ボブ・ディランへの思い、ティモシー・シャラメとの仕事。映画『名もなき者』監督が日本で語ったこと

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2025年02月28日 18:10  CINRA.NET

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Text by 稲垣貴俊
Text by 今川彩香

その名前を知らない者はいない伝説的ミュージシャン、ボブ・ディランにも青春時代があった。燃えるような情熱と愛、そして失意があったのだ。

『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』は、ディランの人生の1961年から1965年までの5年間にフォーカスし、あまたの名曲とともに若き日の姿に迫る音楽映画だ。ディラン役は『君の名前で僕を呼んで』や『デューン 砂の惑星』シリーズのティモシー・シャラメ。コロナ禍やストライキのため数回の撮影延期に見舞われたが、そのあいだもディランの音楽を聴き、歌と演奏のトレーニングを重ねたことで、劇中では全曲の歌唱を自ら担当している。

「ティミーは素晴らしい俳優だ。彼が演じる私は、きっとすべて信じられるものになるはず。若い日の私、あるいは別の私として」——ディラン本人も、そのキャスティングには全幅の信頼を寄せた(※)。

監督・脚本は、『フォードvsフェラーリ』(2019)や『LOGAN/ローガン』(2017)のジェームズ・マンゴールド。さまざまなジャンルで限界に挑みつづけてきた名匠は、昔からディランの音楽に親しんでおり、本作のオファーを受けた際にも「やりたいアイデアが明確にあった」という。

謎のベールに包まれたボブ・ディランの肖像を、マンゴールド監督&シャラメのタッグはいかに描き出したのか。公開に先駆けて来日した監督が、ディランへの思いやシャラメとの仕事、60年代と現代の共通点、そして映画人としてのたくらみを存分に語った。

ジェームズ・マンゴールド監督

―完成までに長い時間がかかった作品ですが、企画が動き出したのはいつ頃でしたか。

ジェームズ・マンゴールド(以下、マンゴールド):本格的に動き出したのは2019年ですが、おそらくティモシー(・シャラメ)のところには先に話が行っていたと思います。当時は脚本がうまくいっておらず、私が参加して最初に取り組んだのは脚本のリライトでした。それからティモシーに会い、私のやりたい方向性を説明したところ、彼が面白がってくれて、それなら一緒にやろうと約束しました。

ジェームズ・マンゴールド
カリフォルニア芸術大学で映画と演技を学んだ後、コロンビア大学のフィルムスクールで『アカデミー賞』受賞監督ミロス・フォアマンに師事。共同脚本家兼監督をつとめた『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』(2005)で『ゴールデングローブ賞』作品賞、主演男優賞、主演女優賞を受賞し、出世作となった。そのほか代表作として、『LOGAN/ローガン』(2017)、『フォードvsフェラーリ』(2019)、『君に逢いたくて』(1995)、『コップランド』(1997)、『17歳のカルテ』(1999)、『3時10分、決断のとき』(2007)、『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』(2023)などがある。

―ボブ・ディランの若い頃、数年間に焦点を当てるアイデアは監督のものですか?

マンゴールド:そうです。当初の脚本はより長い時間を描いており、1950年代から始まり、60年代前半を省略して64年に飛んでいました。

けれど、私には物語のアイデアが明確にありました。ロバート・アレン・ジマーマン(※)として生まれた彼が、ボブ・ディランという新しい名前で、「名もなき者」としてニューヨークにやってくる場面から映画を始めたかったんです。まだ何者でもなく、お金もない彼が、ギター1本だけで現れるところから。映画はディランがニューヨークを去る、つまり自分の王国を捨てるところで終わりますが、それは彼がまた別の場所にやってくることでもあります。

©2025 Searchlight Pictures. All Rights Reserved.

