2024.12.13/東京都渋谷区のユニバーサルミュージックにて 【東京・原宿発】昨年末、恒例の日本レコード大賞に、Mrs. GREEN APPLEの「ライラック」が選ばれた。2年連続の快挙である。その会場である新国立劇場の舞台の片隅に、とてもうれしそうな表情の藤倉さんがいた。テレビカメラがとらえたのはほんの数秒だったが、ミセスの演奏を見守りながら、控えめに喜びをかみしめている様子が伝わってくる。これ以上ない華やかな世界だが、アーティストの実力に加え、黒衣としてのスタッフたちのさまざまな努力が重なってこうした光景が出現するのだと改めて感じた。
(本紙主幹・奥田芳恵)
その他の画像はこちら ●2000冊以上の本を読破したことが見えない自信につながる
若い頃に先々代社長の石坂敬一さんから「もっと勉強しろ」と言われたというお話ですが、具体的には?
石坂さんは「月に20冊、本を読め。読み終わったらその感想を報告しろ」とおっしゃいました。最初のうちは歴史書や人生訓の本などを持ってきてくださって、これを読めと。
月に20冊ですか!
でも、せっかくそんな偉い人から声をかけてもらったのだからと、素直に読んでみようと取り組みました。1カ月に20冊ということは、1年で240冊。それを10年ほど続けましたから、少なくとも2000冊は読んでいるはずです。
どうして10年間も続けられたのでしょうか。
私は親からは「勉強しなさい」と言われることなくのびのびと育ち、それはそれでよかったと思うのですが、勉強や知性という部分ではどこか中途半端で、自分は特別なものを持っていないという思いを抱いていました。
それが、音楽業界で大成功した経営者から「おまえはもっとできる」と言われて、期待に応えたいという気持ちが生まれたからでしょうね。
多忙な中、どうやって読書時間を捻出していたのですか。
朝ですね。4時か5時に起きて7時頃までその時間に充てました。夜は、いろいろな方と会って、関係づくりをする時間に充てるようにしていたので、おのずと自分だけの時間は朝ということになります。
そうやって読書を続けて、得られたものはどんなことだったのでしょうか。
当時、私は宣伝の仕事をしていたのですが、石坂さんからは、ただ関係者と仲良くなって楽しく仕事をしているだけではダメだと教えられました。過去を知り歴史に学ぶことが同じ過ちを繰り返さないことにつながり、同時にそれが未来を描くことにもつながると。だから、これだけ本を読んだことは見えない自信になりました。どんな方とも気後れすることなくお話できるようになったのです。
●さまざまな工夫によりコロナ禍のピンチを乗り越える
コロナ禍のとき、社会全体が大きな影響を受ける中で、エンターテインメント業界は特に逆風を受けたように感じましたが、実際どんな状況だったのでしょうか。
まず、多くのアーティストが不安になっていることを感じました。彼らは音楽活動でなりわいを立てていますから、人前でライブができない、密閉空間のレコーディングスタジオは使えないということになると困ってしまいます。当時はライブハウスなどからコロナウイルスが拡散されたという誤った情報が流れたり、エンタメは「不要不急」とも言われてコンサートやイベントはほぼ消滅し、音楽マーケットも大きな打撃を受けました。
そんな状況の中で、藤倉さんはどんな手を打ったのですか。
社員に対しては「お客さんに音楽を届けることを止めないようにしよう」と話しました。具体的には、無観客ライブやストリーミングなど、家でも音楽を楽しめる手段を探ったのです。また、こんな時期だからこそ新譜をもっとつくるべきと、宅録、つまり自宅での録音を試みたアーティストもいました。こうしたことは、テクノロジーの進化に負うところが大きかったですね。
人との触れ合いが忌避される状況は、想像以上に厳しいものがありました。
新しい音楽の才能を発見することは私たちの大きな仕事ですが、これまでライブハウスやオーディションの場を中心に行っていたものを、コロナ禍の下ではネット空間を通じて探すケースも増えました。藤井風はYouTube、Adoはニコニコ動画を通じて見いだされたんです。こうした経験は、私たちにとって大きな自信となりましたし、この時期も会社の業績が落ちることはありませんでした。
売れるアーティストは、どのように発掘されるのでしょうか。
当社のスタッフが異常なほどの熱量をもって伝えたくなるほど、徹底的にほれ込んだアーティストはブレイクの可能性が大きいと思いますね。たとえば、小さなライブハウスにお客さんが5、6人しかいなくても、見に行ったスタッフが「これはすごい。私には彼らがドームを満員にしている姿が見えます」などと、はたから見ると少々おかしなことを口走るようなケースです。
