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【写真】メガホンを取る玉田真也監督
本作は、読売⽂学賞 戯曲・シナリオ賞受賞の松⽥正隆による傑作戯曲を、気鋭の演出家・⽟⽥真也の監督・脚本で映画化。
物語は、息⼦を亡くした喪失感から⼈⽣の時間が⽌まり、妻に⾒限られた主⼈公と、妹が置いていった17歳のめいとの突然の共同⽣活から始まる。愛を失った男、愛を⾒限った⼥、愛を知らない少⼥…それぞれの痛みと向き合いながら、彼らが夏の砂のように乾き切った⼼に、⼩さな希望の芽を⾒つけていく姿を描く、切なさと温かさが交錯する物語となっている。
⾬が降らない夏の⻑崎が舞台となり、撮影は、2024年9⽉に全編オール⻑崎ロケで⾏われ、坂の多い⻑崎の美しい街並みの中で描かれる。
主人公の⼩浦治を演じるのはオダギリジョー。本作の共同プロデューサーも務め、撮影前から⽟⽥監督と会話を続けてきたオダギリは「脚本を読んだ瞬間『これは良い作品になる!』と感じた僕は、すぐにプロデューサーを買って出ることにしました。俳優としては勿論、様々な⾯で役に⽴てれば、という思いからでした。松さんや満島さんを始め、信頼できるキャスト、最⾼のスタッフが共鳴してくれ、真夏の⻑崎にこの上ない⼟俵が⽤意されました。あくまで⽟⽥監督の補佐的な⽴場を守りつつ、隠し味程度に⾃分の経験値を注ぎ込めたと思います。昨今の⽇本映画には珍しい『何か』を感じて頂ける作品になったと信じています」とコメント。
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そして、治の妻・⼩浦恵⼦を演じるのは松たか⼦。悲しみを共有し共に再スタートすることができない夫・治への「静かな怒り」を秘めた⼥性を演じ、本作で⻑崎弁にも初挑戦となった松は「全員が汗だくになりながら、この映画の世界に向かって歩いていたように思います」とコメントを寄せた。
さらに、⽗親のいない優⼦を兄の治に預け、男の元へはしる奔放な妹・阿佐⼦役を満島ひかり。高石演じる優⼦のバイト先の先輩で、優⼦へ好意を寄せる⽴⼭役を⾼橋⽂哉。治が働いていた造船所の同僚・陣野を森⼭直太朗。同じく治の造船所の同僚・持⽥を光⽯研が演じている。
原作となった戯曲は、平⽥オリザが1998年に舞台化して以降、幾度となく舞台で上演されており、2022年には主演・⽥中圭、演出・栗⼭⺠也で上演された。本作の監督・⽟⽥真也も⾃⾝の劇団「⽟⽥企画」で2022年に上演した思い⼊れの深い作品。
念願がかない、⽇本映画の第⼀線で活躍するキャストとスタッフを迎えて⻑崎での撮影を敢⾏できたことについて監督の⽟⽥は「素晴らしい俳優たちに集まっていただきました。演出するにあたり、皆さんとても協⼒的にアイデアを出してくださり、何⼀つストレスなく撮影をすることができただけでなく、何度⾒ても芝居が⾯⽩く、最前列で観るお客さんのように彼ら彼⼥らの芝居をただ楽しんでいる瞬間もたくさんありました。皆さんの芝居に、この映画を想定の何倍も上に引っ張ってもらえたと思います。とても贅沢な時間でした」とコメントを寄せ、原作の松⽥は「私は、戯曲が消え去り映画に⽣まれ変わることを望んでいた。この映画を観て、何よりも映画らしい経験を得たことがとても嬉しかった」と完成した作品を鑑賞し、たたえた。
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※コメント全文は以下の通り
<コメント 全⽂>
◆共同プロデューサー、主演・⼩浦治役 / オダギリジョー
脚本を読んだ瞬間『これは良い作品になる!』と感じた僕は、すぐにプロデューサーを買って出ることにしました。俳優としては勿論、様々な⾯で役に⽴てれば、という思いからでした。
