大手総合スーパー西友が売りに出され、その行方が注目を集めている。現在の支配株主は米国不動産ファンドKKRで、それまで非開示であった決算も2022年度、2023年度と黒字化していることが公表されていた。2024年には北海道と九州の店舗を分割譲渡していたことから、「そろそろ出口が近づいたか」とうわさされていたが、ファンドとして相応の売値が見込めるまでに整ったということであろう。
西友といえば、かつてはセゾングループの中核企業であり、ダイエーと覇権を争った時代もあった。しかし、グループ崩壊後は世界最大のスーパーのウォルマート(米国)の子会社となり、ウォルマートが実質撤退した後にKKRに譲渡された。
西友の2023年度の業績は、売上高6647億円、経常利益270億円 。その後、九州(売上高970億円)、北海道(売上高261億円)を分離売却しているため、単純計算だと売上高は5400億円規模で、店舗の大半を三大都市圏に展開している。この店舗網がどの企業のものになるのかによって、小売業界の相関図にも少なからず影響が出るため、業界でも注目が集まっている。
●買収後、西友はどうなるのか
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買収に名乗りを上げている事業会社は、イオンやドン・キホーテを運営するパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(以下、PPIH)、トライアルホールディングス(以下、トライアルHD)など。しかし、どこに買収されたとしても、西友が今の形のまま存続することはなさそうだ。
こういうと「イオンは総合スーパーの会社でしょ」という声が聞こえてきそうだ。しかし、今やイオンは総合スーパーで食っている会社ではないのである。
図表1は、2023年度におけるイオンのセグメント別営業収益と営業利益をまとめたものだ。総合スーパー(GMS)は売り上げこそ大きいが、利益貢献は1割ほどしかないことが分かる。今のイオングループは小売業で稼ぎつつ、その顧客接点を活用し、商業施設の運営と金融で利益を得る会社といった方が正しいのだ。多様な業態を抱えたイオンは総合スーパーの買収実績も豊富であり、西友を取り込み、様子を見ながら最適な形に組み替えていくことになるだろう。
PPIHとトライアルHDはディスカウントストアのトップと2位の企業であり、西友の同業ではない。西友がいずれかの企業の傘下に入ったとしても、総合スーパーの店として長く存続する可能性は低い。西友として残るのは食品スーパーの機能のみであり、非食品の売り場は新たな株主のノウハウを生かして再構成されることになるだろう。従来型の総合スーパーに再投資する企業など、事実上存在しないからである。
●昔の姿とは異なる、今の総合スーパー
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イオンは総合スーパーの形態の新店舗を今でも出店している。しかし、食品売り場を軸に非食品売り場を残しつつも、上層階の大半は専門店のテナントが集積する形となっている。これは専門店を集めた方が競争力を高められるからであり、それによる集客力に依存せざるを得ないことを示している。
イオンは主に大都市周辺部で、従来型の大型総合スーパーを大型商業施設「そよら」に転換している。そこでは、食品と購買頻度の高い生活必需品以外は、専門店チェーンの代表的企業のテナントが埋め尽くしている。
例えば、そよらの中で売り場面積が最大のそよら成田ニュータウン(千葉県成田市)の場合、2階はホームセンターのコーナンやイオングループのスポーツ用品店「スポーツオーソリティ」、3階はダイソーやABCマートなどが入っている。4階はスタバやサイゼリヤ、かっぱ寿司などの外食エリアと、TSUTAYA BOOK STOREといった構成だ。
イオンのグループ企業もあるが基本は専門店の集積となっており、総合スーパー直営の売り場ではない。総合スーパーといっても、「食品+生活必需品のスーパー+専門店の集積」という構成であり、昔のようにあらゆるものを売っていた姿とは全く異なるのだ。
●進む“食品+日用品特化”
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西友に話を戻すと、その業績を回復させたのは、プライベートブランドの改良など、商品面でのブラッシュアップの影響もある。しかし、一番の大きな要因は、不採算店の閉鎖と非食品売り場のテナント化であったといっていいだろう。
この数年間で、西友も多くの店でリニューアルを行い、“食品+生活必需品”以外の売り場についてはテナント化を進めていた。リニューアルオープンの際には「食料品と日用品のスーパーに生まれ変わります」という看板を出していた。
