【今週はこれを読め! エンタメ編】前代未聞の短編集『戌井昭人芥川賞落選小説集』

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2025年03月04日 11:40  BOOK STAND

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 戌井昭人氏の小説に出てくるダメな人たちが好きだ。ネジが緩んでいるどころか、二本くらい抜けちゃってるんじゃないかという感じなのである。読んでいると、なぜこのタイミングでその行動を?いやいや、それは違うよね?とツッコミと呆れ笑いが止まらなくなる。

 その戌井氏であるが、なんと5回も芥川賞候補になっているそうだ。芥川賞は年に2回あり、雑誌に掲載された新進作家による小説の中から、毎回5作くらいが候補になる。5回もという作家はそんなにいない。候補作を決める人々の中に、強い思いがあったのかもしれないと思う。

 落選した小説全部が収録されているという前代未聞の書籍である。書き下ろしのエッセイと町田康氏の解説がついて、たった1320円(税込)って!お買い得だ。受賞しなかったからこそ候補作が5編もあるわけで、逆にすごいのかも。読んだことのある小説がほとんどではあるが、買わないわけにはいかない。

 4番目の候補作「すっぽん心中」が、私は一番好きだ。漬物の配送をしている二十代の男・田野は、トラックに乗って信号待ちをしている時に、後ろから追突されてひどいムチ打ちになってしまう。ぶつかってきたBMWを運転していたのは、スタイルの良いモデルの女である。首がもげるほどの衝撃を受けた直後だというのに、田野は救急車を待つ間、彼女の下着のラインが白いスラックスから透けていることにめざとく気が付き、熱心に眺めては良からぬことを考えてしまうのである。まず、この時点で「そんなもん見てる場合か!」と言いたくなるけれど、この後の行動はもう意味不明だ。

 休職してリハビリに通っている時に、主人公はモモという名の宿なしの女(19歳)と親しくなる。グルメ番組にすっぽん料理屋が出ているのを見たモモは、一緒にすっぽんを捕りにいって料理屋に高値で売り、金を稼ごうと言い出すのである。はあ?そんなもの、料理屋が買うわけないじゃん!と叫びたくなった人は私だけではないだろう。田野も、うまくいくはずないとは思うのだが、やたらと生命力の強いモモの勢いに乗せられるようにして、すっぽんがいるという霞ヶ浦に向かう。ムチ打ちで首が曲がっているというのに、いったい何をやっているのか?小説の中のこととは言え、呆れるしかない。この後の展開は「ウゲッ!」と声が出そうになるほど衝撃的なのだが、最後にはなぜかジワーッと心が温まっている。

 読み終えてから、なぜ戌井昭人氏の小説が好きなのかを考えてみた。私も、そこそこネジがバカになった人間という自覚はあるのだが、世間にはできるだけそのことがバレないように、無害な社会人に見えるようにしたいという意識は持っている。戌井氏の小説に出てくる人々は、そういう考えすらもなさそうなのだ。いや、もしかしたらちゃんとしようと思っているのに、なぜか逆の方向に進んでしまうのかも。困った人たちだけど、その剥き出しな感じの生き方の内側には、人として大切な何かをちゃんと持っていると思うのだ。滑稽でも愚かでも、いいのではないか。私も彼らも、まあそれなりに生きて行けばいいんじゃないか。戌井氏の小説を読むと、素直にそんなふうに思えるのかもしれない。

 5回落選という稀有な経験とそれぞれの作品についての解説が書かれたあとがき(?)は、絶妙な自虐ぶりが愉快だ。購入を迷っている人は、店頭でぜひパラパラと読んでみてほしい。昨今仕事が少なくなり、一昨年は税金、電気代、水道代の支払いがやばくなったりしたと著者は書いている。それは切ない。たくさんの人に、この本を買ってほしい。そして、戌井氏には、公共料金の心配などせずに、小説を書き続けていただきたいと思う。

 ちなみに、私が一番好きな戌井昭人作品は、『壺の中にはなにもない』(NHK出版)という長編小説である。読んでいると笑いが止まらなくなる愉快な小説なので、ぜひこちらも読んでいただきたい。余計なことかもしれませんが、刊行から四年も経っていることだし、そろそろ文庫化っていうのもいいんじゃないでしょうか。関係者の皆様、ぜひご検討ください。

(高頭佐和子)


『戌井昭人 芥川賞落選小説集 (ちくま文庫い-107-1)』
著者:戌井 昭人
出版社:筑摩書房
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