先月29日にフォトエッセイ『透明を満たす』を発売した、元フジテレビアナウンサーの渡邊渚。意図せぬ出来事によりPTSDを患い、フジテレビのアナウンサーという職業を手放した彼女が、生い立ちから病気に苦しんだ日々の記憶、そして周囲の支えと治療により前に向かっていく日々をつづった一冊で、初版はすぐに完売し重版分がようやく店頭に並ぶほどの話題作となっている。
【撮り下ろし写真多数】明るいスマイル!ホワイトコーデをまとった渡邊渚 ORICON NEWSでは、現在フリーランスとしてエッセイ執筆やモデル、バレーボール関連MC、さらには大学での講演など幅広く活動する渡邊にインタビューを実施。「PTSDと共に生きる。でも、私は楽しいことを追いかけたい」と前を向く彼女の言葉は、勇気に満ちあふれていた。
■幼少期は「なんでなんで星人」フジテレビ入社は宝くじに当たったような幸運
本の最初にも書かせていただきましたが、小さい頃の私は「なんでなんで星人」で、いろんなことに疑問を持つタイプでした。例えば、(目の前に置かれている)「このペットボトルはどうやって作られるんだろう?」とか、「なんでこんな形に作ったんだろう?」ってずっとずっと頭のなかで考えていて、こういうことを大人に聞いても「そうだね、なんでだろうね」ってはぐらかされることもだんだん察していったので、自分で調べるようになって。だから、わりと聞き分けのいい子だったと言われてきました。
小さい頃になりたかったものは……、年少の時に七夕の短冊には「カタツムリになりたい」って書いてました(笑)。アナウンサーをやっていたし、活発でおしゃべりが得意で前に出るのが好きなタイプって見られていると思うのですが、小さい頃はたぶんそうじゃなかったんでしょうね。あと、同じアニメを何回も繰り返して見るタイプでした。最初は『アンパンマン』、その次は『名探偵コナン』のあるシリーズを朝から晩までずっと見て、見終わったら最初に戻ってまた見て、セリフやトリックを覚えたり「こうやったら密室が完成するのか」って考えるのが好きだったんです。親からしたら、ちょっと怖い子どもだったかもしれないですね(笑)。
アナウンサーを目指したきっかけは、親戚の叔母さんがアナウンサーだったので小さい頃から自分にとってなんとなく身近な仕事だったこと、そして大学時代に自分がテレビに出させていただくことがあって、制作スタッフさんとアナウンサーさんが一緒に番組作りをしている姿を間近で見て、出役だけじゃない部分もあるというところに憧れを抱いて、フジテレビの入社試験を受けました。入社できたのはラッキーで、宝くじに当たったようなものだと思っています。
その叔母さんはもちろんですが、人生に影響を与えてくれた人といえば高校の先生たちはみなさん尊敬しています。中でもお坊さんと数学教員の二刀流をされている方がいて、授業がすごく楽しかったんです。「半学半教」の精神で、まずは生徒に数学の問題を解かせて「そういう解き方もあるね。答えの導き方は一つじゃないし、先生が教えることが全部正解じゃないから」という前提の方で、生徒たちを対等に扱ってくれることがうれしくて、自分もそういう人間になりたいとすごく影響を受けました。
■「全部忘れられる薬はないですか」PTSDは完治しない、生きている間はずっと付きまとってくる
私が患ったことを公表したPTSD(心的外傷後ストレス障害)という病気は、戦争や犯罪など生命を脅かすような衝撃的な出来事によって生まれたトラウマから起こる精神疾患で、主な症状は“再体験”“回避”“過覚醒”の三つあると私は大学の授業などで説明しています。“再体験”はトラウマの記憶が自分の意識とは無関係のところで思い出されて、恐怖や無力感を感じたり、被害がフラッシュバックしてしまうことです。
“回避”はトラウマに関連する状況や物事を避けることで、例えば水の入ったペットボトルで殴られてPTSDになったら、ペットボトルが怖くなってしまう。人それぞれに症状があって、戦争に行った人は大きな音が怖くなってしまうことが多かったり、交通事故が原因だったら車に乗れなくなったり。私の場合は食べ物がけっこうダメになってしまって、その日に食べた食材を見ることやスーパーマーケットに行くことも怖くなりました。
そして、私が一番しんどかったのが“過覚醒”でした。常に神経が張り詰めた緊張状態になってしまう症状で、私は常に恐怖があるような気がしてなかなか眠れなかったり、些細な物音や人と近くですれ違うだけで大きく驚いてしまったり……。この三つ以外にも、手の震えで物をうまく握れないとか、足が震えてまっすぐ歩けないとか、“認知の陰性変化”といって社会全体が敵に見えて誰も信用できない鬱(うつ)っぽい感じになるとか、こういったことがPTSDの症状です。
