原作:押井守、作画:藤原カムイという布陣で1988年から連載されたコミック『犬狼伝説』。『ケルベロス・サーガ』と名付けられ、押井守のライフワークとなった一連の作品群の中でも、基礎的な方向性を決定づけた作品である。
このコミックが、新奇収録の内容を含めた『犬狼伝説 改』(双葉社)として、3月19日に改めて発売される。
『ケルベロス・サーガ』の出自は、少々複雑だ。サーガの中でも最初に作られ1987年に公開された映画『紅い眼鏡』は、声優・千葉繁のプロモーションビデオとして企画がスタートしている。しかし予定を変更し、押井守が監督する実写映画として製作された。脚本の伊藤和典、さらに鷲尾真知子や田中秀幸、玄田哲章といった出演者には、押井が参加していた『うる星やつら』の関係者が多数参加している。
この作品で、『ケルベロス・サーガ』の骨子は完成されている。「凶悪化した都市犯罪に対処するため、『ケルベロス』の名で呼ばれる重武装・重装甲の警察組織が組織される」「しかし『ケルベロス』の活動は世論の反発を浴び、組織は解体に追い込まれる」「『ケルベロス』は武装解除に抵抗、蜂起する」といったサーガ全体を貫く要素は、『紅い眼鏡』で培われたものだ。『紅い眼鏡』では、蜂起から3年が経過したところに千葉繁演じる元"ケルベロス"の隊員である都々目紅一が帰還し、不条理でシュールな物語に巻き込まれていく。
◾️『紅い眼鏡』から派生したコミック版『犬狼伝説』
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コミック版『犬狼伝説』は、この『紅い眼鏡』の次に製作された作品だ。『犬狼伝説』では20世紀末だった『紅い眼鏡』の時代設定を大きく変更し、「第二次世界大戦でドイツに敗北した架空の日本における、昭和三十年代ごろ」という設定を採用。さらに、「首都の治安維持のため国家公安委員会直属の国家警察として『首都警』が設置され、『ケルベロス』は首都警警備部に所属する実働部隊だった」という設定が取り入れられている。
この設定のもと、セクトと呼ばれる都市ゲリラと特機隊の死闘、そして首都警と特機隊をめぐる政治的暗闘を描いた群像劇が『犬狼伝説』だ。舞台は第二次大戦に敗北するも、復興を遂げつつある架空の日本。強引な経済政策によって生まれた失業者の群れとその都市流入によって東京にはスラムが生まれ、それを温床として「セクト」と呼ばれる都市ゲリラが出現。セクトに対応しつつ、また自衛隊の内政への介入を抑え自治体警察を牽制するため、政府は国家警察として首都圏治安警察機構、通称「首都警」を設立する。
首都警の実働部隊である特機隊はセクトと市街戦さながらの死闘を演じたが、経済発展を遂げつつある社会の中で特機隊は急速に孤立を深めた。かつて首都の治安維持を担った精鋭たちはその役割を終えつつあり、しかしそれでもなお犬の如く命令に従って戦おうとする特機隊員たちの姿を描く……というのが、『犬狼伝説』のストーリーである。
◾️韓国でもリメイク、なぜ支持される?
