『だが、情熱はある』のオードリー・春日役、朝ドラ『虎に翼』主人公・寅子の同級生・轟役など、話題作で印象的なキャラクターを巧みに演じ、近年注目を集める俳優・戸塚純貴。
1月29日に発売される『登場人物未満』(KADOKAWA)は、都内の遊園地や釣り堀、ボードゲームカフェなど各所で撮影された戸塚の写真をもとに、作家・くどうれいんが物語を生み出す、というコラボ企画。『ダ・ヴィンチ』で2023年から約1年連載された本企画が書籍化され、1月29日に発売された。本書の発売を記念して、戸塚純喜にインタビュー。連載時の撮影エピソードや制作の裏側について語ってもらった。
◾️「くどうさんの想像力が膨らむような写真を撮影していった」
――〈まさかこんな形で、書籍を出させていただくとは。〉と「はじめに」で書かれていますが、おもしろい試みの一冊ですよね。どんな物語を書かれるかわからないまま、最初に写真だけを撮るというのは、どんな心持ちで臨むものなんでしょう。
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戸塚純貴(以下、戸塚):とにかく、くどう(れいん)さんが想像力を膨らませられるようなものであってほしいな、と。基本的に、僕がひとりで何かをやっている姿を撮る、というコンセプトだったんですけど、背景や使っているアイテムも含めて、情景ごとおもしろがってもらいたいと思っていました。どんな物語にすればいいんだろう、とあれこれ考えをめぐらす時間すらも、くどうさんに楽しんでもらいたかったから。
――ああ、だから、どの写真も空間が生かされているんですね。
戸塚:何かの役を演じるというわけではないので、その場所に自然体でなじもうと。かといって、素の僕をさらけだすというわけではないので、用意された景色や洋服、目の前にあるものに身をゆだねることで、引き出されるものもあるのじゃないかとも思いました。くどうさんが何か引っかかりを覚えるよう、喜怒哀楽のいろんな表情をつくっていたと思います。だから、物語の内容だけでなく、「くどうさんは、その一枚にピンときたんだ!」という驚きも毎回、ありましたね。
――決めの一枚をお渡しするのではなく、物語に添える写真も、くどうさんが選んでいたんですね。
戸塚:Vol.5の「めぐちゃん」は遊園地で撮影したんですけど、笑顔の写真を選ぶんだ〜とけっこう意外でした。どちらかというとシュールな表情を浮かべている写真のほうが多かったのに。しかも、物語の内容は、終わってしまった恋愛。そんなふうに、くどうさんの目には映ったんだなあと新鮮でした。いちばん意外だったのはVol.10の「みゆ」ですが。
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――「やっぱりみゆのこと好きで、みゆと元に戻りたいから地獄に来ましたあ」と元カレがスマホに送ってきた写真、というていの一枚。これ、めちゃくちゃいい写真で、めちゃくちゃいい物語ですよね。
戸塚:正直、なんの脈絡もなく写真を撮ったんですよ。溶岩の前で、全身白のラフな格好で、両手を広げて。こんな写真から恋愛要素が膨らんでいくことなんてあるんだ、とびっくりした。「めぐちゃん」よりド直球の物語だったから、照れくさくもありましたね。毎回、小説に対するアンサーの文章を僕が書いていたんですけど、それも恋愛的な内容にしなくちゃいけないのかなって……。苦手なんですよ、そういうの(笑)。
――確かに、戸塚さんが恋愛を語っているところは、あんまりイメージにないですね。
戸塚:自分の経験を書くのも、完全にフィクションで書くのも、どっちもこっぱずかしいなあって。かといって、まるで実感のないことを書くと、読者の共感が得られないかもしれない。最初は戸惑いましたけど、やっぱり、くどうさんの書く物語には力があるんですよね。みうという女の子のまなざしを通じて、元カレがどういう人間なのか、彼女とどんな関係を育んできたのか、ありありと浮かんできましたし、僕の想像力も刺激された。わりとすぐに、アンサーを書きあげることができました。
