数多くのテレビ番組の司会を務め、「視聴率男」「長寿番組男」として人気を集めたキャスターみのもんたさん(本名御法川法男)が1日未明に死去したことが分かった。80歳。関係者によると、1月中旬に都内の焼き肉店で肉を喉に詰まらせて救急搬送されており、意識不明が続いていたという。葬儀は親族のみの家族葬で執り行われ、お別れの会を開く予定はないという。
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中学生の時、毎日のように文化放送「みのもんたのワイドNo.1」を聞いていた。
ラジオの人気アナウンサーだったみのさんは、1979年(昭54)9月に文化放送を退社、フリーになった。89年(平元)4月に始まった日本テレビ系平日ワイド番組「午後は○○おもいッきりテレビ」のキャスターに就任。当時はフジテレビが、現在は取締役相談役の日枝久社長(当時)指揮下で、82年から93年までの12年連続の視聴率3冠王の真っ最中。フジテレビの昼の人気番組「笑っていいとも!」の独走状態にストップをかけたのが、みのさんの「おもいッきりテレビ」だった。その後、日本テレビが94年から03年まで10年連続3冠王になる原動力となった。
不倫、事件に対して、みのさんは本気で怒った。そしてスタジオの観覧席にいる熟女に対して「お嬢さん」と呼びかけ、若者中心の「笑って−」に対し、主婦層に絶大な人気を誇った。番組内で取り上げられた商品は、その日の夕方にスーパーの店頭から消えるという人気ぶりだった。
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みのさんの女性問題を「思いっきり朝帰り」と写真誌が報じたのは、番組開始から2年たった91年5月だった。当時46歳、男盛りのみのさんは「僕はいいけど、相手の女性のこともあるから」と不倫関係をきっぱりと否定した。それでも神奈川・逗子の自宅に集まった取材陣の前で「午後は○○思いっきりエッチ」の見出しで報じた、日刊スポーツを「うまいねぇ」と笑いながらほめてくれた。番組関係者を通じて「あの見出しをつけたレイアウト担当者を銀座でごちそうしたい」とメッセージをくれた。
世が自由で豪快な時代に、その実力を放送界で大々的に発揮したみのさん。あの世でもアイスペールにドンペリとブランデーをぶち込んだ「もんたスペシャル」を飲んでいるのだろう。ご冥福をお祈りします。【小谷野俊哉】
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