箱根駅伝「山の神」若林宏樹の初マラソンはなぜ成功したのか? マラソンでも青学旋風が吹く?

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2025年02月06日 19:20  webスポルティーバ

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正月の箱根駅伝では山上りの5区を務め、青山学院大の総合優勝に貢献した若林宏樹が、別府大分毎日マラソン(2月2日)で2時間06分07秒の初マラソン日本最高、日本学生記録に日本歴代7位の記録をたたき出し、2位(日本人トップ)に入り、驚きを与えた。

この好走の要因は何だったのか? 若林本人、また同レースのテレビ解説も務めていた青学大・原晋監督のコメントや関係者への取材から考えてみた。

【終盤の上り坂で本領発揮し快記録】

 別府大分毎日マラソン、山場は36km過ぎの上り坂で訪れた。

 4人の集団が形成されていたが、ビンセント・キプチュンバ(ケニア)が仕掛ける。すると、平林清澄(國學院大)と大塚祥平(九電工)が遅れた。

 この時、テレビの解説を務めていた河野匡氏の見立てが勉強になった。

「大塚君は目を切っていましたね。それで反応できませんでしたが、まだ追いつけるチャンスはあります」

 目を切る。一瞬、チェプチュンバから目を離した隙に、仕掛けられ、反応が遅れてしまったということだ。ロードレースの難しさ、面白さが凝縮された瞬間だった。

 その仕掛けにただひとり、反応できたのは青山学院大の4年生、若林宏樹だった。効率のよいギアチェンジで、するすると坂を上っていく。難なくキプチュンバの後ろについた。

 さすがは、若の神!

 箱根駅伝5区の山上りに対応してきた走法が、この上り坂で生きたのだ。

 このあと、若林は時折つらい表情を浮かべていたが、離れない。むしろ、箱根の山上りで見せた左右の両腕をダイナミックに振るランニングフォームで、そこから推進力を生みだしていた。「内燃機関」だけでなく、若林には確かな技術が伴っていた。

 40km過ぎには先頭に立った。いや、キプチュンバによって押し出されたというべきか。それでもレースの最終盤で若林が優勝を争っていること、そのことに興奮を覚えた。

 大学生、すごいじゃないか。

 一方、若林を押し出すことでキプチュンバは省力化を図り、競技場の手前でスパートをかけた。若林も食らいついたが、スピードで引き離される。このあたり、勝負どころの駆け引きで34歳のベテランに一日の長があった。

 キプチュンバが先頭でゴール。しかし、若林もほどなくフィニッシュ。記録は2時間06分07秒で、キプチュンバからわずか6秒遅れただけだった。

 若林のタイムは初マラソン日本最高記録、日本学生記録、そして9月に東京で開催される世界陸上選手権の参加標準記録(2時間06分30秒)を上回るものだった。

 レース後、テレビの解説を務めていた青学大の原晋監督が、「4代目山の神の称号を与えます!」と山の神認定宣言を出したことに対して、「箱根じゃないですけど」と苦笑いしつつ、冷めた感じで答えたのが、なんとも若林っぽかった。

【青学大は黒田、太田が若林に続くのか?】

 関係各所に取材をして驚いたのは、どうやら若林は100パーセントの状態でレースに臨んだわけではなかったということだ。

 そのため当初、若林がターゲットにしていたのは、出身地である和歌山県記録の2時間18分36秒を切ることにあった。

 まず、体調が万全ではなかったようだ。箱根駅伝が終わってから、5区を走った反動があり、体調が思わしくなく、2週間ほど回復を優先させていたという。それだけ、山上りは過酷だということだろう。

 そして、距離に対する不安もあった。大学生の場合、どうしてもハーフマラソンの距離に特化した練習メニューが秋以降に組まれる。テレビで解説を務めた原晋監督が、「若林は、練習では35kmまでしか走ったことがないので、後半に不安はあることはあります」といった趣旨のことを話していた。

 箱根駅伝が終わってからの体調不良、そして距離練習の不足といった複合的な要素から不安は拭えなかったのだが、若林は見事に走り切った。

 なぜ、若林の初マラソンは成功したのか。

「陸上人生を懸けたレースと思って臨んだ結果です。10年間の陸上人生を締めくくる良いレースになったと思います」

 本人がそう話したように、現役最後の走りと決めていたことで、集中力が増したことはプラスに働いたのだろう。改めて、メンタルが大きく影響する種目だと感じた。

 そして、スタミナが最後の最後までもったことに関しては、原監督が、「年間を通して山上り対策をしてきた成果でしょう」という見立てを話していた。原監督からすると、山上り対策はフルマラソンに有効だということになる。

 これはとても興味深い論考だ。

 2006年から2017年まで、区間距離が延長された。当初の狙いは「マラソンランナーの育成」だった。しかし、世界の長距離界がスピード化していったことで、山上りは必ずしも育成には適していないということで、2018年からは区間距離が短くなった。

 ところが、若林は山対策の有効性を証明した。春から初夏まではトラックでのスピードを磨きつつ、秋以降はハーフマラソンの距離の練習を積み重ねることで、対応できることを実証して見せたのだ。

 これも新たな「青学メソッド」といえるだろうか?

 このあと、大阪マラソン(2月24日)には「絶対外さない男」、箱根駅伝では2区を走った黒田朝日(3年)、そして東京マラソン(3月2日)には4回連続で箱根を走った太田蒼生(4年)がエントリーされている。

 ふたりは山上り対策をしてきたわけではないが、若林と同等の力を持つ選手たちだ。若林の走りに刺激を受け、さらに上を狙ってくることも考えられる。大阪、東京で「青学旋風」が続くことになれば、実業団勢にとっては沽券に関わる事態となってくる。

 さて、若林である。レース直後には、「世界と戦える結果であっても、ここで区切りをつけると決めていましたし、それはブレないと思います。悔いはありません」と話していたが、レースから一夜明けると、「もし、代表に選ばれたら会社と相談します」とスポーツ紙にコメントしている。

 大阪、東京のふたつのマラソンを残して、若林が選ばれる可能性はゼロではないという段階だ。

 それでも、初マラソンでこれだけの結果を出したのだから、現役続行を望む声が高まっていくかもしれない。

 若の神がもう少し現役を続けてほしいという気もするのだが、さてーー。

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