――アンサーの文章は、どれもとてもよかったですよね。くどうさんが戸塚さんに与えた役の視点で書かれているものもあれば、物語そのもののイメージで俯瞰的に、抽象的に描かれているものもあって。
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戸塚:最初は、すべて小説とは関係のない文章にしようと思っていたんですよ。でも、途中から、くどうさんのつくりあげた世界観に乗っかるのが楽しくなってきて。そもそも文章を書くのに慣れていなくて、技術も余裕もなかったから、その場その場で書けるものを書くしかなかったというのもあるけれど、次はどんな球を投げてくれるんだろうとわくわくしながら、文通するような気持ちで回を重ねられたのが、結果的にはよかったような気がしますね。
――同郷、ということで通じ合うものもあったのでしょうか。
戸塚:ありました。とくにVol.7〜12は盛岡で撮影していて、Vol.7はカワトクという僕らにとって馴染み深いデパートの屋上での一枚なんですよ。まさか犬目線で小説を書いてくるとは思わなかったけど(笑)、同時に腑に落ちるものがあって。実家の思い出に紐づいた場所だからこそのあたたかみがあったというか、いろんな感覚が嚙み合った気がしたんですよね。
――地元で撮影すると、やっぱりその場にもなじみやすかったりするのでしょうか。
戸塚:安心感はありましたね。ただ、毎日の通学路だった道で、衣装を着て撮影してもらうのは、ちょっと不思議な気分でしたけど(笑)。あとはけっこう、地元の思い出が邪魔をして、なかなか文章を書けないってこともありました。この書籍ならではの、新しさを生み出したいのに、どうしても過去に引っ張られてしまう。
――Vol.9でフレンチトーストについて書かれたアンサーは、郷愁を誘うような、過去をまるごと愛するような味わいがあって、めちゃくちゃ好きでしたけど。
戸塚:商店街にあるパン屋さんの前で撮影したんですけど、そのめちゃくちゃ近くに住んでいたんですよ。だから当然、そのパン屋さんも行ったことがあって……。早朝に、いきなり「ここで撮らせてもらっていいですか」とお願いして、の写真だからちょっと寝ぼけたような表情をしている気もするけど(笑)、アンサーは、自分でもけっこういい文章を書けた気がします。文字数がやたらと多くなってしまって、レイアウトでご迷惑をおかけしましたけど、全部載せられてよかった。
――戸塚さんの文章って、セリフを言う人の文章ですよね。句読点の位置が、文章的な正しさではなく、呼吸の場所という感じがします。
戸塚:それは、あると思います。ふだんは感情をセリフに載せて口に出すことが多いから、文字だけで表現したときに、どうしても伝わらないものが生まれてしまうのが、もどかしくて。ふだんの僕たちがどれほど、声のトーンや言い方のニュアンスに助けられているのか、実感しました。句読点の位置は、なんとか伝わってくれ、冷たく響いてくれるなという僕の願いでもあると思います。
――Vol.1の文章からして、すごくよかったので、ふだんから書くことがお好きなのかなと思ったのですが。
戸塚:めっそうもない! 基本的にはいつも、四苦八苦。めちゃくちゃ時間もかかっていました。とりえあえず書きあげてはみたものの「これじゃない」「おもんない」ってボツにするしかなくて、〆切が近づいているのがわかっていても、なかなか送れないなんてことばっかりです。でもふと、コンディションがうまいぐあいにハマるというか、するするっと筆が進む瞬間がやってくるんですよ。その時を待つしかないのもまたもどかしかったんですが……文章を書く方たちの生みの苦しみって、こういうことなのかなあ、なんて思ったりもしました。おこがましいですけどね(笑)。
――とくに苦労した文章はありますか?