―脚本段階でボブ・ディラン本人とも面会し、話し合いを持たれたと聞きました。

マンゴールド:脚本を書いたのは2020年から2021年ごろで、女性関係などのプライベートにも踏み込む内容だったので、ディランのマネジメントチームが心配したんです。コロナ禍のためにツアーがキャンセルになったあと、ディランから「脚本を読みたい」というリクエストがあったので直接会うことになりました。ディランは脚本を気に入り、執筆をサポートしてくれましたよ。脚本にあった空白を埋めたり、問題を解決したり。

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―興味深いのは、この映画がボブ・ディランの内面を必要以上に語っていないことです。謎は謎のままですし、何を考えていたのかわからない瞬間もある。基本的には、周囲にいた人々の視点からディランを描いていますよね。

マンゴールド:『アマデウス』(1984)(※)の影響です。あの映画を観ても、モーツァルト本人のことはあまりわからないのと同じですね。ボブ・ディランの特異性や感情を解き明かせるような、彼の内面にある秘密を発見することはできないと思いました。

ただ、私には持論がありました。それは、「彼は天才だったからこそボブ・ディランになったのだ」というもの。天才ゆえに孤独になり、天才ゆえに周囲から傲慢だと疎まれた。そして天才ゆえに、私たちには聴こえない音を聴いていたのだと思います。

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―ボブ・ディランとティモシー・シャラメ、2人のあいだに特別な共通点はありますか?

マンゴールド:もちろん。ティモシーはすばらしい才能に恵まれ、10代のころから人気者で、ディランとよく似たところがあるのは明らかです。しかしティモシーに限らず、誰にでもボブ・ディランとの共通点はあるはず。

なぜならディランも私たちと同じ人間で、ただ人とは違う選択をしただけだから。ティモシーがディランのことを深く理解できたのは、彼らのあいだに共通点があったからではないでしょう。

ティモシーは「ディランの音楽を学び、そのなかに身を置くことで彼を理解できるようになった」と話してくれました。

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―シャラメはディラン役を演じるため、「かつてないほど自分を追い込んだ」(※)と話していました。撮影現場では彼の演技アプローチをどのように見ていましたか。

マンゴールド:現場でそういうふうに感じたことは特になかったし、彼はとても親しみやすかったですよ(笑)。

ただ、誰もがボブ・ディランについては言いたいことがあるものです。「私はこう思う、僕の考えはこうだ」って。ディランを演じるなかでそんな話をしょっちゅう聞かされると、余計なことで頭がいっぱいになり、真実がわからなくなります。きっと、ボブ・ディラン自身もそうだったはず。君はどの曲が好きなのか、なぜこういう曲をつくらないのか、この歌詞はどういう意味か、なぜあんな発言をしたのか、どうしてあの服を着たのか……と、クソみたいな話を山ほど聞かされたでしょう。

役者にとって、身体と心は演じるための楽器です。いらない情報が入るとチューニングが狂い、傷がついたり壊れたりする。ティモシーは孤独を感じていたのかもしれませんが、それは世界を遮断していたからではなく、自分の仕事に集中していたからだと思います。

―監督が自分自身を劇中のボブ・ディランに投影したところはありましたか?

マンゴールド:それはありませんが、ディランに共感するところはたくさんあります。私は自分を天才だとは思わないけれど、アーティストを枠にはめようとする境界線の存在を強く認識しているからです。

批評家やジャーナリストはそういう枠組みのなかで芸術を語りますが、それは歴史や文脈をつくることであって、実際の創作とは違う。書き手にとっては有用かもしれないけれど、アーティストにはあまり役に立ちません。

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―監督自身は、その境界線を超えるような創作を続けていらっしゃいます。マーベル映画やレース映画、西部劇、そして『インディ・ジョーンズ』など、ジャンルやフランチャイズを巧みに操り、同時にはみ出していく映画をたくさんつくっていますよね。

マンゴールド:書き手があらゆるものをカテゴリーに分類するのは当然で、問題があるとすれば、そのカテゴリーを科学的に確定できないことです。この映画は「ボブ・ディランの伝記映画」で、そのように宣伝されていますが、私自身はボブ・ディランの伝記映画だと思っていませんでした。とにかくアイデアが面白いと思ったんです。

