【写真】広瀬すず&松山ケンイチが本格サスペンスへ誘う 『クジャクのダンス、誰が見た?』第1話を写真で振り返り
■実写化ならではの“彩”を感じさせた初回
クリスマスイブの夜。大学生の山下心麦(広瀬)は、2人家族だった元警察官の父(リリー・フランキー)を放火で殺害される。容疑者の遠藤友哉(成田凌)が早々に捕まるも、父は心麦に「その人は“冤罪”であり、松風義輝(松山)という弁護士に弁護を依頼してください」との旨の手紙を遺していた。
気になるタイトルを持つ本作の原作は、浅見理都の同名漫画。ドラマにも登場した通り、インド哲学の一節から取られており、本作では、“たとえ誰も見ていなかったとしても、犯した罪から逃げることはできない”という意味を持つとのこと。
『イチケイのカラス』の原作者としても知られる浅見は、今回のドラマ化に際し、「ドラマの制作のプロの方たちが関わってくださることで、さらに面白い作品になると信じています。心麦や松風が3次元の世界でどう物語を紡いでくれるのか(抜粋)」とコメントを寄せているが、まさに、原作を生かしながらの、実写化ならではの“彩”を予感させてくれた。
心麦をはじめとしたキャラクターの魅力的な衣装や、ところどころにジャングルの緑を意識させる映像。特に松風の弁護士事務所はそれが顕著で、松風のデスクには鳥かごを模したブックスタンドも見える。随所に感じる太陽光を意識した照明の使い方も印象的だ。
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幼くして母を亡くし、大学生で父も失いひとりになった心麦だが(実の親子かどうかはひとまず置いておいて)、彼女には父からもらった強さがある。葬儀の際に、伯母(原日出子)から「つらいだろうけど、前を向いて生きていかなきゃダメよ。泣くのは今だけにしなさい」と声をかけられた心麦は、「泣いてても父が帰ってくるわけじゃありませんから。それに、前を向くかどうかは、私が決めます」ときっぱり答える。
また終盤、松風が、一度疑いというどす黒いものを浴びたらもう元には戻れないことのたとえとして、プリンの上にコーヒーをかけ「こうなってしまっても、これはプリンと呼べるだろうか」と投げかけたときも、プリンをかきこみ「これは、プリンです」と断言する。さらに「私は、私の目を信じてますから」と伝えた。
そんな心麦に育てあげたのが、幼い頃、「クジャクのダンス」の話を聞かせ、周囲から疑いをかけられた彼女を信じて抱きしめた父。親子は互いを信じあってきた。そして父は彼女に、逮捕された人は“冤罪だ”とする手紙を託し、心麦は父の言葉を胸に置く。
さらに、心麦の食べていたプリンを松風も頬張り、(僕もこれはプリンだと思う)とでも言うかのように、「お父さんを信じる君を信じるよ」と口にした。本筋とは関係ないが、ここでプリンのカケラを口の端につけ、ちょっとした愛らしさを松風に添えるのが、松山が演じているからこその味だ。事務所にいくつも並ぶ彼のメガネも、心麦の澄んだ瞳とはまた違う、さまざまな角度から物事を見る弁護士としての目を表しているようでもある(原作とは違い、ドラマでは森崎ウィン演じる、松風の幼なじみで共同経営者の弁護士・波佐見もまたメガネ姿)。
■オリジナルの展開になっていく後半にも期待
22年前の東賀山事件関連も含め、親子の物語が軸になっていくに違いない本作だが、心麦が「“クジャク〜”のあの言葉は、父自身にも向けていたのかな」と言い、父自身も手紙に「私が殺されたとしても、やむを得ない部分がありますが」と残したように、心麦の父は何かを隠したまま亡くなった。
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手紙に書かれた友哉以外の人物や、しばしば心麦の近くに現れるリュックを背負った人影、また、心麦が東賀山事件の遺児なのかといった点も気になる。
インタビューなどで、キャストたちも「犯人が誰かまったく分からない」と話しているが、原作自体が未完。つまり後半はオリジナルの展開になっていくと思われる。
脚本を務めるのは、近年高い評価を受けている金沢知樹。『あいのり』(フジテレビ系)の「金ちゃん」としても知られる、元お笑い芸人で、現在も福岡県で活動を続ける脚本家だ。監督も務めた映画『サバカン SABAKAN』や日曜劇場『半沢直樹』、Netflixドラマシリーズ『サンクチュアリ -聖域-』などで才能を発揮し、今クールも本作と並行して放送中のNHKドラマ『東京サラダボウル』も好評価を得るなど、ノッている。本作でも端々にキャラクターたちの軽妙な会話のやりとりを感じさせ、先に挙げたコーヒーのエピソードを差し込んでいくなど、ドラマらしい作りのうまさに期待大。
意外にも本格ミステリー初挑戦だという広瀬の、クジャクの瞳とオーバーラップする美しい瞳を通じて、ともに真相を見据えたい。(文:望月ふみ)
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