そして、本にも書いたのですがPTSDは完治しない病気で、生きている間はずっと付きまとってくるものだと思っています。今も症状はゼロになっていなくて、先週も久しぶりにフラッシュバックしました。誰にでも気持ちのアップダウンがありますが、下がり方も上がり方も異常になってしまう。でも、普段は元気な時のほうが多いですし、1年前に比べて自分でコントロールもできるようになりました。
今でも病院の先生に聞くんですよ、「全部忘れられる薬はないですか」って。映画『メイン・イン・ブラック』で宇宙人を見た地球人の記憶を消す赤いライトの話を聞いて「まさにそれが欲しい!」って思っちゃいました。でも、そんな薬もライトもないし、脳に残っている記憶を消すことはできないから、しょうがないって受け入れながらやっていこうと思っています。
■元気になれたのは“正しい治療”を受けることができたから 正しい知識を知ってほしい
世間では「PTSDになった人がたった1年半でこんな仕事ができるわけがない」とか言う人もいるんですけど、全然できますし、1年半は自分ではけっこう時間がかかったとも思っています。病院の先生からも「ここまで元気になった人は珍しい」と言われたのですが、それは私が正しい治療を受けることができたからです。本当にたまたま、私に合う精神科の主治医の先生やサポートしてくださった方たちと出会えて、治療法が自分に合っていたからであって。それまでに言葉に表せないくらいしんどい日々を過ごしてきたし、本にも書きましたけど自分で自分を傷つけた日もあって、簡単な道ではなかったです。
だから、私と同じように悩んでいる方が私と同じ先生の治療を受けたとしても、私みたいに元気になるとは限らないんです。私はありがたいことに出会うことができましたが、自分に合う先生を探すことはとても大変で、でも私がたまたま幸運だったからじゃなくて、受けたいと思った人がその人に合った治療を受けられるような世の中になってほしいと心から願っています。
PTSDになった私を通じて、この病気を知ってほしいという気持ちもあります。日本の社会は精神疾患やPTSDにフタをしてきたんじゃないかと思うことが多々あって、海外のドラマや映画を見るとカウンセリングに行くことがすごく身近じゃないですか。恋愛がうまくいってないとかでも話に行ったりするけど、日本は我慢することが美徳にされがちですよね。PTSDも知らないからこそ偏見や間違った情報が存在していると思うので、正しい知識が広まってほしいです。
日本では精神疾患で通院や入院している人は約600万人いるといわれていて、その人たちの家族や仕事の関係者が1人あたり4人いると計算すると、関わっている人は2400万人もいるんです。実は身近にあるので遠ざけていい話題ではないと思いますし、私をきっかけに知っていただけたらと思って本を書かせていただきました。
■仕事を辞めても「負け」じゃない。何かを手放すことは、何かを始めるチャンス
宝くじに当たったような幸運でフジテレビのアナウンサーになれましたが、自分がなりたいと憧れていた職業を入社5年目で、病気になってしまったことで手放すことは、本当にやりきれない気持ちでした。やりたいことも目標にしていたことも、かなえたい夢もたくさんあって、そのために頑張ってきたのに、それが全部なくなると思ったら本当にお先真っ暗になりました。PTSDにならなかったら、あの時にあんなことがなければ……。アナウンサーとしてやり残したことを考えて、本当に辛かったです。
でも今、アナウンサーという職業から離れてみて、自分が得たものもたくさんあると感じています。例えば、これまでインタビュー取材をする時に自分なりに準備をしていましたけど、最初に企画を考えたり取材の申請などはスタッフさんがやってくださって、自分は用意された現場に行くだけでした。今はほぼ自分で仕事先の方と連絡を取って、スケジュール管理して、予算の話などもしていますし、大変だけどすごくやりがいもあります。税金や社会制度についての知識も得ることができました。
あとは、「辞めたら負け、逃げることだ」っていう感じの世間体にもとらわれなくなりました。自分の心や人生を潰してまで、世間体を気にして我慢することは間違っていると思いますし、何かを手放すことは何かを始めるチャンスなんだって捉えられるようになったと思います。
