中谷潤人のLAキャンプ密着ルポ コーチの「奇特な練習」を忠実にこなす姿に見た、選手にとって最も大事なもの

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2025年02月11日 10:20  webスポルティーバ

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【LAキャンプを終えて「満足な状態」】

 1ラウンドを3分ではなく、10分に設定して4回のスパーリング。それがWBCバンタム級チャンピオンに課せられた最終日のメニューだった。激しく打ち合うわけではなく、中谷潤人はディフェンス主体で合計40分間、粛々と動いた。

 パートナーに抜擢された19歳のフェザー級選手は、クリンチでしのぎながら、どうにか任務を遂行した。戸惑いを隠せない表情で、何度もコーナーに目をやる。ふたりのセコンドも、不安気な様子で自分の選手を見守った。

 40分のスパーリングを終えると、中谷はシャドーボクシングに移った。疲れ果てた19歳は、もうこれ以上動けないといった顔で、汗に濡れたトレーニングウエアを脱いだ。

 両者に目をやりながら、ルディ・エルナンデスが言った。15歳で単身渡米した中谷を、3階級制覇の世界王者に育てたトレーナーである。

「コンディショニングさ。それプラス、メンタルのトレーニングでもある。ジュントは明日、日本に向かうロングフライトだから、体のシャープさを保つのに丁度いい。彼だからこなせるんだがね」

"リトル東京"の一角に建つLAボクシングジム。2月24日のタイトルマッチに向け、現地時間1月8日に始まった今回のキャンプは、2月6日で一次が終了。これから日本で最終調整に入る。

 中谷はこう話した。

「今回も自分を追い込むことができました。ひと段落という感じですね。体のキレを感じます。昨日くらいから、疲労も抜けてきました」

 1ラウンド10分という、奇特な練習について質した。

「15歳の頃から1ラウンド5分はやっていましたが、10分にセットされたのは初めてです。ただ、そこまで打ち合ってはいないので、長いとも感じなかったですね。疲れたなかでどう動くか、精神面の持っていき方という要素もあったのかな。

 今週の頭は疲労が溜まり、スパーリング中に打たれるシーンがありました。なぜパンチをもらったのかを自問自答しながら、トレーニングを積みました。2日前くらいから調子がよくなったので、そこも自分自身や体と対話しています。満足な状態で帰国できますよ」

 WBCバンタム級チャンピオンの言葉からは、トレーナーへの絶対的な信頼が伝わってくる。日頃から中谷は、「昔からルディの指導に疑問を感じたことはなく、ただこなすだけです」と語る。15歳にして、プロの世界でトップに立つことを夢見てボクシングの本場に乗り込んだ中谷は、ルディの実家にホームステイした。以来、エルナンデス家全員で世界チャンピオンを支えている。中谷と彼らには確かな絆が存在する。

【かつて名伯楽が語った「選手にとって最も大事なもの」】

 今日、中谷が目標のひとつとするパウンド・フォー・パウンド。もし、全階級の世界チャンピオンが同じ条件で拳を交えたら、誰が最強かを占う架空の理論である。21名の世界チャンピオンを指導した伝説のトレーナー、故エディ・ファッチは「実際に戦わないのだから、この論議は無意味だ」と述べている。そんなファッチは「選手にとって最も大事なものは、ボクシングに対する姿勢だ」と説いた。

 ジョー・フレージャー、ケン・ノートン、ラリー・ホームズ、マイケル・スピンクス、トレバー・バービック、リディック・ボウと、ヘビー級だけで6名を手掛けた名伯楽は、1990年代前半にトップの座をつかんだボウと袂を分かった。

 1988年のソウル五輪で銀メダルを獲得し、イベンダー・ホリフィールドを下して統一ヘビー級王座に就いたボウが若手だった頃、ファッチは預かった選手の人間性を見極める"実験"をした。

「明日、私は用事があって朝のロードワークに付き合えないが、きちんと走っておくんだぞ」

 そう言い渡して、翌朝、物陰に隠れてボウがきちんと走るかどうかを観察したのだ。196cmの巨体が迫ってくる姿を目にし、「この子なら信頼できる」と二人三脚を続けた。だが、3冠統一ヘビー級チャンピオンとなったボウは手抜きを覚え、練習に打ち込めずに堕落していく。

