戦争を知らない若手皇族の佳子さまらへ父・秋篠宮さまが“期待”される「知る努力」

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2025年02月02日 21:00  週刊女性PRIME

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佳子さま30歳のお誕生日に公開された近影お写真(宮内庁撮影)

《今年は、戦後80年の節目を迎えます。終戦以来、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられた一方で、現在も戦争や紛争により、世界各地で多くの人の命が失われていることに深い悲しみを覚えます。

 平和な世界を築いていくために、人々がお互いの違いを認め合い、共に手を携えて力を合わせていくことの大切さを感じます。新しい年が、我が国と世界の人々にとって、希望を持って歩んでいくことのできる年となることを祈ります》

天皇陛下の新年のご感想

 元日、天皇陛下は新年に当たり、このような「ご感想」を発表した。またこの日、皇居で「新年祝賀の儀」が行われた。年の初めに陛下が皇后さまとともに、皇族や内閣総理大臣ら三権の長、それに各国大使などから新年の祝賀を受ける儀式で、午前11時過ぎから、皇居・宮殿「松の間」で両陛下が、長女の愛子さま、秋篠宮ご夫妻や佳子さまとともに儀式に臨んだ。佳子さまは、ローブデコルテに勲章とティアラを身に着けた。同じ装いの愛子さまと並んで立ち、華やかな二人は、人目を引いていた。

 1月2日には、新年一般参賀が皇居で行われ、約6万人が訪れた。昨年は元日に、能登半島地震が起きて中止されたため、2年ぶりの開催となった。

 天皇、皇后両陛下をはじめ愛子さま、上皇ご夫妻、それに秋篠宮ご夫妻と佳子さまらが宮殿・長和殿のベランダに立ち、集まった人々の祝賀に応じた。青緑色のロングドレス姿の佳子さまは、両親の隣に立ち、参賀者たちに笑顔で手を振った。

 佳子さまは1月9日、東京都港区の麻布台ヒルズギャラリーで開催中の「ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―」を鑑賞した。人気ゲーム「ポケットモンスター」を題材に、人間国宝から若手までの現代工芸作家20人の陶芸や彫金、染織などの作品約80点を展示している。佳子さまは、案内した関係者に笑顔で話しかけながら、熱心に見て歩いた。

 1月10日、天皇、皇后両陛下が学術研究の第一人者から講義を受ける「講書始の儀」が、皇居・宮殿で行われた。愛子さまや秋篠宮ご夫妻、それに、佳子さまらも出席した。服装史学が専門の武田佐知子・大阪大学名誉教授と国際経済学が専門の矢野誠・京都大学名誉教授、それに、免疫学が専門の谷口維紹・東京大学名誉教授の3人が、それぞれ講義を行い、鮮やかな緑色のロングドレスに帽子姿の佳子さまも真剣に耳を傾けていた。

元日から多忙な日々

 今年は、穏やかな年の初めを迎え、佳子さまは、このように元日から多忙な日々を過ごしている。

私自身は戦後20年たって生まれました。ですから、物心ついたころに、何かその痕跡みたいなものを感じるということはほとんどなかったわけです。戦争のことをきちんと理解するためには、当時のことを知っている人から話を聞いたり、書籍で読んだりとか、そういうことを自分で意識しながら行っていくことが大事なのではないか、と考えております

 また、子どもたちでしたか。これは娘とも話したことがあるのですが、やはり娘たちの世代というのは非常に戦争のことを知らない。そのことを彼女たちは意識しているようで、この70年という年をひとつの契機として戦争のことについて知る努力をしていかなければいけない、ということを話しておりました。また、息子はまだ小さいですけれども、今年(行きました)いくつかの戦争に関連する展示、それから催しなどを通じて、だんだんと理解をしていってくれればよいかと思っております

 今から10年前、戦後70年に当たる2015年8月、宮内庁は、秋篠宮さまの祖父で、佳子さまにとっては曽祖父となる昭和天皇が、ラジオを通じて国民に終戦を伝えた「玉音放送」などの録音原盤と音声を初めて公開した。また、昭和天皇が終戦の「聖断」を下した皇居内の地下施設・御文庫附属庫の写真や映像も公表している。

 この年の11月、50歳の誕生日を迎える前に行われた記者会見で、玉音放送の原盤を聴き、御文庫附属庫を見学したことを明かした秋篠宮さまは、戦争について改めて考えたこと、戦争関連の企画展などに同行した佳子さまや悠仁さまがどう受け止めたのかを聞かれ、前述のように答えた。

 さらに、秋篠宮さまは、

今回この機会に貴重な玉音盤の再生ができたというのは、大変価値があると私は考えています。そして玉音盤と共に御文庫附属庫のほうも映像が公開されたということは、やはり昭和の歴史の一端を知るひとつの機会であると思います。

 私自身、玉音盤と御文庫附属庫の見学を通して感じたのは(略)そのときの昭和天皇がどのような気持ちでマイクの前に立たれ、もしくは終戦を決めるときにどのような気持ちで話をしたのか、そのことに思いを馳せていました

 昭和の初めは、戦争の時代だった。1931年9月18日、満州事変が起きたとき、昭和天皇は今の佳子さまと同じ、30歳の若さだったことに驚かされる。先の大戦に敗れた1945年8月15日、昭和天皇は44歳で、現在、59歳の秋篠宮さまよりも15歳も年若である。このように考えてみると、30代から40代半ばまでの昭和天皇がどのような気持ちで長い戦時下を過ごし、どのような思いで終戦を決断したのか。重く、苦しい日々を過ごしてきたのだろう。そうした苦い体験が、戦後、昭和天皇があれほどまでに、平和な日本を望んでやまなかった、その原点のひとつになったのであろうか。

 戦後80年となる今年、昭和天皇の孫である天皇陛下は、皇后さまと一緒に被爆地広島と長崎、それに沖縄を訪れるという報道もある。

平和な世界を築いていくために、人々がお互いの違いを認め合い、共に手を携えて力を合わせていくことの大切さを感じます」。陛下のこの言葉にあるように、「平和な世界を築いていく」努力を佳子さまもまた、決して惜しむことはないだろう。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に『秋篠宮』(小学館)、『美智子さまの気品』(主婦と生活社)など

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  • たぶん、誰にも理解できないでしょう? >私自身、玉音盤と御文庫附属庫の見学を通して感じたのは(略)そのときの昭和天皇がどのような気持ちでマイクの前に立たれ
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