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Text by 今川彩香
2023年11月、台湾版アカデミー賞こと『金馬奨』にて、日本資本の映画が史上初の作品賞に輝いた。その映画『石門』を手がけたのは、中国湖南省出身のホアン・ジーと、東京出身の大塚竜治。2000年代から中国のインディペンデント映画界でそれぞれ活動を開始し、現在は夫婦で映画を撮り続けている。
主演はホアン&大塚のミューズであるヤオ・ホングイ。ホアンが監督・脚本、大塚が脚本・撮影を務めた『卵と石』(2012)と、初めての共同監督作『フーリッシュ・バード』(2017)に続き3度目のタッグとなる。アマチュアの出演者にこだわる2人は、2019年から実際の妊娠期間と同じ10か月間にわたる撮影を敢行。断続的な撮影が続く日々のなか、脚本を書き直しつづけ、新型コロナウイルス禍をも物語に取り入れながら予想不能の創作に身を投じていった。
しかし、本作の出発点は意外なほど個人的だ。2017年、5歳の娘から「どうして私を産んだの?」と尋ねられたことが着想のきっかけだという。「その時はどう答えればいいのかわかりませんでした。けれど、いずれ映画を通じて答えを示せたらと思ったんです」と大塚は言う。
妊娠・出産、ジェンダー、現代中国社会。「映画」というレンズ越しに、身の回りに広がる世界を見つめる気鋭2人にじっくりと話を聞いた。
―お子さんの質問がきっかけで『石門』を撮ることになったそうですが、物語はどのようにして形になっていったのでしょうか。
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大塚竜治(おおつか りゅうじ)
1972年、東京生まれ。日本のテレビ番組でドキュメンタリー制作に従事したのち、2005年に中国に移住。社会問題をテーマにしたインディペンデント映画を制作。ホアン・ジー監督の作品はもちろん、リウ・ジエ監督『再生の朝に−ある裁判官の選択−』(2009)やイン・リャン監督『自由行』(2018)などの撮影監督も務めた。2012年、ホアン・ジー監督の初長編『卵と石』では撮影、編集を担当。2013年、ドキュメンタリー作品『Trace』をホアン・ジーと共同監督。翌年には、初の単独監督によるドキュメンタリー作品『Beijing Ants』(2014)を発表する。2015年、『ベルリン国際映画祭(Berlinale Talents)』に参加し、2017年『フーリッシュ・バード』を共同監督。ホアン・ジーとの共同監督2作目『石門』は世界中の映画祭で高い評価を受けた。
ホアン・ジー(以下、ホアン):映画のテーマを決めたあと、リン役を演じたヤオ・ホングイに会うため、彼女が通っている大学へ行きました。そこで彼女の大学生活を観察し、さらに100人以上の女子大生に取材したんです。
全員に共通して質問したのは、「月々の生活費はどれくらいか」、「アルバイトでいくら稼いでいるか」、そして「稼いだお金をどのように使っているか」。彼女たちの答えは映画のあちこちに使っています。店先でモデルのアルバイトをしていたり、卵子を提供したり……。子どもや妊娠についての考え方も含め、取材のなかでわかったことを織り込みつつ脚本を練り直していきました。
ホアン・ジー
1984年、中国湖南省生まれ。北京電影学院の文学科で脚本を学ぶ。大学時代に撮影したドキュメンタリー『Underground』で監督デビュー。2010年、短編『The Warmth of Orange Peel』の脚本・監督を務める。2012年、初長編『卵と石』で『ロッテルダム国際映画祭』タイガーアワード(最優秀作品賞)受賞。続いて2013年、『タルコフスキー国際映画祭「鏡」』グランプリを受賞。2017年、大塚竜治と共同監督した長編第2作『フーリッシュ・バード』が、『ベルリン国際映画祭』でジェネレーション14+部門で、国際審査員のスペシャルメンションを獲得。そして大塚竜治との共同監督2作目の『石門』は『ベネチア国際映画祭』ベニスデイズ部門(コンペティション)を皮切りに、世界中の映画祭を回り、『第60回金馬奨』では最優秀作品賞、最優秀編集賞を受賞した。
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大塚:『卵と石』は、彼女(ホアン)が幼い頃にセクシャル・ハラスメントに遭った体験に基づいていますが、あの作品を世界10ヶ国で上映したとき、「私も同じような経験をしました」と話してくださる女性が多かったんです。