フォトエッセイ『透明を満たす』も、いろんなものを手放すことで掴むことができたものの一つです。出版社さんからオファーをいただいて、自分の経験や考えたことを文章で伝えることが、これまでのアナウンサー人生で培ったものを生かせる最後の機会だと思いました。文章を書くことはまったく苦しくなくて、5万字も自分で書いたって言ったらけっこう驚かれるんですけど、自分としてはそんなに大変ではなかったし、書けと言われたらいくらでも書けました(笑)。
そこから出版社さんと話していくなかでトピックを厳選していったのですが、1年半も休んで何もできない時間が長かったので、その間にため込んだたくさんのことを一気に出した感じです。PTSDやトラウマについて書くのはちょっと辛かったのですが、書くことで自分の頭が整理されましたし、大学で講義する時もこの本を元にスライドを作っています。
写真ページについては、エッセイの内容が重たい部分もあるので文章と写真がちぐはぐな感じにならないように、透明感とか飾りすぎない方向性で考えました。序盤の撮影は仕事復帰した直後だったので、撮られ方もわからないと思いながらやっていましたけど、徐々に回数を重ねるうちに表情が柔らかくなるのが自分でもわかって、慣れるってこういうことかと感じましたね。
本の中でも書きましたけど、SNSに寄せられる声はけっこう冷静に全部を受け止めていて、全てを浴びています。そう言うと「心が潰れませんか?」って聞かれるのですが、PTSDになったきっかけのほうが100倍は辛かったので(苦笑)。一回地獄を見ると、ほかが楽に思えるんです。もちろん、「そういう受け取られ方をするのか」っていう意見もありますが、誹謗中傷だったり傷つけることを意図したコメント、あとは自分なりの正義を振り回して気持ちよくなってる方もいると思いますが、そういうのって見ればわかりますから。すべてを受け止めて、冷静に見て「これは聞かなくていい言葉、これはちゃんと自分に入れる言葉」って見極めています。最終的に自分の周りの人たちや今お仕事でご一緒してくださる方々がいてくれたら、それでいいなと感じています。
■やりたいことの基準は「楽しいと思えること」パワーをくれた皆さんにパワーを返していきたい
フリーランスとして活動を始めて、今やっているエッセイを書いたりバレーボールのお仕事は、ライフワークとしてやっていきたいです。最近はファッションやメイクなどモデルのお仕事も楽しいと思えて取り組んでいるので、これからも楽しいと思うことを続けていきたいと思います。抽象的な表現ですが、まだ仕事復帰して3〜4ヶ月で、目まぐるしい日々が続いていて、「もう本の発売日なんだ」という感じなんです。まだ自分に何ができるかわかっていないので、「楽しいと思えること」を基準に自分のセンサーが働くほうに自由気ままにやっていこうかなと。それこそフリーランスのいいところですよね。
プライベートでは、もともと大好きだったアニメや漫画を見る時間が増えました。去年もたくさんの作品を見て、『ヒロアカ』はずっと大好きなのですが、2024年のベストを選ぶならアニメ『チ。 ―地球の運動について―』です。家にプロジェクタがありまして、部屋を真っ暗にして『チ。』を映すとプラネタリウムを見ているようなすごい迫力で!漫画も面白かったのですが、星の並びとかより詳しく見られるようになって、アニメの素晴らしさを改めて感じることができた作品でした。ハマってるグミがありまして、それをひたすら食べながらアニメを見るのが至福のひと時で、今日もスーパーでグミをまとめ買いして帰ります(笑)。
たくさんお話をさせていただきましたが、最後に私を応援してくださっているファンの方に向けてお話しさせてください。一番にお伝えしたいのは感謝の気持です。療養中からずっと応援してくださった方や、フォトエッセイを待ち遠しいって言ってくださる方がたくさんいらっしゃって、そういう皆さんのおかげでここまで来られたと思っていますし、元気になってほしいっていう皆さんのパワーが私のパワーの源になっていました。本当にありがとうございます。これからはパワーをくれた皆さんに私がパワーを与えられるような人間になっていこうと思っています。インスタグラムを見たら最近は台湾のファンの方も増えていて驚いているのですが(笑)、言語や国を問わず自分の思いを伝えられるように、私はこれからも走り続けていくし、どんなことにも臆さずに頑張っていきます!
◆渡邊渚(わたなべ・なぎさ)
1997年4月13日生まれ。新潟県出身。2020年にフジテレビにアナウンサーとして入社。24年8月末に同局を退社し、以降はフリーランスとしてWebサイト等でのエッセイ執筆やモデル業、バレーボール関連のMCやメンタルヘルスにまつわる講演など、アナウンサーの肩書を離れて多彩に活動する。