【悼む】桂才賀師匠、慰問の場を広げるも「『少年院でもお世話に…』たまんねぇなと思ったよ」

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2025年02月25日 20:21  日刊スポーツ

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日刊スポーツ

桂才賀さん(2008年8月撮影)

落語家の桂才賀師匠が、21日に虚血性心疾患で亡くなった。74歳だった。


高校卒業後、桂文治の文をたたき「自衛隊で苦労してきたら入門を許す」と言われて、陸上自衛隊に入隊。文治は入門を断るつもりで言ったのだが、無事に3年の任期を勤め上げたことで許され、1972年(昭47)に桂文太と名乗った。77年に二ツ目、78年に文治が亡くなり、古今亭志ん朝に入門して自ら考えた古今亭朝次を名乗った。


80年に急死した三遊亭小円遊の後任として、二ツ目ながら日本テレビ系「笑点」の大喜利メンバーに抜てきされた。こわもての風貌と威勢の良さで、お茶の間の人気者になった。85年に真打に昇進して、7代目桂才賀を襲名した。


83年に、夫人の実家のある沖縄帰省中に、暇を持て余して老人ホームを慰問して大歓迎を受けた。人気番組「笑点」のバリバリ現役メンバーが、ノーギャラで笑わせに来てくれるんだからウケないわけがない。老人ホームから少年院、そして刑務所へと慰問の場を広げていった。


08年(平20)に25年間の刑務所、少年院への慰問をつづった著書「刑務所通いはやめられねぇ」を出版した時にインタビューをさせていただいた。8月の暑い盛りに東京・築地の日刊スポーツまで足を運んでいただいた。浴衣を涼やかに着こなして「刑務所の中でウケるコツは業界用語。舞台で職員にマイクを借りるときに『すいませんね、願箋(がんせん)も出さないで』と言うとドッカーンとウケる」と笑った。


気さくな才賀師匠の撮影を担当したのが、鉄火肌で鳴らし“兄い”の異名を取った長谷川元明カメラマン。ファインダーをのぞき込みながら「師匠、顔がこわいです。もっと笑って、笑って」と声をかけられて、一生懸命笑顔を作っていた優しさが忘れられない。


そして「普通だったら、娑婆に出たところで『その節は慰問でお世話になりました。立派に更生しました』となるんだけど、そうはいかない。刑務所に慰問に行ったら『少年院でもお世話になりました』なんてあいさつされちゃった。なんとも、たまんねぇなと思ったよ」と笑っていた。


あの世でも、皆を笑わせてくれるでしょう。ご冥福を祈ります。【小谷野俊哉】

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