苦しみを口に出せず、ずっと抱えている方がたくさんいるんだと知り、女性が成長の過程でぶつかる壁を描きたいと思いました。『フーリッシュ・バード』で描いた「初体験の失敗」のほか、「妊娠」というテーマで映画を撮ろうと決めたんです。
あらすじ:中国湖南省の田舎町。14歳の少女ホングイは、都会で働く両親と離れて農村に留まり、もう7年ものあいだ叔父夫婦と生活している。幼なじみの男友達であるアジウと会えるのを唯一の楽しみとしている普通の女の子だが、実は深刻な悩みを抱えていた......。©️YELLOW-GREEN PI
ホアン:もうひとつの関連性は、テクノロジーと中国の人々の関係です。テクノロジーとは電話の進化のことで、『卵と石』では固定電話だったのが『フーリッシュ・バード』では携帯電話になった。『石門』ではスマートフォンになり、SNSやTikTokの存在も重要になりました。3本の映画で主人公を演じたヤオ・ホングイの環境、テクノロジーの発展とそれぞれの物語は連動しているんです。
『フーリッシュ・バード』あらすじ:中国湖南省の地方都市。16歳の高校生リンは、出稼ぎに出ている母親と離れ、祖父母の家で暮らしていた。学校ではいじめに遭い、家にも居場所がなかったリン。親友と共に高校で盗んだスマートフォンを転売して小遣いを稼ぐようになるが、それをきっかけに街の怪しげな人たちと関わりを持ち始め...... 。©️YELLOW-GREEN PI・COOLIE FILMS
―スマートフォンやSNSの存在感が大きくなったのは、それだけ現代中国の問題とダイレクトにつながっているということですか。
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リンの母親がハマっているマルチ商法も、2019年にWeChat(※)で大流行したもので、コロナ禍になってから規制が入りましたが、それがなければさらに巨大な産業になっていたはずです。日本なら昔のねずみ講を思い出して「怪しいぞ」と気づけそうなものですが、誰もが同じものを同じように見ていると、同じように信じ込んでしまうこともあるわけです。
©YGP-FILM
―大塚監督は2005年に中国へ移住され、テクノロジーの進化を目の当たりにされてきたわけですよね。
大塚:そうですね。当時は(2008年の)北京オリンピック前だったので活力があり、バブルのような雰囲気でした。しかしオリンピックが終わったとたん、夢から覚めたように国内の問題が噴出し、政府が規制を始めた。携帯電話がその流れに逆行するかたちで登場したことで、メディア規制もかなり広がりました。
それでもコミュニケーションツールがどんどん発展していくのは、中国の特徴だと思います。社会がこのように変化するとは予想しませんでしたが、どのように映画に取り入れていくかは常々意識していました。
―テクノロジーの発展は、中国社会のジェンダー観にも影響を与えたと思われますか。
ホアン:彼(大塚)が言ったように、中国ではスマートフォンが非常に普及しています。たった1台ですべてを解決できるし、物の売買もできる。ジェンダーの問題もそのことに関係していて、女性はわざわざ会社に就職したり、組織に所属したりしなくても、スマートフォンがあればお金を稼げるんです。その点でいえば、都市と農村にも格差はないですし、女性は男性よりも選択の幅が広いと言えます。
大塚:TikTokを撮るときも、画面に出てくるのは女性ですが、裏で男性が手伝っているケースが多い。そこは日本と中国で状況が違うところかもしれません。
ホアン:スマートフォンの画面に映る場合、男性より女性が出るほうが説得力をもつわけです。ただし、政府がSNSをある程度監視し、管理していることは確かなのですが。
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―社会の変化やテクノロジーの発展を創作に取り入れることで、描きたいテーマや物語にも変化はあったのでしょうか。
大塚:『卵と石』から『石門』までのあいだに10年が経ちましたし、過去に描いたことがいま、社会問題やニュースになっていることは意識しました。「あの問題は今後どうなるんだろう?」と考えることが次回作のきっかけになるんです。
ただ、さすがに未来のことは想像がつきません。『石門』では妊娠というテーマがあったので、10か月かけて撮影するなかで実際に見えてくるものを取り入れようと考えました。
ホアン:私たちが現実に起きている社会の変化を撮れるのは、撮影期間の長さがひとつの理由だと思います。『卵と石』では3か月、『フーリッシュ・バード』では6か月、今回は10か月かけたからこそ、その間に起こる社会的な出来事や変化を撮れたのではないかと。
―時間をかけることで、社会や周囲の変化が必然的に映り込むということでしょうか?
