アトラシアンがウイリアムズのタイトルパートナーになったという発表は、イギリスの古豪がチームの正式名称に組み込めるほどのスポンサーを持てなかった5年間の歳月に終止符を打った。これは、チーム代表のジェームズ・ボウルズが2年前に引き継いだ長期プロジェクトの新たな礎となる。
ボウルズはメルセデスF1チームの戦略責任者として名を上げる一方で、チームの若手ドライバープログラムも運営していたが、トト・ウォルフ(メルセデスF1チーム代表)が日常業務から退かないことを決断するまでは、チーム代表として彼の後任になることを視野に入れていた。
そんな彼にウイリアムズからオファーが来たとき、ボウルズはためらうことはなかった。また、上司だったウォルフもこの動きをサポートし、自身が以前株主だったチームに参加するよう勧めるとともに、「とにかく、台無しにしないように」というアドバイスをボウルズに送った。
ボウルズがウイリアムズの“ホーム”であるグローブで目にしたことは、彼にとって衝撃的だった。現チーム代表は最近、次のように説明している。
「物理的なインフラがトップチームのものより20年ほど遅れており、最新のハードウェアが大幅に不足していた。チームには適切な経験とメンタリティを備えた人材が不足しており、多くの手順が完全に時代遅れだった」
最先端のマシンを製造する、チームの能力を向上させるために懸命な取り組みを行ったボウルズは、2024年型シャシーの製造で賭けに出たが、それは大きく裏目に出た。チームの筆頭株主であるドリルトン・キャピタルの投資にもかかわらず、ボウルズが設定したスケジュールでマシンの設計と製造ができるようなスピードで物事は進まず、結果としてウイリアムズはスペアのモノコックなしでシーズンを始めなければならなかったのだ。
その影響でアレクサンダー・アルボンが予選前に自身のシャシーを損傷した際には、チームは残りの週末のために、ローガン・サージェントのマシンを彼に渡さなければならず、サージェントはその週末の役割をドライバーから観客へと変更せざるを得なくなった。
また、年間を通じて数回の重大クラッシュが起こり、スペアパーツとアップグレードの供給がさらに遅れた。アルボン、サージェント、そして後にフランコ・コラピントが相当数のマシンとパーツを破壊したためだ。
チーム改革開始から一年が経ち、今やウイリアムズは以前よりも早く、より優れた成果を出すための物理的なハードウェアと人的資源を備えている。アウディへの移籍の可能性があったカルロス・サインツをウイリアムズに加入させるのに役立ったのは、ボウルズがチームを引き継いで以来達成した進歩だった。
サインツの加入により、ウイリアムズはパドック内だけでなくスポンサー側からも新たな信頼を得た。元フェラーリのドライバーが、サンタンデールを主要スポンサーとして持ち込み、そのつながりが今度はアトラシアンの参加につながったのだ。
今では、ボウルズがウイリアムズをふたたびトップグループに導くために必要だと主張していたほぼすべての要素がそろっている。つまり今季2025年と新規定が導入される来季2026年は、ボウルズがチームを成功に導く能力を試す究極のテストとなるだろう。