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私たちは何かと「普通かどうか」を気にしがちだ。それはもはや国の成り立ちに関わる国民性でもあり、教育のされ方でもあるので、気づいた時にはもう普通というものさしを無視することが出来なくなっている。
だけど生きていくうちに、その基準が自らを苦しめてしまうことがある。普通は大学に進学して、普通は結婚して、普通は子どもを産み、家族のために働く。だけど自分らしい価値観が育っていくうちに、どうしてもこの“普通”から逸脱したくなることはある。
自分もいつの間にか、普通という呪いに囚われていたのかも……そんなことに気づかせてくれた、一冊の小説がある。
【この本を読んで分かること】
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・普通、普通というけれど、普通とはなんなのか ・愛のカタチに「普通」はない。愛し方はそれぞれでいい ・自分を苦しめる「普通」から逃れる方法
■「大好きな恋人は、自分に恋愛感情がなかった」という衝撃のあらすじ
『君の一番の恋人』(君島彼方著・KADOKAWA)は、アセクシャル・アロマンティックの女性が登場する小説だ。アセクシュアルとは、他者に対して性的に惹かれないセクシャリティのこと。そしてアロマンティックは、他者に対して恋愛感情を抱かないセクシャリティのことだ。
恋愛感情はあるが、性的欲求を抱かない「ロマンティック・アセクシュアル」や、恋愛感情も性的欲求も抱かない「アロマンティック・アセクシュアル」というセクシャリティもある。
そもそも、アセクシャルやアロマンティックといったセクシャリティが日本で認知されるようになったのは、ここ数年のことだ。作品ではもちろん、セクシャルマイノリティとしての苦悩も描かれていくのだが、本当の読みどころはそこだけではない。
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作品はセクシャルマイノリティを自覚する女性と、その女性と交際中のストレートの男性との2つの視点で物語が展開していく。そして2人は「普通ではない自分の人生」に葛藤することになるのだ。
「人を好きになったことがない」という女性と、そんな女性を「それでも好きだ」と思ってしまった男性。2人はそれぞれの視点で、世の中の“普通一神宗教”と戦っていくことになる。2人の心情描写からは、普通から逸れていくこと、そこに他者を巻き込んでしまうことへの恐怖がありありと伝わってくる。
ストーリーの中では、普通から外れることを異常に怖がる大人も登場する。男性の父親が語るのは「普通でないと幸せになれないはずだ」という、日本に蔓延る世論そのものだ。あまりにも身も蓋もない言い方で、男性が何度も「普通でいなさい」と怒られるので、男性と一緒に「いや普通ってなんやねん」と考えざるを得なくなる。
■“普通”には当てはまらない、自分たちの幸せを模索して
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普通に結婚して、普通に子どもを産めば幸せなのか。しっかりと考えてみると、それは分からない。生きていくうちに起きるトラブルを全て予見して避けることはできない。普通に結婚しても離婚するかもしれないし、上手く子どもを育てられるかも分からない。
だけどそれでも、私たちは「よく分からない道」を進むのが怖いのかもしれない。普通の幸せの中で発生するトラブルは予想ができるが、普通でない道では、トラブルも予想がつかない。リスクヘッジを考えると、ロールモデルの多い道の方が安全なように感じるのかもしれない。
しかし、本作のカップルたちは「自分たちの幸せ」を見つけるためにもがく。性的感情・恋愛感情はなくても、相手を大切に想う気持ちは本物。その気持ちを自身が信じるために、色々と遠回りをする。
逆に言えば、自分の行動や気持ちを信じられる人にとっては、“普通”なんてどうでもいいことなのだろう。普通ではない道を行っても、自分ならどうにかなる、どうにかできると信じることさえできれば、悩むこともなくみんなと違う道を進めるのだろう。
本作の登場人物は一般の私たちと同じく、そのようなメンタル強者ではない。2人の関係を工夫してみたり、離れてみたりして、自分の気持ちを確かめていく。2人が実践しようとしているのはいわゆる一般的な恋愛ではないので、読む人によっては“悲恋だ”と感じる人もいるのかもしれない。
個人的な感想の持ち方としては、それも間違っていない。自分のタイプにぴったりハマる異性が、自分が何も努力をせずとも自分を愛し、慈しんでくれるならそれに越したことはないだろう。
だけど、小説に限らず現実の恋愛だって、そう上手くはいかない。ここは許せないとか、許してもらえないなんて部分も多々あって、なんとか落とし所を見つけていく。本作のカップルたちがしていることも、それとなんら変わらない。
ただたまたま「よくある問題」ではないだけなのだ。普通ではないというのは、ただよくあることでないというだけで、それそのものが悪なわけではない。ただ、親を始めとする、世間からの風当たりは強い。そことどう戦っていくかというだけだ。
■大切なのはトライとエラーを怖がらないこと
本作では向き合う問題が「アセクシャルの彼女」であるため、男性は自身の性や、肉体的欲求とも戦うことになる。補足だが、男性の方は「男らしさ教育」を全面に背負って生きてきた人物でもある。女性には理解しがたい男性の苦悩も隠れた見どころの一つなので、ぜひ男性の心情にも注目してみてほしい。
社会の風潮とか自身の性とか、向き合いたくない本質と戦ううちに、2人は2人らしい「愛のカタチ」を見つける。実践し続けるのは大変かもしれないが、それはそれで後で考えればいいことなのかもしれない。
景気は悪いし物価は上がるし、気づくと「トラブルを予見して回避すること」が人生の目的みたいになってしまっているように感じることも多い。確かにリスクヘッジも大切なのだが、問題を回避し続けるだけで終わる人生なんて、なんだかもったいない気もする。
人生は自分で掴むものではあるし、その上運もある。普通であり続けることで全てのリスクを回避できるわけではないのに、普通に縛られ続ければ、自分らしさも挑戦の機会も失われてしまう。
本作のカップルが普通という宗教から解放されていく様子は、ぜひ作品を読んで確認してもらえたらいいと思うのだが、まずは自分も考えてみてほしい。「例えば、お互いに好き同士である恋人との間に大きな障害があったらどうするか」と。
すぐに決められることではないのかもしれないが、考えること、行動してみることが大切なのだと、主人公たちは教えてくれる。例えば、普通の中にあり続けることに本当の安寧を感じる人もいるだろう。しかし普通から解脱する方法は、実は自分が一番よく分かっているはずなのだ。
(ミクニシオリ)
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