松さんや満島さんを始め、信頼できるキャスト、最⾼のスタッフが共鳴してくれ、真夏の⻑崎にこの上ない⼟俵が⽤意されました。あくまで⽟⽥監督の補佐的な⽴場を守りつつ、隠し味程度に⾃分の経験値を注ぎ込めたと思います。
昨今の⽇本映画には珍しい『何か』を感じて頂ける作品になったと信じています。
◆治のめい・優⼦役 / 高石あかり
⻑崎での撮影は、優⼦が過ごしたあの時間のように、⾃分にとってとてもかけがえの無いものとなりました。
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そんな撮影期間は、カメラの存在を忘れ、作品と現実の境⽬が曖昧だった気がします。
こんな経験は初めてで、これ程までに熱中出来る環境を作ってくださった、監督をはじめ、キャスト、スタッフの皆様には感謝しかありません。改めて、この作品に携わらせていただけたこと、⼼から光栄に思います。
◆治の妻・⼩浦恵⼦役 / 松たか⼦
暑い夏の⻑崎での撮影を懐かしく思い出します。
⼩浦家への道のりは、特に機材を運ぶスタッフの皆さんは本当に⼤変だったと思います。
でも、全員が汗だくになりながら、この映画の世界に向かって歩いていたように思います。
初めて読んだ脚本は、元々戯曲であったことに驚くほど、様々な⾵景が浮かぶ「映画」のホンでした。
他者に共感や理解を求めない、なんともいえない、滑稽で愛すべき⼈たちが出てくるお話のような気がします。
恵⼦が愛すべき⼈間かというと、それはわかりませんが…。
オダギリさんとのお芝居はとても楽しかったです。
◆脚本・監督/⽟⽥真也
今まで読んできた戯曲は数多くありますが、この「夏の砂の上」は僕にとって特別な作品であり続けました。僕たちが⽣きる上で避けられない痛みや、それを諦めて受け⼊れていくしかないという虚無、そして、それでも⽣はただ続いていくという、この世界の⼀つの本質のようなものがセリフの流れの中で、どんどん⽴体的に浮かび上がってくる素晴らしい作品です。その作品を映画にするということは僕にとって念願であったとともに、挑戦でした。演劇としての完成度があまりにも⾼いと思ったからです。そして、その挑戦は間違っていなかったと⻑崎での撮影を始めて確信していきました。⻑崎の街の中に⼊っていくと、この街⾃体を主⼈公として捉えることができる、これはきっと映画でしかなし得ない体験だと感じていったからです。僕の頭の中だけにあった固定された⼩さな世界が、⻑崎という街と徐々に融合してより豊かに⼤きく膨らんでいく感覚でした。この映画を皆さんに観ていただけるのを楽しみにしています。
そして今回、素晴らしい俳優たちに集まっていただきました。演出するにあたり、皆さんとても協⼒的にアイデアを出してくださり、何⼀つストレスなく撮影をすることができただけでなく、何度⾒ても芝居が⾯⽩く、最前列で観るお客さんのように彼ら彼⼥らの芝居をただ楽しんでいる瞬間もたくさんありました。皆さんの芝居に、この映画を想定の何倍も上に引っ張ってもらえたと思います。とても贅沢な時間でした。
◆原作/松⽥正隆
部屋を⾒つめる演劇から、街を感じ取る映画へ。映画には⻑崎の光景がいくつも映し出されている。坂道をのぼりつめた果てにある家からの眺めだけで、⾔葉にならない感覚をこの映画は私たちに与える。戯曲に書かれた台詞が⽣み出す感情は、坂を上り下りする俳優の⾝体の運動に変換されている。キャリーバッグを引く優⼦が⺟とともに坂を上るとき、坂の上で指をなくした⼩浦が息を吐くとき、⼈々が⾔い知れぬ⼈⽣を抱えながらも、繁華街で仕事をし飲⾷をするために坂をおりるとき、カメラはそれらの特別な感情を映画の場⾯に映し出す。私は、戯曲が消え去り映画に⽣まれ変わることを望んでいた。この映画を観て、何よりも映画らしい経験を得たことがとても嬉しかった。