2015年2月26日、享年58という若さで亡くなった作家・火坂雅志。その没後10年を記念して、2011年に出版された『上杉かぶき衆』(実業之日本社文庫)の新装版が登場した。金地院崇伝を主人公とした『黒衣の宰相』、藤堂高虎を主人公とした『虎の城』、真田幸隆・昌幸・幸村を描いた『真田三代』など、数多くの歴史小説を執筆している火坂だが、やはりその代表作であり最も多くの人に読まれているのは、2006年に発表され、2009年にはNHK大河ドラマにもなった『天地人』だろう。
上杉謙信のあとを継ぎ、越後・上杉家の当主となった上杉景勝を、表に裏に支え続けた知将・直江兼続の生涯を描いた『天地人』。今でこそ、「愛」の字を前立てにあしらった兜と共に(あるいは、大河ドラマで直江兼続を演じた妻夫木聡のイメージと共に)多くの人に親しまれている兼続だが、『天地人』が書かれる以前は、あまり主人公として描かれることのない人物だったようだ(兼続が徳川家康に送った、いわゆる「直江状」は有名だけど)。その意味で、火坂雅志の功績は、依然として大きいものがあると言えるだろう。今回、新装版が出版された『上杉かぶき衆』は、そんな上杉景勝・直江兼続主従のもとに集まった人々を、連作短編のように描き出した、『天地人』の外伝的な一冊だ。
本作で描かれる人物は、前田慶次郎、大国実頼、上杉景虎、景勝の妻、上泉泰綱、本多政重、水原親徳の7人だ。前田慶次郎については、改めて説明は不要だろう。隆慶一郎の小説を原作とする原哲夫の漫画『花の慶次』などで知られる稀代の「かぶき者」だ。しかし、その彼が最晩年、上杉家に仕えていたことは、あまり知られていないかもしれない。彼はなぜ、最後の主君として上杉景勝を選んだのか。大国実頼は、直江兼続の実弟だ。少年時代より、眉目秀麗かつ聡明な兄の陰で過ごしてきた彼は、その後どんな大胆な行動に打って出たのか。そして、北条氏康の七男でありながら謙信の養子となり、「御舘の乱」で景勝と後継を争った景虎。「剣聖」として名高い上泉信綱の孫であり、新陰流の使い手であった剣豪・泰綱。さらには、本多正信の次男でありながら兼続の養子となった本多政重など、数奇な運命の導きによって上杉家と関わるようになった彼/彼女たちは、謙信の薫陶を受けた上杉景勝・直江兼続主従に何を見て、何を感じたのだろうか。
本作の「あとがき」で火坂自身が書いているように、彼にとって本作のテーマは、『天地人』では描き切れなかった人物たちに焦点を当て、改めて描き直すこと以上に、「かぶき者とは何なのか?」という、より大きな問い掛けであったという。それは、前田慶次郎はもちろん、上杉家きってのかぶき者であったという水原親徳など、装束の派手さや行動の豪快さだけでは、どうも説明しきれないようだ。曰く、「かぶき者」とは「空気は読めてもそれに迎合しなかった人間たち」だったのではないか。そんな彼らを、磁石のように引き付けた上杉家にあったものとは何なのか。それは、下剋上の戦国時代において、ひときわ異彩を放っている上杉謙信の「義」の精神であり、それを受け継ぐ景勝・兼続の「矜持」だったのではないか。彼はそう推測するのだった。
かつて「利を見て義を聞かざる世の中に、利を捨て義を取る人」と評された直江兼続。思えば、『天地人』が大河ドラマ化された頃、日本社会は「利」がすべてに優先されるバブル経済が崩壊したあと、のちに「失われた30年」と呼ばれる時期の真っ只中にあった。だからこそ、直江兼続の「義」が召喚されたのだろう。それから約15年の月日が流れた今、そして火坂雅志がこの世を去ってから10年が経った今、果たして何が変わっただろうか。広く世の中を見渡して、「義」を貫くことで人々を惹きつける人物が、どれだけいるだろうか。無論、豊臣秀吉によって先祖代々の地・越後から会津へと移封され、その後、関ヶ原の戦いのあと、徳川家康によって会津120万石から出羽30万石へと大幅に減移封されるなど、天下人の差配に翻弄された上杉家の道のりは、決して楽なものではなかった。それはある意味、経済的にも人口的にも次第に先細る、現在の日本のようですらある。けれども彼らには、出自の異なるさまざまな人々を繋ぎとめる「義」の精神があった。その意味で、上杉家に関する火坂の一連の小説は、今でもなお――否、むしろ今だからこそ、さらに多くのことを感じ取れる小説になっているのではないだろうか。
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