つまり、私は自分の興味に従っているだけで、「ジャンルを超えてやろう」とか「今回は枠組みのなかでつくろう」などとは考えていないんですよ。今後、別のミュージカル伝記映画を撮れるかどうかにも関心がない。興味があるのは、目の前にあるものが良いストーリーで、自分の心に訴えるものがあるかどうか。その物語をうまく語るアイデアを思いつけるか、ふさわしい俳優に恵まれるか、です。

ひとつ例え話をしましょう。シェフが鴨を使って料理をつくるのは、単に鴨が好きだからではありません。「旬の時期だから」「いいアイデアがあるから」「特別な鴨料理をつくる自信があるから」鴨料理をつくるのです。周りからは「鴨、鴨、鴨……」とばかり言われますが、実際のところ、そこには発想とタイミングがあるわけです。

―タイミングという点でいえば、なぜ、いまボブ・ディランの映画をつくったのかということも……。

マンゴールド:それはわからないな。

―しかし実際に映画を観ると、ボブ・ディランの数年間を通して、文化や価値観が変化する様子が描かれていることがわかります。そのことは現代にも重なりますよね。

マンゴールド:時代の変化、たしかにその通りです。しかし私は、これは部族主義を描いた映画だとも思います。現代は、誰もが「君はどの立場だ?」と強く迫られる時代です。「こちら側か、それともあちら側か」と。ボブ・ディランも、かつては「あいつらの曲を歌うな、俺たちの曲を歌え」と迫られていました。しかし、ディランは気にすることなく歌いたい曲を歌った。誰とも約束を交わさず、独立して自分なりの決断を下したんです。

私はボブ・ディランの自由に惹かれました。自由に思考すること、人々が所属する集団とのあいだで約束を交わしてしまうこと、そして集団が個人の成長を妨げることに関心を抱いたんです。

ディランは「生まれることに忙しくない者は、死ぬことに忙しい(That he not busy being born is busy dying)」という詞を書きましたが(※)、うまく言ったものですよね。彼はつねに新しいものを求めていて、たとえ新しい作品が好かれなかったとしても、まるで気にかけず「だったら自分でつくれよ」と思うのかもしれません。しかし、過去の曲がいまも聴かれ続けていて、いろいろな録音も残っているのに、なぜずっと創作を続けているのか……。そこにはボブ・ディランという個人を超えた問いがあると思います。

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―いまのお話は、ボブ・ディランのファンとして以前から考えていたことですか?

マンゴールド:「ファン」って変な言葉ですよね。誰かの大ファンになると、その人のやることがすべて完璧に見えてしまい、物事がよくわからなくなる。だから、私は自分が大ファンであるものを映画にはできません。

もちろんディランのことは敬愛していますが、素晴らしい曲もあれば「うーん……」と思う曲もあります。ディランが私の映画を観ても、良い作品とダメな作品があると感じるはずで、それが普通のこと。すべてを完璧につくり上げられる魔法使いなんて存在しないから。

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―最後に、1960年代に感じる魅力をお聞かせください。当時を描いた映画をいくつもつくられていますが、人生の数年間をこの時代に捧げたいと何度も思えるのはなぜですか?

マンゴールド:『17歳のカルテ』や『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』、『フォードvsフェラーリ』、そして今回の『名もなき者』と60年代の映画をいろいろ撮ってきました。

大好きな時代ですし、今回はボブ・ディランや60年代フォーク・ミュージックの豊かな世界に惹きつけられたんです。ピート・シーガー(※1)やジョーン・バエズ(※2)、トシ・シーガー(※3)、アラン・ローマックス(※4)、ジョニー・キャッシュ(※5)、アルバート・グロスマン(※6)と、ディラン以外にも強烈で面白い人たちがたくさん出てくる。

そもそも私は、携帯電話やパソコンが出てくる以前を描いた映画が好きなんですよ。着信音がピロピロ鳴るよりも前のほうが、人生ははるかに映画的だった。スマートフォンで遊んでいる役者なんて撮りたくないんですよ(笑)。

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