戸塚:Vol.14は、芸能の仕事をしている男とマネージャーの話で、あまりに自分と近い題材だったから、なかなか上手に書けなかったです。最初に書いたものは、生々し過ぎてボツにしました。最終的に掲載されているものも含め、実際のマネージャーについて書いたわけではなかったんだけど、地元の記憶以上に、邪魔してくるものがあって……。ソリッドになりすぎちゃったのかな。あと、Vol.12の文章も、いまだに不安。
――ラジオパーソナリティの男が、おたよりを読み上げなら終始一人語りする小説で、戸塚さんのアンサーも同じ形式がとられていました。
戸塚:僕、ラジオって毒を吐くものだと思っていて。くどうさんが書いてくれた小説では、あたたかみのあるパーソナリティとして描かれていたけど、ブラックユーモアのある彼のB面を表現してみたいなと。あえて逆のキャラクターをつくりたい、とチャレンジしたからこそ、ちょっと不安。
――両面あることで、実在するパーソナリティのようなリアリティが生まれたと思います。
戸塚:だったらよかったです。さっきも言ったとおり、同郷ならではのシンパシーをくどうさんには感じていたんだけれども、だからこそお互いのパーソナルな違いが見えてくることもあって。そのズレを楽しんでいるところもありました。
◾️「他人からどう思われたいというのが本当にない」
――本書には、連載開始前にくどうさんと戸塚さんがファミレスでお話したときの様子が、小説のようなエッセイのようなかたちで掲載されていますけど、そこでもお二人の本質的な違いが浮かび上がっていて、おもしろかったです。
戸塚:そこにも書いてあるんですけど、僕は他人からどう思われたいというのが、本当になくて。昔から、気にしたことがないんですよね。「戸塚さんってこういう人ですよね」と言われて「違うなあ」と思ったとしても「そうなんですよ〜」って言っちゃう。誤解されたとも思わないし、別にいいかなあ、って。自分のすべてを教えたくないという気持ちもありますし。
――人からの評価も気にならない?
戸塚:うーん、どうかな。他人の顔色は常にうかがって生きていると思うんですよ。子どもの頃から、大人が喜ぶであろうポイントを見つけて実践するのは得意だった。この人の好きなタイプの子どもになろうとか、この人がそうあってほしい僕でいようとか、そんなふうに自然と対応している気がします。かといって、自分を偽っているとか、演じているとかではないんだけれど。
――他人を気にしないというよりも、他人の感情を尊重するから、それをねじまげないようにふるまっちゃう、ってことなんでしょうか。
戸塚:ああ、そうかもしれません。今考えると、それが役者という仕事にも通じているかもしれませんね。求められているものに合わせて、たたずまいをなじませるという意味で。仕事の場合は、そのうえでどうすれば相手の想像を越えられるかを考えていくところがあるけれど。求められた人生を表現して、何者かになる過程が、今はすごく楽しい。20代のころは、もっと苦しかったですけどね。
――楽しくなった、転機ってありますか?
戸塚:何か一つこれというものがあった、というより、たくさんの作品に関わらせていただくなかで、少しずつ何かが積みあがって変わっていったんだろうなと思います。20代の僕には、世間的に代表作と言われるような作品はないけれど、僕にとってはすべてが代表作で、どの人との出会いも特別だったんですよ。2時間サスペンスの仕事なんて、その枠ならではの職人さんたちがたくさん関わっているから、学ぶこともたくさんありましたし……。
――焦りは、なかったんですか。
戸塚:昔から、競争心はないんですよね。売れている同年代の役者と比較して悔しがるってこともないし、もっと売れたいみたいなこともあんまりないし……。ただ、他の人がやらないようなことをしたい、とは思っていたから、苦手なことも含めて来た仕事は基本的に全部受けていたし、責任を感じる余裕もなくがむしゃらに格闘し続けていました。その結果、俯瞰的に物事をみるまなざしを持てるようになったんじゃないのかな、と思います。自分にできることも、なすべきことも、見えてくると仕事はより楽しくなりますよね。それが今、なのかなあ。
――今回の書籍の仕事を経て、何か新たな気づきはありましたか。
戸塚:想像力は、広がったかな。れいんさんの紡いでくれた物語と写真を通じて、子どもの頃や学生時代など過去の自分、40歳や50歳になった未来の自分に、思いを馳せられるようになったというか。自分があのときこういう道を選んでいたら、もしかしたらこういう人生もあったんじゃないのかな、と想像したことはアンサーの文章にも映し出されていると思います。それが役者としての自分にどういう影響があるのかはわからないけれど、「いるかもしれない男」という意味をこめてれいんさんがつけてくれた「登場人物未満」というタイトルはものすごく気に入っているし、企画性のあるこの本を出せてよかったなあと思っています。
(取材・文=立花もも)
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