藤津亮太のアニメの門V『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス) -Beginning-』が大ヒット上映中だ。本作はTVシリーズの放送に先駆け、一部話数を劇場上映用に再構築した内容で、物語はまだまだ序盤といったところ。しかし、非常に刺激的な導入であるのは間違いない。
今回は、本作のファーストインプレッションをもとに、どういう補助線を引くことができるかをあれこれ考えてみたい。これは物語の行く先を予測しようというものではない。むしろ頭のトレーニングのようなものだ。手元に配られたカードを眺めながら、どういう手が作れるかを考えるようなものといってもいいだろう。最初に渡されたカードを前にある考えをもっていれば、次にきたカードの位置づけを決めることができる。「手を変える」のか「そのままの手でいくのか」。いずれにせよ作品との対話をより深めることができる。
本作にはふたつの補助線が考えられる。ひとつは作り手たちの過去作品から引かれる補助線。もうひとつはシリーズ作品として内包する補助線だ。
すでに指摘があるとおり『GQuuuuuuX』は、鶴巻和哉監督と脚本の榎戸洋司が以前手掛けた『トップをねらえ2!』を思わせる部分がある。例えば『トップ2!』はノノとラルクというふたりの物語だったが、『GQuuuuuuX』はマチュ(アマテ・ユズリハ)とニャアンというふたりが中心にいる。ふたりの凸凹感なども共通点を感じることができる。
こうした表層以外に、もうひとつ関連点が考えられる。それは先行作に対する批評的な距離のとり方だ。
WEBアニメスタイル掲載の「鶴巻和哉が語る『トップをねらえ2!』秘話 第6回 情報を捏造するという意味での「萌え」」(http://www.style.fm/as/13_special/mini_070130a.shtml)を読むと、鶴巻監督は前作『トップをねらえ!』について「僕にとって『トップをねらえ!』はオタクテーマの物語なんだから、その続編もそう作りたいと思っていた」と語っている。もちろんそれは積層された多重のテーマのなかのひとつではあるが、『トップをねらえ2!』のポイントであることは間違いない。
この発言を踏まえると、「続編」というものは、設定をいかに継承・発展したかということ以上に、前作の主題をいかに読み取り、それをいかに継承・変奏していくか、ということであることがわかる。この『トップをねらえ2!』についての発言から考えるに、『GQuuuuuuX』における『機動戦士ガンダム』への言及は、単なる設定の操作にとどまるものではなく、『機動戦士ガンダム』のどの要素を主題としてすくい上げたか、ということと密接に関係しているのではないだろうか。
『トップをねらえ2!』でおもしろいのは第4話「復活!! 伝説のバスターマシン!」の絵コンテを庵野秀明が担当している点だ。この第4話は前作「発進!! 未完の最終兵器!」を踏まえつつ、それまで距離が遠そうだった『トップをねらえ!』の世界と『トップをねらえ2!』の世界がどのように繋がっているかが明かされるエピソードでもある。偶然だろうが『GQuuuuuuX』における庵野の担当パートを考えたときに、『トップをねらえ2!』で第4話を担当しているのは、妙に符合していておもしろい。
『トップをねらえ2!』第4話は物語の転換点で、それまで描いてきた作品世界の価値観がひっくり返され、その中心に主人公ノノがいるという内容になっている。またノノ自身のドラマもここで転換点を迎えている。
作中におけるこの転換点のシーンで、ノノは小さく歌を口ずさんでいる。これはおそらく劇場版『エースをねらえ!』の引用ではないかと思う。劇場版『エースをねらえ!』で、主人公・岡ひろみが試合中に、プレイヤーとして一皮むける瞬間がある。そのとき、ひろみは無意識なまま「ラララ」と歌を口ずさんでいるのである。この瞬間を経て、岡ひろみは憧れの先輩である竜崎麗香と並び、超えていく。ノノもお姉様と慕うラルクとの関係が変化する。
こうして考えると、この岡ひろみの「ラララ」が、ノノを経由して、『GQuuuuuuX』の劇伴「コロニーの彼女(I_006A)」に響いているようにも聞こえてくる。もちろん『機動戦士ガンダム』において「ララ」という声は特別な意味を持つものだから、そちらとの関係を考えるのが普通の受け止め方ではあろう。しかし個性の違う女性キャラクターふたりがメインであることもあって、考えすぎかもなと思いつつ、ついつい「ラララ」という歌声に岡ひろみの残像を感じてしまうのだった。この楽曲が今後、どんなシーンで使われるかも含めて注目したい。
シリーズものという補助線からは『機動新世紀ガンダムX』を挙げたい。もともと1990年代半ばに放送された『機動武闘伝Gガンダム』、『新機動戦記ガンダムW』、そしてこの『ガンダムX』は「ガンダムによるガンダム論」といった趣が強い3作品だが、その中でも『ガンダムX』はとびきり「ガンダム論」の度合いが高いシリーズだ。
『機動戦士ガンダム大全集 PART2』(講談社刊/2002-8-1)所収の高松信司監督のインタビューを引用しよう。
「『かつて戦争があった……』の戦争は「ガンダムという現象」のメタファーですね。そして新世紀が来たと。新宿で新世紀宣言とかしてね(笑)。しかし、それは自らを滅ぼす戦争だったわけです。それが「かつてあったこと」と。で、今はもうない。そして15年の月日が経ったわけです。そのペンペン草も生えていない、何もなくなちゃった荒野に、川崎さん(引用者注:脚本の川崎ヒロユキ)がガロードというキャラクターを作ってきた。ガロードは『ガンダム』に縛られないキャラクター。これから世界を作っていくのは『ガンダム』じゃないんだと。(略)しかし、ガロードが好きになったティファはニュータイプだった。この『ニュータイプ』というのは『ガンダムという象徴』を表しているわけです。」
高夏監督はこのインタビューで、最初はそんなことは意識していなかったのだが、好きに物語を作っていったらいろいろなことが符号してしまった、とも語っている。そこで高松監督は「自分こそ『ガンダムに魂を引かれた者』だったということに気づいたんです」と話をしている。
『ガンダムX』は、第7次宇宙戦争が終わって15年が経ったA.W.(アフターウォー)0015。これは『ガンダムX』が、1981年の「アニメ新世紀宣言」(劇場公開を前に行われた『機動戦士ガンダム』のイベント)から15年後の1996年に放送されたことと重ね合わされている。そして物語はティファを縛るニュータイプという呪縛(=ガンダムという呪縛)をめぐって収斂(しゅうれん)していく。
『ガンダムX』が(結果として)「ガンダムという呪縛」をめぐる物語になったことと、鶴巻監督が『トップをねらえ!』を「オタクの物語」として受け止め、『トップをねらえ2!』でそれを継承・変奏したことは非常に近い。ここから自然と、鶴巻監督(と榎戸)は「ガンダムという呪縛」とどのように向かい合うのだろうか、という問いもまた浮かび上がる。
『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』がどのような作品になっていくのかわからない。しかし鶴巻・榎戸コンビの作品であること、「ガンダム」シリーズであることを補助線に考えていくと、わずかばかりの手札が秘めている可能性もまた浮かび上がってくる。来たるべき放送開始のとき、新たにどのようなカードが配られるのか、それが楽しみだ。
【藤津 亮太(ふじつ・りょうた)】
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』がある。最新著書は『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」で生配信を行っている。