犯罪小説の精髄というものだと思う。
ジョー・ネスボひさびさの翻訳長篇『失墜の王国』(鈴木恵訳/早川書房)は、ノルウェー山間の村オスを舞台とする、ある兄弟の物語である。〈わたし〉こと兄のロイ・オブガルはその地で広域チェーンに属するガソリンスタンドを経営しており、地域の人間として周囲からも信用を勝ち得ている。歳の離れたアルバイトの店員ユーリエからは秋波を送られている。つまり異性に対する魅力もあるのだが、ずっと独り身を通している。
このロイの生活に、アメリカに留学して15年もの間顔を合わせていなかった弟のカールが戻ってくる。カールはシャノンという妻を連れてきた。シャノンはカリブ海に浮かぶバルバドス出身である。彼女がロイからノルウェーの言葉や文化を折に触れて教わるというのが、物語の微笑ましいアクセントになっている。
カールの目的は、オスをホテルリゾートとして開発することだった。ロイも手を貸して、弟の事業を成功させようとする。再会を喜びはするものの、急に戻ってきた弟によってロイの静かな生活が破られたことも確かである。だがロイはすべてを黙って受け入れる。そこに小説としての核がある。題名にある王国とは、ロイがカールとともに生まれ育ち、今もそこに住んでいる農場のことである。農場こそがロイのすべてなのだ。そこで生まれ育ったカールも王国の一員であり、いつでも戻ってくる権利がある。カールが開発しようとしている土地とはまさにこの農場のことだ。ロイは受け入れる。
幼いころのロイに父親が、王国の男としての気構えを語る場面が序章にある。タフな男が他の者の面倒を見なければならないのだ。こういう台詞で序章は終わっている。
「おれたちは家族だ。おれたちにはおれたちしかいない。友達、恋人、隣人、村の連中、国。そんなのはみんな幻想だ。ほんとに重大なことが起きたらなんの役にも立たん。そういうとき、そいつらと闘うのはおれたちだ。ロイ。おれたちがほかのすべての連中と闘うんだ。わかったか?」
幼いロイは「わかった」と答えた。その言葉が今もなお彼を縛っているのである。『失墜の王国』は、自分のありようをいつの間にか縛っていたものから決して自由になることのない者の物語だ。ロイは「闘う」のである。そこに理由は必要ない。
物語は現在と過去、二つの時制で進んでいく。現在の方は初め、カールの進める開発計画が主たる話題となるが、そこにきな臭いものが漂い始める。保安官のクルト・オルセンが、カールが村を出る前に起きた事件を再捜査するため、村のある場所を調べると言い出すからだ。このことがロイとカールの少年時代に何が起きたのか、という興味を呼び起こす。ロイの視点で綴られる過去パートでは、カールの身に起きた出来事が問題になる。弟を守ろうとしてロイは身を張る。まだ幼く、力もない。ロイは無力感に打ちひしがれるが、あることによって逆転に成功する。闘いに勝利したのだ。だがその勝利によってロイは、オスから一生動くことができないという呪いにかけられることになる。
過去に何が起きたのか、それが少しずつ明らかになっていく過程が読みどころの一つとなる小説なので、具体的なことに触れるのは止めておこう。表紙の見返しにあるあらすじ紹介にはその点が書かれているのでご注意を。事前に仕入れる情報が少ないほど興趣が増す作品である。これは私見だが、最近の版元は翻訳書のあらすじを書きすぎる傾向にあると思う。ご一考いただきたい。
読みどころのもう一つは、ロイの性格にある。穏やかで他人に考えを読ませないロイは、読者にもその胸中を明かすことがない。いや、感情は露わにするのだが、心の中にある本当の考えまでを見せることがないのである。その点では非常にフィリップ・マーロウ的人物だ。マーロウもまた真の考えを読者に示すことはなかったのである。その心の殻が破れる箇所がある。ロイが欲望と恋愛感情に衝き動かされる場面だ。その瞬間、王国の守護者ではなく、ひとりの人間としてのロイ・オブガルが姿を現す。この個人としてのロイの物語は、ファム・ファタルのプロットが当てはめられている。男が女によって人生を狂わされるのがファム・ファタルの物語だ。強固な殻をまとった男の物語に用いるのはいい判断だ。
二つの物語が並行していることになる。一つは男が自らの王国を守るために闘う物語だ。もう一つは自らの欲動によって背負ってきたものを危うくする男の物語である。前者は男と社会の関係を、後者は男の自我を描いたものといえる。その二つが交わるときに何が起きるのか、というのが話の焦点だ。先ほどから話題に出てきた過去の事件が消せない烙印としてオブガル兄弟の人生に浮かび上がり、それによって起きる事態から身を守るため、ロイは動き続けるのである。
集英社文庫で刊行された刑事ハリー・ホーレ・シリーズで知名度を上げたジョー・ネスボは、英語圏の先行作に影響を受けた部分が大きい。本作でもアメリカ小説への言及が何ヶ所かでされており、それはネスボ自身の読書体験を反映したものと見ることができる。個人の犯罪を描くことで社会全体を見渡すことが可能な視点を得るというのが北欧ミステリーに共通した要素だが、『失墜の王国』にはそれに加えて〈偉大なるアメリカ〉小説への関心も加わっているように思われる。ネスボはオブガル兄弟を書くことで、彼らの生きた世界そのものを表現しようとしているのだ。だからこそ複数のプロットが合流するような総合的な書き方をしているのだろう。本作には続篇が準備されているという。太い幹を持つ物語が生み出されそうだ。21世紀犯罪文学の収穫として期待したい。
(杉江松恋)
『失墜の王国』
著者:ジョー・ネスボ,鈴木 恵
出版社:早川書房
>>元の記事を見る