例えば、2024年7月にリニューアルした西友平塚店(神奈川県平塚市)は、地下フロアを売り場面積5106平方メートルという大規模なホームセンターのカインズと100円ショップのセリアに転換した。2024年11月にはリヴィン田無店(東京都西東京市)もリニューアルしているが、カインズやドン・キホーテ、無印良品やブックオフなど、専門店が集積している。多くの店舗でテナント化を進めたことで、西友は“食品+日用品の店”として採算が確保できるようになったのである。
この話を聞くと、多くの方が今話題のあのスーパーを思い出すだろう。そう、北海道や東北から撤退し、クレヨンしんちゃんに登場する「サトーココノカドー」のモデルを含む多数の店舗を閉店したイトーヨーカ堂である。
イトーヨーカ堂の改善施策として公表されている、食品特化やアパレル撤退という目標も、前述の“食品+日用品特化”の延長線上にある。そしてそれは、総合スーパーが“食品+日用品特化”のスーパーとなり、非食品の部分をいかに消費者に支持されるテナントで構成できるかが生き残りのカギとなることを意味している。
疑問があるとすれば、こうした転換は地方ではすでに20年前から行われていたにもかかわらず、なぜ今ごろそんな話が出てくるのかということだ。この理由は首都圏と京阪神の立地環境が、その他の地域と異なることに起因する。
●大都市圏で転換が遅れたワケ
1980年代ごろ、地方では車の普及によって電車やバスなどの公共交通の衰退が進行した。さらに2000年代以降は女性ドライバーの増加と軽自動車の普及が相まって、地方では大人1人に1台ずつ車があることが一般的になった。
その結果、日常の買い物は車で行くようになったため、駅やバスターミナルを軸とした中心市街地は交通のハブではなくなってしまった。そのため、地方ではそれまで百貨店や総合スーパーがあった中心市街地から客足が遠ざった。こうした流れを受け、総合スーパーも中心市街地の店舗を閉め、郊外の幹線道路沿いへと移行し、スクラップ&ビルドが急速に進んだのである。地方都市の駅前から百貨店や総合スーパーが消滅していったのには、こうした背景があるのだ。
しかし、首都圏や京阪神ではこうした変化は緩慢だった。人口密度や公共交通の充実度が高かったこの地域では、買い物のための移動手段が車依存とまではならなかったからである。
首都圏や京阪神では細かく張り巡らされた鉄道網を軸に、駅からのバスや自転車、徒歩で生活できるエリアに多くの人が住んでいる。車を持たない人も多く、駅のハブ機能は失われなかった。そのため、今でも駅前が最高の商業立地であり、新たな投資を必要とするスクラップ&ビルドをしなくても何とかなったのだ。こうした背景もあり、1970〜80年代に出店した駅前の総合スーパーは、最近まで多くが生き残っていた。しかし、50年も経過すると店舗自体が老朽化し、周囲の幹線道路沿いにも少しずつ競合施設が増えてきた。そのため、大都市でも郊外寄りの店から大規模改装や閉店が増えているのである。
●“地の利”がなくなった今、総合スーパーに終焉の時が迫る
イトーヨーカ堂が大都市郊外でも大量に閉店したことがニュースになっていたが、その大半が1970〜90年代にできた、まさに「前世紀の遺物」であった。首都圏や京阪神でも、店舗がまだ使える場合は上層階をテナント化し、食品スーパーとして残っているが、老朽化した店舗はその役目を終えた。実際、閉店する総合スーパーを利用していた周辺住民も、上層階の非食品売り場の利用頻度はかなり低かったはずだ。大都市部の西友やイトーヨーカ堂などの総合スーパーが今まで存続できたわけは、ひとえに“地の利”があったからなのだ。
総合スーパーは昭和の時代には大いににぎわい、小売の王者と見なされていた時期もあった。しかし、それは専門店の集積が完了するまでの暫定的なワンストップショッピング(1カ所で多様な商品を買えること)の場所だったと考えればいいかもしれない。頻繁に買いに行く食品に関しては、消費者の最大の選択要因は「近い」ことであるため、人通りの多い駅周辺でなら食品スーパーとしてなんとか存続できる。しかし、時間をかけて選びたい衣料品や雑貨などについては、少し離れていたとしても、専門店が集積された場所があれば、もはや総合スーパーは選ばれない。
今や単独で総合スーパーを新設する企業がないという事実は、総合スーパーに終焉の時が迫ってきていることの証左である。
●著者プロフィール
中井彰人(なかい あきひと)
メガバンク調査部門の流通アナリストとして12年、現在は中小企業診断士として独立。地域流通「愛」を貫き、全国各地への出張の日々を経て、モータリゼーションと業態盛衰の関連性に注目した独自の流通理論に到達。
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