アメリカ野球界の伝統として、毎年1月にその年の殿堂入り選手が発表される。選ばれた選手たちは翌日、ニューヨーク州クーパーズタウンにある野球殿堂博物館に招待され、ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグ、ハンク・アーロンなど、野球史に名を刻んだ偉大な選手たちが使用した道具や、殿堂入りの際に飾られたリリーフを見学するプライベートツアーが行なわれることになっている。その前提としてあるのは、ほとんどの選手が野球殿堂博物館を初めて訪れるからだ。
クーパーズタウンはニューヨーク州の中部に位置し、マンハッタンから約360キロ北西に離れた場所にある。交通の便が悪く、覚悟がないとたどり着くのは困難であり、その隔絶感こそが、この地を「野球の聖地」として特別な存在にしているのだ。
【初めての訪問は2001年】
今年、殿堂入りが決まったイチローも1月23日にこの特別なツアーに参加したが、じつは案内士を務められるといっても過言ではない。なぜなら、イチローはすでに7回もこの地を訪れているからだ。
初めて訪れたのは2001年、オリックスからシアトル・マリナーズに移籍してメジャー1年目のシーズンを終えた直後のことだった。
その数週間前、イチローはオークランド・アスレチックス戦でセンターに抜ける痛烈なヒットを放ち、1921年にシューレス・ジョー・ジャクソンが打ち立てた新人としてのシーズン最多安打記録(233本)を塗り替えていた。
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「シューレス・ジョー」というアメリカ球界で最も伝説的な愛称を持つ選手の記録を破ったあと、イチローは野球殿堂博物館がどのようにして野球の歴史を守り、伝えてきたのかを目の当たりにした。その体験に、イチローは心を揺さぶられた。
それは当時の館長であるジェフ・アイデルソンが、イチローに白い手袋を渡したことから始まった。イチローがその手袋をはめると、アイデルソンはシューレス・ジョーが1世紀近く前に試合で使用していたバットを手渡した。
その伝説のバット『ブラック・ベッツィー』は、野球史のなかでも最も有名と言っても過言ではない逸品であり、80年間破られることのなかった記録を生み出した道具だった。その伝説のバットが、偉大な記録を塗り替えた選手であるイチローによって握られたのである。
イチローはバットを手に持つと、いきなり素振りすることはせず、まずは職人の技術を確かめようとした。
右手でバットのグリップを持つと、左手で芯の部分を軽く叩き、音を確認した。その音を聞いたイチローは目を見開き、「今まで聞いたなかで最もきれいな音だ」と称賛した。さらに、「このバットはまるで金や銀でつくられているかのようだ」とまで言い、その精巧さに感銘を受けた。
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アンデルソンにとっても、イチローとの時間は忘れられないものとなった。
「イチローのように、バットの音を確認する選手を見たのは初めてでした。彼は、そのバットの鼓動を聞きたかったのでしょう。ここに展示されているいろいろな道具に触れることで、彼は深く感動してくれました。彼にとってクーパーズタウンに来ることは、旅行のついでではなく、聖地巡礼の旅であり、偉大なる選手たちに敬意を示すためのものなのです。私はイチローのその姿勢を、心から尊敬しています」
この時までイチローにとってシューレス・ジョーは、長年破れることのなかった記録を持つ過去の選手にすぎなかったが、この日を境に深い絆で結ばれた。野球殿堂がくれた新しい発見に感謝し、クーパーズタウンを去った。
【所有する道具や記念品をすべて寄贈】
その後もイチローはクーパーズタウンに6回も訪れ、ジョージ・シスラーだけでなく、ウィリー・キーラーなど、ほかの殿堂入り選手とも絆を結ぶことになった。
多くの現役選手が博物館を訪れるのは多くても一度というなかで、イチローの通算7回というのは異例の多さである。かつてイチローはクーパーズタウンの魅力について、こう語っている。
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「今の時代に生きていると、野球に対する純粋な気持ちが薄くなっていく危険性がある。お金なんかも絡んでね。本来、好きで始めた野球が仕事になり、職業意識が必要以上に強くなってしまっているように感じる。本来の純粋な思いとはかけ離れた気持ちで野球をやっている選手が多い環境のなかで、クーパーズタウンは自分の心を浄化してくれる特別な場所である」
現役中、イチローは野球殿堂博物館に多くの記念品を寄贈するようになった。その数は34点にも及び、これは現役選手としては最多だったという。
そのなかには、2004年の最終戦で2本のヒットを放ちメジャー新記録となるシーズン262安打を達成した際に使用したバットや、2007年のオールスターでMVPを受賞した際に着用していたキャップと球宴初となるランニングホームランを打った時のボール、マイアミ・マーリンズ時代の2016年に史上30人目となるメジャー通算3000本安打を達成した試合で着用していたユニフォームやスパイクなど、貴重な品が多く含まれている。
なかでも2013年10月10日に自身6度目の訪問となった際に寄贈されたモノは、歴史的逸品である。
同年8月21日にニューヨーク・ヤンキースの選手として臨んだ、ヤンキースタジアムでのトロント・ブルージェイズ戦。イチローはR.A.ディッキーのナックルボールを捉え、レフトへシングル安打を放った。これが日米通算4000本目の安打となり、ピート・ローズ、タイ・カップにつづき、史上3人目の4000本安打達成者となった。
すると、その歴史的快挙を成し遂げた際に記念となるものの何かを寄贈してくれないかと、博物館から依頼が来た。イチローは慎重に考えたうえで、思い入れのある大切なバットを野球殿堂博物館に寄贈することを決断した。
しかもその貴重なバットは、自らの手によって届けられた。まだ乾いていない松ヤニのせいで少しベタついた真っ黒のバットは、白いハイソックスに包み込まれ、マンハッタンからクーパーズタウンまで車で慎重に運ばれた。
寄贈品を選手自ら届けに来るのは非常に稀なことで、博物館にとっても忘れられない出来事だった。驚きはそれだけではなかった。イチローは博物館に対して、次のようにメッセージを送った。
「クーパーズタウンは将来、僕の所有する道具などをすべて引き取ってくれることを約束してくれた。4000本目のバットは僕にとって特別なものだが、個人が所有するよりも野球の聖地に置いていただけるのなら、そのほうが幸せであるのは明白」
現役の選手が将来、自身の使用した道具や記念品をすべて博物館に寄贈すると約束したのは、初めてのことだという。
24年に渡るイチローと野球殿堂博物館の関係は、今回の殿堂入りをもって新たな次元に達した。今後、イチローは「来館者」ではなく、「住人」として野球の聖地に迎え入れられることになったのだ。