東洋水産株式会社(マルちゃん)の公式Xより 東洋水産が2025年2月6日に公開した、「赤いきつね 緑のたぬき」のウェブCM 「『ひとりのよると赤緑』おうちドラマ編」が大きな話題を呼んでいる。
2月16日ごろからXで「気持ち悪い」「性的に見える」といったネガティブな声が拡散され、その一方で「性的なものを見出す人のほうがおかしい」「普通においしそうに思える良いCMじゃないか」といった反対意見も多い。
◆“非実在型ネット炎上”とする声もあるが……
この騒動を炎上と呼ぶこともできるとは思うが、批判一辺倒ではなく、決して多数派とはいえない意見を糾弾する声が多いこともあって、極めて局所的かつごく一部の批判ムードが炎上と捉えられてしまう「非実在型ネット炎上」とする声もある。
しかし、筆者個人としては、この騒動で考えるべきことはあると思う。まず、本作を「性的に感じるか否か」という二元論で語ってしまうと、本CMで決して少なくない人が感じている「気持ち悪さ」「居心地の悪さ」とのズレがあるのではないだろうか。
さらに、個人が選んで観ることができるテレビアニメや映画といった創作物ではない、意図せずに不特定多数が見る可能性があり、かつ商品を訴求する目的があるCMでの表現では、やはり一定の工夫と配慮が必要なのではないだろうか。それぞれについて記していこう。
◆「フェティシズム」は確実にある
今回のCMは2つのパターンがあり、1つは女性が家で涙ぐみながらも「赤いきつね」を食べる様子、もう1つは男性が学校の職員室でパソコンで作業をしつつ「緑のたぬき」を食べる様子を映している。女性はドラマを観て泣く、男性は遅くまで残業という、両者のシチュエーションを比較した上での、ジェンダーバイアスを感じるといった批判意見にも納得できる。
そして、「赤いきつね」のほうで多くの人がまず居心地の悪さを感じている理由は、家で一人でカップうどんを食べながらドラマを観ているという、本来は誰にも見られていないはずの生活を「覗き見しているような」感覚にあるのではないか。
それだけならまだしも、そこにあるのは「頬を赤らめる」「髪を耳にかける」といった、やはり少なからずフェティシズムを込めていると言わざるを得ない描写なのだ。もちろん、それぞれは必ずしも性的な表現ではないし、「清楚な女性」というステレオタイプな印象を抱くかどうかも人それぞれで異なることを前提として、「理想的な女性の仕草や印象」の押し付けのように思えるという意見には納得できる。
「極めてプライベートな空間」で「ドラマを見て泣いて」「手軽に作って食べられるカップうどんを食べている」というありふれているようで、ややオーバーにも思える日常を覗き見されているようにも思える。
そこには「アニメならではの現実から誇張もできる表現」をもって「女性の仕草のフェティッシュさ」が目立っている。この居心地の悪さと気持ち悪さは、「性的か否か」という単純な判断とは微妙に、しかし確実に異なっているのではないだろうか。
また、同CMには「女性の(おそらく)一人暮らしで夜にカーテン開けてるのはあり得ない」「(湯気で曇らないように外した)メガネの置き方が上下逆」「ベランダが見える窓の横になぜドアがあるのか(どういう間取りなのか)」「テーブルの奥の脚が消えている」「(クッションを背中に置いているだけかもしれないが)座椅子に座面の部分がない」といったツッコミも多く寄せられている。
こうしたシチュエーションやアニメとしての作り込みにおける違和感も、気持ち悪さや居心地の悪さに少なからずつながっているのだろう。
◆「CMでの表現」としてのあり方
ここまで大きな話題となったこともあって、CMとしては成功しているという捉え方もできる。しかし、もしも同CMが女性への商品への訴求を目的としているのであれば、当の女性に「こんなふうに頬を赤らめてカップうどんを食べたりしない」「これから食べづらくなってしまった」などと思われてしまっては、元も子もないだろう。
それでも今回のCMは賛否両論というくらいだが、はっきりと批判意見が強く、問題となった過去の事例がある。それは2020年のストッキング・タイツメーカー「アツギ」のTwitterでの広告で、そちらは総勢30人のイラストレーターによる、同社の製品を着た女性をイメージしたイラストの投稿だった。
その中には女性のセクシーさを感じさせるマンガを手がけている方もおり、実際のイラストも防寒着としてのあり方よりも、「男性から見た女性が着ているタイツへのフェティシズム」を多くの人に感じさせてしまったのは事実だ。今回の件と併せて、企業CMのあり方として教訓とすべきものだろう。
その上で、論点のひとつとなるのは「公共性が高く不特定多数が見るCMでの表現」であることだ。女性がおいしい料理を食べる様子を性的に描いた漫画やアニメは多数存在しているが、それは読者および視聴者が選んで楽しむサービスシーンとして許容されていて、もしも不快に思うのであれば触れない選択ができるものだ。
よって、今回のCMと、グルメものの創作物でのセクシーな表現との比較での批判は、そもそも成り立たないのではないか。
◆アニメでの女性の描き方が一辺倒と捉えられてしまう問題も
また、今回のCMおよび食事の表現に限らず、イラストやアニメにおける女性の表象が、もっと多様性のあるものとして描かれたり、認識されても良いのではないか、と思うところはある。たとえば国民的な作家となった新海誠監督のアニメ映画でも(特に未成年の)女性への描き方はやり玉にあげられやすく、今回のCMからそれらの作品群を連想した人もいる。
もちろん、新海誠監督の女性の描き方は、それはそれで作り手の信念や愛情がこもったもので、だからこそ作品の魅力になっている部分もあるし、それは今回のCMも同様だろう。
そのことを前提にして、他にも多数のアニメ作家が存在しており、女性の描かれ方も多様なはずなのだが、新海誠監督作品や今回のCMだけで「日本のアニメはだいたいこんなふうに女性を描いているんだよな」とネガティブに思われてしまうのはもったいないことでもあるし、そうした表現で現実の女性への見方にバイアスがかかってしまう危険性も確かにあるだろう。
また、言うまでもないが、CMでイラストやアニメを用いること自体は、幅広い人に訴求する方法のひとつとして、積極的になってもいいことだ。たとえば、同じくアニメで表現されたカップうどんおよびそばのCMでは、日清の「どん兵衛」の「どんぎつね」シリーズがあり、きつねの耳としっぽをつけた少女が登場し、頬を赤らめたりもするが、今回のような大きな騒動には発展せず、寄せられた感想も概ね好評だ。
はたまた、絵柄がジブリアニメ版とはまったく異なる、2024年のマクドナルドの『魔女の宅急便』とのコラボCMも、少女・キキの天真らんまんさや表情がかわいいと大好評を博している。
結論としては、受け手が選んで楽しめる創作物では作り手がやりたいようにフェティシズムに込めてもいいかもしれないが、今回は商品を訴求するという目的および、不特定多数が見て広く受け入れられる必要があるCMとして、少なくない人にとって許容範囲を超えた表現だった、ということだ。
どこまでが良くてどこまでが悪いと単純に線引きすることは難しいが、今回の議論によって、CMのあり方や、ひいてはフィクションにおける女性の描き方について、考えるきっかけになれば、それは意義のあることだろう。
<文/ヒナタカ>
【ヒナタカ】
WEB媒体「All About ニュース」「ねとらぼ」「CINEMAS+」、紙媒体『月刊総務』などで記事を執筆中の映画ライター。Xアカウント:@HinatakaJeF