水谷緑×医師・まどか先生 2人が出会い生まれたコミックエッセイの裏側には“人生の選択”があった
火曜ドラマ『まどか26歳、研修医やってます!』では、水谷氏がまどか先生に取材し知り得た医療現場の裏側や同期たちと切磋琢磨して研修に立ち向かう2年間が描かれている。ここでは、2人がそれぞれの職業を目指すきっかけとなった出来事や、“人生の選択”で大切にしたことなどを語ってもらった。
家族がきっかけで描くことを決めたコミックエッセイが漫画家への第一歩に学生時代は漫画家を志していたという水谷氏。けれども本格的に目指す根性がなく、大学卒業後は広告制作会社に入社し、仕事や結婚などへの悩みを抱えていたそう。転機となったのは、その頃に研修医となった弟から聞いた医療現場の裏話。その話を基に一念発起し、「第22回コミックエッセイプチ大賞」に応募、受賞したことで水谷氏は漫画家としての道を歩みはじめた。
「父が1年ほどガンで入院していた時期があったんです。その時に“病院ってこんなところだったのか” “看護師さんってここまでやってくれるんだ”と驚きました。特に、入浴が困難だった父の体に、お湯が入ったビニール袋を当ててくれたことを不思議に感じたのを覚えています。そのあと、研修医になった弟から、差し支えない範囲でいろいろ現場エピソードを聞いたのが面白くて。それらの話を基にフィクションをまじえてコミックエッセイを描いて賞に応募したんです。当時は研修医をテーマにしたコミックがあまりなかったので、珍しかったんだろうなと思います」(水谷氏)。
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賞を取ったコミックエッセイについて尋ねると、水谷氏は「当時は何事にもやる気がなくて、実は原稿も消せるボールペンで描いていたんです(笑)。しかも、仕事中に隠れて描いたりしていました」と振り返る。
一度出会った縁は途切れずに続いていく水谷氏は現在も多くの医療系コミックエッセイを執筆している。その中で出会った医師や看護師との交流は途切れずに続いているという。中でも、「離島で研修医やってきました。」(KADOKAWA 刊)の時に出会った“おじいちゃん先生”とは年賀状や手紙のやり取りをしているそうだ。「やり取りの中で、『自分はちょっと弱いから合気道を習っていたんだ』と書いてあった時は驚きましたね。院長もされているような80代の方でもそういった気持ちになることがあるのかと思いました」と驚いたエピソードを語ってくれた。
別の医師からは「私だけ年を取っているみたいだ。ヤングケアラーの再生日記」(文藝春秋刊)を送付した際に、「忙しくてあまり子どものことを顧みることが少なかったことで、もしかしたら自分の子どもをヤングケアラーにしてしまったかもしれない」と感想をもらったこともあるという。「取材時にも等身大で率直に話をしてくださった方たちから、そういった悩みを打ち明けてもらうと、そこで新たなアイデアが生まれることも。私も私でいま抱えている悩みを相談させてもらったり、ご縁が続いています」と教えてくれた。
尊敬できる医師との出会い。諦めずにつかんだ試験合格まどか先生は幼少期から医師になることを目指していたという。「子どもの頃は車のドアに指を挟んでしまったり、車にはねられてしまったり、整形外科に通うようなけがをすることが多くて。その時に治療に当たってくれた医師がとても良い方で、そこで素敵な職業だなと感じて目指したんです」ときっかけを語ってくれた。
そんなまどか先生に難関の医学部受験について尋ねると「私は野球を見ることが大好きで、高校や大学はもちろん、就職先も球場の近くで決めました」という答えが返ってきた。「ただ、球場が近い大学はどこもだいたい偏差値が高くて、ギリギリまでどうしようかと探して、自分の条件に合った大学を見つけられたのが出願の3日前。願書も手元になかったので、予備校に連絡して余りを受け取って郵便局に向かうも『土日は届かないかもしれません』と言われてしまって…。でも月曜日必着だったので、姉がその大学まで願書を出しに行ってくれました。姉は自分のおかげで受かったと言っていますね(笑)」(まどか先生)。
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ドタバタと受験期を乗り越えたまどか先生は、どんな大学生活を過ごしたのか。「勉強に打ち込むタイプの学生ではなかったので、大変でしたね…。野球のシーズンが全て終わってから国家試験まで詰め込めるだけ詰め込んで。実は卒業試験も3日前まで球場にいたんです。そんな状況で『無理かも』とぼやいたら、仲間たちからは『自業自得だよ』と冷たく言われましたね(笑)。実際、一度卒業試験に落ちているのですが、卒業試験に落ちると国家試験には受かるというジンクスがあったので(笑)、追試と国家試験は無事合格しました。仲間たちの協力もあっていまの自分がいます」とドタバタ劇が続いたことを明かしてくれた。
気兼ねなく相談できる同期であり、仲間と出会った研修医時代無事に試験を乗り越え、研修医となったまどか先生。そこで12人の同期と出会う。「最初はみんな何もできないので“お客さま”状態でしたが、少しずつできることが増えていき、『点滴ができるようになった』『手術の手伝いができた』と自慢し合いましたね。いま振り返ると楽しかったこともつらかったこともたくさんありましたが、いい仲間に恵まれたなと思います」と振り返る。
いまでも親交があるという同期たち。「12人全員はもちろん、その家族も集まって、昨年はバーベキューをしました」とうれしそうに語るまどか先生。12人それぞれ診療科が異なることから、自身の専門外のことで困ったことがあると相談に行くことも。「眼科の同期に、家族が白内障の手術を受けたほうがいいのか聞く人もいれば、私も頭に疾患ができてしまった時、脳外科の同期に写真を送ったところ『これはオペだ。病院へ行ってこい』と言われたこともありました。一番フラットに気兼ねなく相談できる医師であり、仲間。私も相談されることもあります」と頼れる仲間の存在を明かした。
“人生の選択”の中で大切にしたこととは人生の大きな選択を乗り越え、現在漫画家として活躍する水谷氏と、日夜患者さんの治療に励むまどか先生。その選択の中で大切にしていたことを尋ねてみると水谷氏は“面白がること”を挙げた。「それこそまどか先生に教えてもらった、『精巣がきれいだった』とか、医者の仕事でしか見られない世界があるということに、私は面白さを感じたんです。もしかしたら、この面白さが伝わらないかもしれないかもと思いながらも、きっと面白がってもらえる人もいると思ったので描いてみようと。まどか先生にたくさん資料を見せてもらえたことも大きいです」と教えてくれた。
まどか先生は“好きなことがあること”を挙げた。「久しぶりに中学の頃の卒業文集を見返してみたら、野球のことしか書いていなかったくらいずっと好き。私の場合は野球ですが、どんなジャンルでも、恋人や家族に話をすることでもいいので何か発散する術を持つことは大切です」と明かしてくれた。
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誰にも等しく“人生の選択”を迫られる時が訪れるが、その種類や回数は人の数だけ異なる。水谷氏とまどか先生が出会ったことで生まれた作品もその1つだろう。なんでも「面白がって」「好きなことに熱中する」2人だからこそ、ユーモアのある医療現場の裏話が描かれているのだと感じた。