『冬の子 ジャック・ケッチャム短篇傑作選 (海外文庫)』ジャック・ケッチャム 人間の、人間らしさを描くために、あえて非人間的な扱いをする。
そんなことができるものだろうか、と思う。現実に、他人に対してひどいことをする者がいて、これは人間性を浮き彫りにするためにやっているんだ、反語的行為なんだ、とか言い訳をしていたら、聞く耳持たずに警察に通報することだろう。
しかし。
文章を読んだものが想像力を駆使することで現実とは違う別の世界を頭の中に組み立てる、小説という表現方法にはそれが可能なのかもしれない。
そんなことを、ジャック・ケッチャム作品を読むたびに思うのである。
『冬の子』(扶桑社ミステリー)は、2018年に亡くなったケッチャムが遺した短篇から19の傑作を選んで編まれた作品集である。ケッチャムには三冊の短篇集があり、そこから訳者の金子浩が精選して19作を選んだという。
ケッチャム、と聞くと残酷描写の作家という印象が強く、身構える読者も多いと思う。収録作の中にはそうした場面を含むものも少なくないが、それよりも哀しみの感情が漂ったものが多いことが特徴である。「箱」は、理不尽な形で肉親を失ってしまう男の話だ。〈わたし〉が息子のダニーと各駅停車に乗っているときにそれは始まる。ダニーの隣に座った男は、六十センチ四方ほどの箱を抱えていた。中身はなんなの、とダニーが聞くと男は、プレゼントだよ、と答えた。クリスマス二週間前の日曜日である。そう言われればこどもが関心を持つのも当然のことだろう。男は箱の中をダニーにだけ見させてくれる。だが息子の顔に広がったのは、喜びではなく困惑の表情であった。ダニーはその日から、一切食事を摂らなくなってしまう。理由を聞かれても一切答えない。ただ、おなかが空いていない、と言うだけだ。息子はどんどん痩せ細り、死に向かって転げ落ちていく。
19篇は、どれも少しずつ違う。アンソロジストの腕がいいのだと思うが、どこかに少しずつ共通点があって、全部を読むとケッチャムの作家像が浮かび上がるように配慮されている。「箱」とまったく同じ短篇はだから他にないのだが、「歳月」は静謐な雰囲気が似ていると思った。「箱」に描かれているのが別離だとすれば、「歳月」の主題は共に生きることである。静かに静かに、死へと進んでいく物語だ。
「見舞い」はケッチャムにしては珍しいゾンビ小説である。死者がうろつきだすようになり、ウィルの妻ビアトリスも知り合いのゾンビに噛まれてしまう。ビアトリスはデクスター記念病院に入院し、418号室のBベッドに寝かされる。だが、体内に入った毒を完全に消すことはできなかった。ビアトリスが病院からいなくなった後も、ウィルは418号室を訪れ、Bベッドに寝ている患者を見舞い続けるのである。
同じベッドに寝ている患者が誰であろうとずっと見舞い続ける男、というのは極めて短篇的なプロットだ。この着想がゾンビという題材と結びついて、他にない読み心地の物語を作り出している。この「見舞い」と、愛する者を喪う哀しみという点が共通しているのが、「永遠に」である。〈わたし〉と妻のリタは、ニューハンプシャー州ホワイト山地のふもとにある小さな家に住んでいた。リタは骨肉腫を患い、次第に身体の自由を奪われていく。ケッチャムの書く褥瘡、つまり床ずれの描写が精彩でさすがと感心する。愛する人が目の前でだんだん死んでいくという哀しみが描かれる。その点で「見舞い」と似ているのだが、終わり方が違う。「見舞い」はデクレッシェンド、つまり消え入るような終わり方だが、「永遠に」は唐突に幕が下ろされるのである。
本書の特徴は、幕切れが鮮やかな作品が多いことだ。「見舞い」もいいが、「八方ふさがり」にまず感心させられた。サリヴァンという精神科医のところにブルーワーという患者が通ってくる。夫婦関係について悩みを抱えているようなのだが、彼の態度は頑なで、なかなか心の殻を衝き壊すことができない。嫌な予感を覚えたサリヴァンは、おしまいに言わずもがなの忠告をしてしまうのだが、という短い話である。最後まで読んで、あっと驚いた。驚いて最初からまた読み返してしまう。そういう短篇なのである。この喜び、ミステリーファンならわかってもらえるのではないか。
胸が痛くなるような暴力について書かれているので読者を選ぶかもしれないが、「暴虐」の幕切れもいい。油断しているとどういう意味なのか読み間違えてしまいそうなほど、さりげなく書かれている。まったく種類は異なるが「オリヴィア:独白」の幕切れも見事である。女性がある出来事について淡々と語っていくという形式で、こちらの終わり方はミステリーファンにはそれほど受けないかもしれない。世界が引っくり返るというようなものではないからだ。どちらかといえば手紙を出すときの仕草のようである。便箋を封筒に入れ、封をして上から印を押す。最後の一行が、その封緘になっているのである。平明に書かれた一文がそのことで忘れ得ないメッセージとなり、受け手である読者の胸にずっと残る。
実にバリエーションが豊かで、ゾンビ小説があるかと思えば「運のつき」のようなウェスタン・ノヴェルもある。アメリカほら話を思わせる語りでガンマンたちのおしゃべりが綴られていくのだが、これも唐突な終わり方をする。その前に置かれた「二番エリア」は、ある事件が起きるまでをその場に居合わせた複数の視点から書いていくという形式である。阿部和重に「鏖」という中篇がある。私はそれを連想しながら読んだ。訳者あとがきによればケッチャムはこの作品の着想を、ソーントン・ワイルダーの『サン・ルイス・レイ橋』(岩波文庫)から得ているという。『わが町』(ハヤカワ演劇文庫)のソーントン・ワイルダーかよ、と感心させられた。言い忘れたがこの本、訳者あとがきも充実していて、各篇についてより深く知ることができるのでお薦めである。
ホラーでスプラッタでぐちゃぐちゃだからケッチャムは読まないよ、と思っているひとこそ本書は手に取ってもらいたい。知らなかったケッチャムがそこにいるはずだ。ぐちゃぐちゃはぐちゃぐちゃになるかもしれない。ただし、血ではなくて涙で。
(杉江松恋)
『冬の子 ジャック・ケッチャム短篇傑作選 (海外文庫)』
著者:ジャック・ケッチャム,金子 浩
出版社:扶桑社
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