もちろん、いくら熱量があっても、みんながみんな売れていくわけではありませんが、藤井風やMrs. GREEN APPLE、それにAdoや2021年にメジャーデビューしたimaseにしても、最初はスタッフの誰かがときめいているんです。「すごいアーティストを見つけました!」と。
まずスタッフの方に本気で刺さらないと、ということですね。
昔、私が現場で働いているときに「妄想三原則」というのをつくったんです。それは、東京ドームを満員にしている状況が想像できるか、紅白歌合戦に出場していることを想像できるか、100万枚のミリオンセラーが出ることを想像できるかというもので、そのうち一つでも当てはまればそのアーティストと契約してもいいというものでした。
たしかに、マーケティングデータよりも、人間の「妄想」のほうが頼りになる気がしますね。ところで、藤倉さんは18年にこれまでの契約社員を正社員化されました。そこにはどんな意図があったのでしょうか。
アーティストについてはすべて契約ですが、その内容は千差万別です。プロスポーツ選手と同じような能力主義の形態ですね。そのため、かつては社員にも能力主義を適用し、70%近くの社員は1年契約だったのです。
ところが楽曲の売れ方が変わってきたことで、雇用形態にも変化が求められることになりました。かつてCDは発売日に売り上げのピークがくることがほとんどでした。ところがストリーミングの場合、時間をかけて再生数が上がりヒットにつながるケースも少なくありません。つまり、アーティストの特性を長い目で見きわめる必要があるため、短期的な成績が上がらないスタッフを1年で雇い止めするということが不合理になったわけです。
もちろん、正社員化はしましたが、当社はもともと年功序列ではありませんし、人事評価の制度なども改定しました。外資系企業であるため本社を説得する苦労はありましたが、日本ではこのかたちがうまくいくと考えています。
今後はどのような方向を目指されますか。
BTSをはじめとするK-POPアーティストが世界の音楽マーケットに風穴を開けたように、また日本人メジャーリーガーやプロサッカー選手が世界で活躍しているように、日本のアーティストの音楽を世界中のもっとたくさんの人に聞いてもらえるようにしたいですね。
これからもますますのご活躍、楽しみにしております。
●こぼれ話
カラフルでわくわくが溢れる12月の原宿。いつも混雑しているイメージであったが、時間が少し早いせいか、人出はそれほど多くない。キョロキョロしながら進むと、楽しそうなお店ばかりで、約束の時刻に遅れそうだ。たくさんのアーティストを世に羽ばたかせるユニバーサルミュージックもまた、劣らぬ華やかさがあり、心をわくわくさせる。音楽業界を牽引するメジャーレーベルのトップとして組織を束ねる藤倉尚社長とはどんな方なのか…。IT業界とは異業種過ぎて、想像が追い付かないままにオフィスに到着。
数多くの本とスタンディングデスク。部屋の様子からも藤倉さんの人柄が少し読み取れる。お部屋をチラチラ見ながら、バタバタと取材のセッティングを始めると、「荷物をここに置いてください。どうぞこちらも使ってください」などと、藤倉さんから気遣いの声が入る。笑顔ではつらつとしていて、人と人との壁をスーッと取り払って、みんなを仲間にしてしまうような魅力がある。あまりの気さくさに少し驚きながら話を聞いていくと、先々代の社長に「人から好かれるし、人を惹き付ける能力がある」と言われたとのこと。本当に納得である。
アーティストの発掘方法に話が及び、「自分が良いと思うアーティストのことを正確に言語化して伝えられない社員もいるのでは?」と問うと、「理路整然と説明できなくても、その社員が本当に心を動かされていれば、熱量は伝わるものです」と教えてくれた。真剣で、そして情熱をもってアーティストと向き合うからこそ、こうした熱量が伝わるのだなと感じる。アーティストのメッセージをしっかりと受け取れる自分であるためには、心と体の健康はとても大切だ。藤倉さんは、良い仕事をするために、まず社員の心身の健康を大切にしているのだという。
対談が終わり、自分の好きなアーティストの話をしながら撮影場所に移動する。取材クルーのメンバーは年代が少し違うが、それぞれに熱中したアーティストがいて、話すときはやっぱり笑顔だ。一時は、「不要不急」とされた音楽。しかし、一瞬にしてぱぁっと表情を明るくさせる、凄まじい力を持っているのが音楽なのだと実感する。世界中にもっと日本の音楽を聞いてもらいたいと語る藤倉さんも、もちろん笑顔で目が輝いている。表情には、自信と希望とわくわくが詰まっていると感じた。(奥田芳恵)
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
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※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。