 幾度となく忠告したファッチだったが、自ら別れを告げ、不肖の弟子を切り捨てた。1996年に筆者がインタビューした際、名トレーナーは言ったものだ。

「今、彼がどんな生活をしているのかに興味はないし、知ろうとも思わない。もう、私には関係のないことなんだよ。ボクサーが成功するには、努力が欠かせない」

 ルディは全身全霊でボクシングに取り組む中谷を認め、彼の能力を最大限に引き出すことを常に考えている。その仕事ぶりはファッチと通じるものがある。

【メイウェザーはトレーナーだった実父と決裂】

 スーパーフェザーからスーパーウエルターまで5階級を制し、1990年代末から15年もの間、パウンド・フォー・パウンドの名を恣(ほしいまま)にしたフロイド・メイウエザー・ジュニアも、指導法を巡って、トレーナーを務めた実父をコーナーから外している。ボクシング界において、選手と指導者の関係とは、危険を孕む。

 アトランタ五輪で銅メダリストとなったフロイド・ジュニアは、デビューから16戦を元世界王者(WBAスーパーフェザー、WBCスーパーライト)の叔父、ロジャーと共にこなした。IBFウエルター級1位でキャリアを終えたシニアは、息子のデビュー時、麻薬売買の罪で収監されていた。父親の出所後、親子でリングに上がるようになったが、いつしか「このクソ野郎。俺の前から消えろ!」なる言葉を浴びせるほど、親子関係は悪化してしまう。

 フロイド・ジュニアは叔父を選んだ。2020年58歳で鬼籍に入ったロジャーは、生前、決裂の理由を述べた。

「兄の教え方が悪いんじゃない。私の考えの方がフロイドと合うんだ。コンビネーションを多用する、よりアグレッシブなスタイルさ。フロイドのパンチ力は私より弱いんじゃないかな。ボクサーは自分に合ったスタイルを確立しなければいけない。短所を長所で補うことも大切だ」

 どんなに才能に満ち溢れていても、それを引き出す指導者の存在が無ければボクシング界で成功することは難しい。中谷はルディと出会えた。また、3階級を制しながらも、素直に他者の意見を聞く耳を持っている。

「メイウェザーは、もらった言葉に対して『やってみよう』という気持ちがなかったのでしょう。ルディはアイデアが豊富で、日々の練習でいろんな気づきがあって、楽しめています。アドバイスを受けたら、それを試したい自分もいるんですよ。気づきのたびに、よりボクシングの魅力を感じます。

 僕はまだ、現状の自分に納得できていないんです。今回のキャンプまでは接近戦の折、上体の動きで相手のパンチを外していました。でも、体をサイドに置いたり、『ガードしてブロックしろ』と指示されたんです。微調整ですが、その積み重ねが自分を強くしてくれると感じています」

【中谷は「自分の時代を築ける男」】

 一方のルディも、「自身の最高傑作だ」とWBCバンタム級王者を称える。

「15歳で私の下に来た時、『たまにはオフを作ろう』と思って遊園地に誘ったんだ。同じ年代の若者たちも一緒にね。他の子たちは目を輝かせていたけれど、ジュントだけは『ジムに行きたい』って言ったんだよ。あのひと言は忘れられない。『この子はモノになる』と思ったね。私が提案しておきながら、断られてうれしく感じたものさ。

 ひとつひとつ、武器を身につけたから今がある。とにかく、ボクシングに捧げる姿勢が他の選手とは比較にならない。可能な限り彼を伸ばすことが、私の役目さ」

 現役時代、WBCウエルター級11位が最高位だったルディは27歳で引退後、弟のジェナロを指導するようになった。

「経験を積み、3年後に『コーチになれた』と感じた。弟も私の言うことを理解し、世界タイトルを手にしたしね。私はコーチとトレーナーは別物だと考えている。バンテージを用意してマウスピースを洗ってうがいをさせるレベルと、ファイターをしっかりと成長させる違いだ。確固たる哲学を持っているのがコーチだ。

 私が携わった中で最も優秀な選手は間違いなくジュントだ。弟を超えている。まだまだ伸びるよ。自分の時代を築ける男だ」

 2025年1月7日から2月7日までLAに滞在した中谷は、1ラウンド10分のメニューも、『ノーガードで相手を誘ってみろ』という助言も、『ロープを背負った状態から戦え』という指示も忠実にこなした。すべてが自分の糧となることを体験しているからだ。

 2月24日、中谷は彼らしいパフォーマンスでWBCバンタム級タイトルを防衛するだろう。ルディも彼も、勝利の先に井上尚弥戦が待ち受けていることを把握している。

 帰国前日、中谷はかつてホームステイしたルディの実家で言った。

「まずは次の試合で圧勝したいです。自分の価値を上げ、井上尚弥選手ともやりたいですね。正式に試合が決まった時が、ベストタイミングなのでしょう。もちろん勝ちにいきますよ。これからも全力でやっていくだけです」

 LAの日差しが27歳のチャンピオンの体に降り注いでいた。中谷潤人は、まさに昇りゆく太陽だ。

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