写真―[インタビュー連載『エッジな人々』]―
ラジオ黄金期と呼ばれた時代から、もう50年はたつだろうか。音声メディア復権の鍵を握るのは下町育ちの23歳、赤髪の女のコだ。大物を筆頭に、中年男性たちも虜にする、“本音のしゃべり”。新世代のラジオスターと言わしめる、その正体に迫った。
◆「令和のラジオスター」は自称!?
レギュラーラジオを3本抱える、ピンク髪がトレードマークの“令和のラジオスター”をご存じだろうか。
’01年生まれ、東京下町育ち。ガールズバンドGacharic Spinのマイクパフォーマーを務める彼女の名はアンジェリーナ1/3(以下、アンジー)。一見、Z世代の申し子とも言える見た目と肩書だが、意外な一面も……。
──実は、主なリスナーは昭和世代が多いって本当ですか?
アンジー:そうなんです。ライブハウスより落語の寄席の会場で声をかけられることが多いくらいで(笑)。講談師の神田伯山さんのラジオで代役を務めたことがきっかけで、そこからガラッと環境が変わりました。
◆リスナーに勧められた神田伯山の講談
──もともとは、リスナーから伯山さんの講談を勧められたんですよね。
アンジー:初めてのラジオ『アンジェネレーションラジオ』(ラジオ日本)ではまだ何を話していいのかわからなくて。
大好きな岡本太郎さんや横尾忠則さんのことを語った流れで「まだアンジーが触れたことのなさそうな、人生に彩りを与えてくれるもの」をメールテーマにしたら、「講談師の神田伯山さんです」と。
あのとき、好奇心のセンサーがビビッときて、すぐチェックして、どハマりです。
そこから寄席にも通うようになりました。表現者として絶対に触れるべき表現に出合ったなっていう気持ちでいっぱいで、講談の素晴らしさを30分間熱弁したら、それが伯山さんの耳にまで届いてアンジーのラジオを聴いてくれて……そこからご縁が生まれました。
ラジオを通したラリーから、まさかのまさかで代役までさせていただいて。実はこの間お会いしたときも、「すごくいいストリップショーが千秋楽になるから見てきたらいいよ」って、“伯山”って書いてあるポチ袋に入った1万円を渡されて(笑)
浅草のロック座に初めて行きました。すっごい感動して、長文でお礼の連絡をしたら、「ああよかったよかった」とだけ。久しぶりに会うたび、伯山さんは必ず、人生の分岐点みたいな、バーン!って衝撃を一発残してくれる。
◆「令和のラジオスター」は自称していただけ
──素敵なご関係ですね。「令和のラジオスター」というのは、最初は自称だったとか?
アンジー:はい、完全に自称です。夢は口に出せば叶うと思ってるので。えっへへ。自分を表現する場が音楽だけではなく、ラジオやテレビにまで広がってきて、爆笑問題の太田光さんと共演したときに「次世代のラジオを担うコだ」って言ってもらって。
その一言をお守り代わりに、伯山節じゃないですけど、誇張して自称していたら、いつの間にかこんなことに。
──ラジオでは、例えば「メロい」といった若者言葉を自然とフォローしながらトークしていてすごく聴きやすかったです。
アンジー:上の世代への配慮というか、世代関係なく、その瞬間に聴いてくれる人を置いていかないようにしたくて。「メロい」がわからなくてムズムズして話が入ってこないとか、何の話をしてるのかわからないっていうのがラジオで一番冷めちゃう瞬間だから。
通りがかりの人に向けて話しているんだけど、なんなら「この言葉、今覚えたからこの後使っちゃおう」って思えるくらい全員を巻き込みたい。
「それ、どういう意味?」ってラリーが発生する会話を、一人しゃべりでもちゃんとやりたい。新規に優しいラジオです!
◆父の死を機に演技の仕事から距離を置いた
──元は子役出身なんだとか。
アンジー:小学3年生頃から3年間ほどだけなんですけどね。映画『サウンド・オブ・ミュージック』を見たときに「これだ!」と思って。でも、実際はお芝居よりバラエティのお仕事のほうが多かった(笑)
──その頃からしゃべりの才能があったんですね!
アンジー:実は父も昔役者志望で、自分の夢を諦めて、料理人になって家族を支えてくれていたんです。私がお芝居をやりたいって言ったら「自分の夢を押しつけたくなかったから、話したことがなかったけど……」って泣いて喜んでくれて。
でも、中学1年生のときに父は病気で亡くなって。台本の読み合わせも何もかも、ずっと一緒にやってきたお父さんがいないのに、一人でお芝居を続けていくことはできませんでした。
それからずっと演技の仕事から距離を置いていたんですけど、2024年の初めに鈴木おさむさんから声をかけていただいて、『芸人交換日記』という舞台に立ちました。本当に、父と私にリンクするようなお話だったんです!
ここからだったらもう一度お芝居ができるかもしれないって、すっと体に入ってきた感じがしましたね。お芝居の仕事は夢の原点だったので、またやりたいっていう気持ちがふつふつと芽生えてます。
◆引きの強さだけでやってきた23年間
──12月5日に発売された初の著書『すばらしい!!日々!』で、山崎怜奈さんが「少年漫画の主人公ですか?」とコメントを寄せていたのが印象的でしたが、説得力のあるエピソードですね。そういう引きの強さは昔から?