大塚:それもありますが、自分たちでコントロールしている部分もあります。リンの母親がマルチ商法にハマってしまうのは、あの役を演じているホアン・ジーの母親が、実際にマルチ商法にハマってしまったからなんですよ。
最初は髪の毛があったのに、撮影を始めた1か月後くらいに髪を剃ってしまった。そうした様子を観察し、リアルタイムで物語に反映しましたが、長い時間をかけなければ、そこまでの作業はできません。
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―撮影期間中にコロナ禍に突入したことで、物語の展開が変わったとお聞きしました。当初は別の結末になる予定だったそうですね。
大塚:そうなんです、最初はまったく違うエンディングでした。最終的に完成した映画には一切ないんですが、リンが英語学校に通い始め、友達ができて、お金に困っている彼女のために卵子提供のビジネスを紹介する展開があったんです。ラストは、その友達を武漢に連れていって終わるような計画で。
―えっ?
大塚:武漢といえば、新型コロナウイルスが最初に出た場所ですよね。ちょうどラストシーンのロケハンをしていたときにコロナの話題が出てきたので、私たちも集団感染があった市場に行きました。そうしたら熱が出てしまって。
―さすがにそのままの脚本では撮れない、ということに?
大塚:本格的なロックダウンが始まり、町中から人がいなくなったんです。リンの実家でコロナのニュースが流れているシーンがありますが、あの場面を撮ったのは本当にコロナ禍の初日。ニュース映像は録画ではなく、本番中にその場で流れていたものです。
時期も旧正月だったので、ご両親は田舎に帰ってしまい、残された俳優だけで撮れる結末を考えなければなりませんでした。私たちスタッフ3人とヤオ・ホングイ、そして元恋人役を演じた子がちょうど近くにいたので撮影することができたんです。
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―現代中国の風景や空気が切り取られている一方、本作では家父長制や封建的な社会のありようも映し出されています。妊娠と中絶に関して、男性の責任がやけに軽いですよね。
ホアン:儒家思想(※)からくる男尊女卑の考え方はいまでも普遍的に残っています。「家には男がいなければいけない、家族に男の子が欲しい」という強い風潮があるんですね。根本的な問題は、家族の財産や、ありとあらゆる資本が男の子に集まる傾向があること。それが普通のことだと思いながら育つと無責任にもなりますよね。自分の彼女に対しても無責任になってしまう。
大塚:中国では中絶薬を普通の薬局で買うことができます。だから女性が妊娠したことを誰にも話せず、彼氏も無責任だとすると、結局は自分でおろしてしまうパターンがすごく多い。リンの彼氏も無責任で、「君の将来を考えてのことだよ」というような言い方をします。現実にも十分ありえる話だと考え、彼女と話し合いながら書きました。
※以下には本作のラストシーンに関わるネタバレを含みます。
―映画は衝撃的なラストシーンで幕を閉じます。言える範囲で、そこに込められた思いをお聞かせください。
大塚:観客の皆さんに委ねたいところではありますが、リンが新たな一歩を踏み出さなければいけない、その背中を押してあげたいという気持ちで撮りました。リンには希望を持って生きて欲しい、と。
まだリンは、将来的に娘から「どうして私を産んだの?」と聞かれるかもしれないことに気づいていません。その可能性を意識しないまま、子どもを産むことを決断したんです。リンは何を選んだのか、どこかで選択を間違えたのか……そこに答えはありません。しかしそれが、娘の質問に対する私たちの答えでもあります。
ホアン:私たちは、リンを絶対的な被害者だとは考えていません。いまの社会では、女性だけでなくあらゆる人々がさまざまな能力を求められています。その中にはコミュニケーションの能力も含まれている。ただし映画を観るとわかるように、リンは必ずしも勉強に積極的なタイプとは言えません。英語の勉強にしても、あるいは別のことにしても消極的な人物です。
大塚:子どもの存在が関わると(ラストシーンが)絶望的に思えてくるのは不思議ですし、また興味深くもあります。「子どもにはこうするべき、こうあるべき」という常識的な方向性から外れると、どうしても残酷さを感じてしまう。
ホアン:ラストシーンには希望と絶望が両方あってほしい……私たちとしては、そんな思いでこの映画を作りました。
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