『犬狼伝説』で整備された設定が、以降の『ケルベロス・サーガ』では(色々とブレはあるものの)概ね採用されている。『紅い眼鏡』の前日譚的内容で台湾や香港での撮影が行われた『ケルベロス 地獄の番犬』や、『犬狼伝説』と同時代を舞台に『赤ずきん』の物語をベースとした悲劇を描いたアニメ『人狼 JIN-ROH』など、呪われた犬たちの物語は様々な媒体で語られてきた。近年では韓国で『人狼』のリメイク版実写映画も製作され、こちらはNetflixにて見ることができる。
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この『ケルベロス・サーガ』の最大の魅力というか、シリーズ全体の顔と言える存在は、やはりプロテクトギアだろう。出渕裕によってデザインされ、『紅い眼鏡』の撮影時には実際に人が着用できるものが製作された装甲服である。正式には92式特殊強化装甲服という名称が設定されており、ドイツ軍のシュタールヘルムに顔面を覆うマスク、そしてふたつの赤い目玉が取り付けられた暗視装置で構成された頭部のデザインには圧倒的なインパクトがあった。押井守本人の思惑はともかく、外野からすればこのプロテクトギアのデザインが圧倒的に禍々しくかっこよかったことが、シリーズがここまで続いた要因ではないかと思う。
そして「軍事警察組織内の暗闘」「時代に合わなくなった犬のような男たちの戦い」という、軍隊組織などの組織図や編成図が大好きなタイプのマニアがヨダレを垂らして喜ぶようなテーマを主題としている点も、このシリーズの大きな魅力だ。武闘派の組織という存在自体が時代の変化についていけなくなりつつある特機隊。自治体警察との合流を果たし「犬の血統」を残さんとする首都警公安部。そして時代と組織の狭間で暗闘を繰り広げる、忠実に命令を実行する犬のようにしか生きられなかった男たち……。ドロドロとした政治的駆け引きと男たちの情念の濃厚さは、(シリーズの原点となった『紅い眼鏡』ではちょっと毛色が違うものの)ケルベロス・サーガ全体の大きな魅力である。
ケルベロス・サーガの魅力をさらに書けば、押井守という現代の映像作家の中でも突出して理屈を捏ね回すのがうまい人物が、捏ねに捏ねまくった妄想の世界を眺め回すことができる、という点もある。『紅い眼鏡』はケルベロス唯一の生き残りである都々目紅一の物語であると同時に、それ以前から押井守が妄想していた要素の詰め合わせのような映画でもある。そこには立喰師の姿もあり、『御先祖様万々歳!』にも同名の人物として登場した室戸文明も登場する。犬や立喰といった、押井守が長年妄想してきた要素が詰め込まれた実験場が、ケルベロス・サーガの世界なのである。
◾️藤原カムイの圧倒的画力
そんなシリーズのコミック版である『犬狼伝説』には、他のシリーズ作品にはないアドバンテージがある。まず他の作品に比べると、予算面での制約がほとんどない。実写映画で架空の昭和三十年代のセットを作ったら大変なことになると思うが、コミックなので背景も登場人物の服装も自由。用意するのが大変なプロテクトギアを着用した特機隊員も、描けるだけ登場させることができる。
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そんな条件も作画がまずければアドバンテージたり得ないが、本作の場合、絵を描いているのは死ぬほど絵が上手い藤原カムイである。シャープでリアルな描線は今見ても全く古びておらず、とても40年近く昔のコミックには見えない。実在する昭和の風景と異形の特殊部隊である特機隊を見事に共存させており、間に10年以上の中断を挟みつつもこの作品が特機隊の武装蜂起というクライマックスまでを走り切ったのは、ファンにとっては幸運なことだったと思う。
◾️押井守の妄想を鮮烈に表現した傑作
つまりコミック『犬狼伝説』は、藤原カムイという唯一無二の漫画家の手によって、予算的・時間的制約なしに押井守という作家の妄想を鮮烈に表現した作品である、と言えるはずだ。長きに渡ったケルベロス・サーガへの入門として最適な作品であり、正直に書けばおそらくサーガの中で一番バランスが取れて面白い作品でもある。さらに、3月に発売される『改』では、藤原カムイが描いた『紅い眼鏡』のコミカライズ版も収録されるという。先行して『漫画アクション』に掲載されたものを自分も読んだが、白黒の画面を見事に絵に落とし込みつつ、不条理な映画の内容を見事にコミカライズしていた。『紅い眼鏡』と『犬狼伝説』の両方を一冊で読めるわけで、まさにケルベロス・サーガにエントリーするのにうってつけである。
ケルベロス・サーガ自体が40年近く前に始まった物語であり、『犬狼伝説』の完結自体が25年前と、すでに長い時間が経過したコンテンツでもある。だが、積み上げられた偽史と押井守の妄想のパワー、そしてプロテクトギアの禍々しいかっこよさは今もって錆びついていない。そこそこ値段の張る本ではあるが、これから呪われし三頭犬の物語に触れるという幸運な読者にも、ぜひおすすめしたい一冊である。
(文=しげる)
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