アンジー:振り返ると、引きの強さだけでやってきた23年間ですよ!
伯山さんとのご縁もまさにそうです。著名なお知り合いなんてたくさんいるのに、ラジオの代役にアンジーを選んでもらえるなんて。
そもそも、畑も違うロックバンドのピンク髪の女のコがやってるラジオを30分間も聴いてもらえないはずなんですよね(笑)
──Gacharic Spin加入のきっかけも、高校の文化祭で披露した弾き語りを見たリーダーのF チョッパー KOGAさんにスカウトされて……。
アンジー:それも引きですね、本当に。本来バンドマンって、誰もいないライブハウスで弾き語りしたり、路上ライブしたり、デビューまでに過程があるじゃないですか。アンジーはそれを全部すっ飛ばしてきてる。
◆下積みの「し」もない状態でステージへ
──もしかして、下積みゼロの人ですか?
アンジー:ゼロどころじゃないです。下積みの「し」の字もない状態で、下駄履いていきなりステージに立ちました(笑)
メンバー加入オーディションを経て、「私の何がそんなに良かったんですか? やっぱ歌声とかですか!?」って聞いたら、「ぜんぜん、歌がうんぬんとかじゃないよ。とにかく華があって、なんか気になっただけ」って。
──すごい、なんか芸能界の本質みたいな話ですね。
アンジー:私的にはやっぱ歌で評価してもらいたかったんですけどね!? でも嬉しかったです。そう言ってもらえて。裕福な家庭ではなかったし、「もう芝居をやらないなら、将来は安定した仕事に就いてくれ」と言われてたんですよ。
だけど、父が残したいろんなCDのジャケットを見ているうちに、お父さんとの思い出が蘇ってくる“音楽”をやりたいなって思うようになって。
「高校3年間のうちに絶対プロになるから!」って母を説得して、表現に特化した私立校に通うことを決めて、奨学金の手続きも全部自分でやって、4月2日からすぐ朝も夜もバイトを始めて、掛け持ちで学費を稼ぎながら学校に通って。
もう、Gacharic Spinのオーディションは「絶対に決めなきゃ、ここでダメならもう夢を諦めなきゃいけない」ってタイミングでした。
◆ラジオでバンドの話をしないワケ
──トントン拍子に見えて、壮絶な覚悟が。
アンジー:私は、すべての活動はバンドのためにやってるって気持ちが強くて。でも、ラジオではメンバーのこともライブのこともぜんぜん話しません。Gacharic Spinファンの方はもしかしたら「もっとバンドの話してよ!」と思うかもしれないけど、あえてそこはしてないです。
「ラジオを大切にしていると、必ず本業に返ってくる」って伯山さんに言われたことがあって、自分を応援してくれる人に向けた“内輪っぽい”ラジオをやっていたときは、その言葉の意味がわからなかったんですよ。
だけど最近は、テレビともSNSともまた違う、アンジーの気持ちを理解して、言葉を聴いてくれる人たちが、ラジオに集まっているんだって感覚があります。
熱を持って聴いて、愛してくれる方がたくさんいる。これはラジオにしかない強みだし、「ラジオのお仕事ができてよかった」って思う一番の理由ですね。
◆ベテランから好かれる理由はズバリ「愛嬌」!
──業界各種、並み居るベテランから好かれる理由は、ご自分ではどういうところにあると思いますか。
アンジー:えええ、愛嬌ですかね?(笑) 私は下町で育ったので、チャキチャキした感じのおじちゃんとか、上の世代の方々から「アンジーと話してると懐かしい気持ちになる」と言ってもらうことが多いです。
そのおかげで、すごくよくしてもらっていますね。お手本はずっと、私のおばあちゃん。いつもニコニコしていて、人の話を聞くのが本当に上手な人なんです。相づちのタイミングも絶妙で、どんなときでも前向きな言葉をかけてくれて。私が育った家には、いつもおばあちゃんの友達が入れ替わり立ち替わり訪ねてきて、
私もおじいちゃんおばあちゃんからいろんな話を聞かせてもらった記憶があります。相手が林家たい平さんや玉袋筋太郎さんみたいな大御所さんだったとしても、「飛び込んでこい」って感じで両手を広げて迎えてくれると、「じゃあ私も行っていいんだ!」って。周りの皆さんの愛情深さがあってこそ、こうして生意気にも飛び込めるんだと思います。
◆いま、口に出したい夢は?
──最後に、いま口に出したい夢はなんですか?
アンジー:うわ、難しいですね! 私、座右の銘が「夢は口に出せば叶う」なんですけど、夢は「自分が想像できない未来をつくる」だから、まだ口に出せないんですよ(笑)
’25年もまだみんなが想像していなくて、自分自身も想像できなかったことを実現する1年にしていきたいので、引き続きアンジェリーナ1/3という人間を面白がってください!
【Angelina1/3】
’01年、東京都生まれ。高校の文化祭でスカウトされ、’19年にGacharic Spinに加入。初の著書『すばらしい!!日々!』(文藝春秋)が12月5日に発売。
取材・文/小西 麗 撮影/杉原洋平 撮影協力/TBSラジオ
―[インタビュー連載『エッジな人々』]―