日本の犯罪被害者運動をリードしてきた岡村勲弁護士が死去した。長年刑事裁判の蚊帳の外に置かれていた被害者の法廷参加に道を開き、加害者中心の刑事司法の在り方を大きく変えた原動力は、愛妻を亡くした怒りと悲しみだった。
1997年10月、妻の真苗さん=(当時63)=が突然、刃物で殺害された。代理人を務めていた大手証券会社を逆恨みした男の犯行だった。死にたい気持ちを抑えながら傍聴した男の公判では、裁判所から遺影の持ち込みを拒否され、加害者だったら当然見ることができる公判記録も「権利がない」と閲覧を拒否された。
「この国では、犯罪被害者は人ではないのか」。がくぜんとしたが、妻の死を無駄にしたくないとの思いから、山口県光市母子殺害事件の遺族本村洋さんらと共に2000年、「全国犯罪被害者の会(あすの会)」を立ち上げた。
被害者の刑事裁判参加と、被害回復制度の確立を目指し、国会などに精力的に陳情すると同時に、全国で趣旨に賛同する56万人分の署名を集め、小泉純一郎首相(当時)と面会した。法務省が被害者参加に消極的な姿勢を見せると、制度が定着した欧州に調査に出掛け実態を調査。詳細な報告書を突き付けた。
04年に被害者の権利保護を初めて明記した基本法が成立。長年求めていた凶悪事件の公訴時効廃止も実現し、11年に代表を退いた。「権利が全くない状況からスタートしここまできた。妻に敵を討ったと報告し、安心して身を引ける」。退任のあいさつでは、こう満足そうに振り返った。
あすの会は18年6月、メンバーの高齢化などを理由に解散したが、被害者の生活苦が改善されていないことから、22年3月に新あすの会として再発足。同月開かれた創立大会では「被害者には相談できる人がいない。たらい回しではなく、一元的に寄り添う組織が必要だ」と訴え、「犯罪被害者庁」の設立を国に求めていくとした。