『睡眠の起源 (講談社現代新書 2760)』金谷 啓之 講談社 「人間はなぜ毎日眠るのか?」と疑問に感じたことはあるだろうか? 忙しい日々を送る中で睡眠はないがしろにされがちだが、それにもかかわらず私たちが生きていくうえで寝ることは必要不可欠だ。今回紹介する『睡眠の起源』(講談社)を読めば、生き物にとって"睡眠"とはどのような行為なのか理解できるかもしれない。
同書の著者である金谷啓之氏は、東京大学の大学院に所属する研究者だ。幼少期から生き物の生態に興味をもち、高校時代には数多くの科学コンテストで入賞。2024年には"動物学の全分野でユニークな研究を展開する研究者"に送られる、「日本動物学会成茂動物科学振興賞」を受賞するなど活躍を続けている。
金谷氏が特に注目したのが、クラゲやイソギンチャクの仲間である"ヒドラ"に関する研究。ヒドラは2つの細胞の層からなる体をもつ、脳のない生き物だ。あるとき金谷氏は観察をとおして、ヒドラも時折眠っているかのように休んでいることに気づいた。そして研究の結果、「脳を持たないヒドラという生き物であっても睡眠状態になる」ということを発見したのだ。
「睡眠は、中枢神経系である脳で起こる現象に違いない――かつてそう考えられてきたが、クラゲやヒドラの研究によって、必ずしもそうではないことが分かってきた。脳をもたない生き物にだって、起きているときと眠っているときがある」(同書より)
眠りに必ずしも脳が必要ではないとすると、他に体のどこが睡眠を引き起こしているのか? ここで興味深いのは、ヒドラの神経系が人間の腸管神経系のつくりとよく似ている点だ。
「ヒドラの体のつくりを思い出してみたい。筒状の胴体に触手をつけた体の構造をしている。胴体の部分は中が空洞になっていて、口から餌が放り込まれれば消化液を分泌する。そして、上皮細胞から栄養分を吸収するのだ。ヒドラには肛門にあたる部分はなく、口から排泄物を吐き出す。まるで、体全体が消化管のようである。
消化管のような体のつくりに、よく似た神経ネットワーク――ヒドラは"腸に触手をくっつけた生き物"と表現することができるかもしれない。であれば、こうした問いを立ててもいいかもしれない。ヒドラが眠るのならば、私たちの腸も眠るのだろうか――」(同書より)
近年では、脳以外の末梢組織が睡眠に影響するしくみも解明されはじめている。人間にとって"第二の脳"と呼ばれる腸にも、眠りの起源があるのかもしれない。
ちなみに金谷氏いわく、人間は1日のうちおよそ8時間を睡眠にあてるという。つまり私たちは、1日の3分の1程度を寝て過ごしていることになる。90歳まで生きたと仮定すると、一生のうち30年ほどは眠っているのだ。
歴史的な発明家であるトーマス・エジソン氏はかつて、「睡眠は無駄な時間である。睡眠時間を減らせば、人類の能力は増大するだろう」と説いた。では実際に、人間は睡眠をとらないとどうなるのか。この問いに対し体を張った実験を行ったのが、当時アメリカの高校生だったランディ・ガードナー氏だ。
ランディ氏は1963年12月28日から、11日間にわたり一切眠らない"断眠実験"を実施した。すると2日目の時点で目の焦点を合わせることが難しくなり、3日目には情緒不安定で吐き気も催しはじめる。4日目になると幻覚や妄想のような症状が現れ、1週間が経過する頃にはまとまった会話をすることもままならなくなった。
実験を終えた直後の彼には軽い記憶障害と睡眠サイクルの乱れがみられたものの、10日後にはほぼ正常な睡眠がとれるようになったという。加えて定期的に行った検査でも、心身ともに深刻な異常は認められていない。
「論文に記録されている内容はそこまでだ。だが、この話には続きがある。実験から四〇年以上経ってインタビューに応じた彼は、後年、深刻な不眠症になったことを明かした。毎晩眠ることができず、『もう眠ることを諦めた』と語っている。もちろん、あの断眠実験との因果関係は定かではないのだが、非常に危険な挑戦だったことは間違いない」(同書より)
ランディ氏の一件からもわかる通り、眠りを断つという行為は全身を異常状態へと導く。金谷氏は睡眠不足が生き物のホメオスタシス(=ある一定の状態を保とうとするしくみ)を乱すことでさまざまな不調が引き起こされるとした。
「睡眠は、生命のメンテナンスに、とても大切な役割を果たしているのだろう」(同書より)
「生物は眠っている方がデフォルトで、起きている方が特別である」と主張した研究者もいるほど、奥深い性質を持つ"睡眠"の世界。「人間はなぜ毎日眠るのか?」という問いにこそ、生き物としての人間の本質が隠されているのかもしれない。
『睡眠の起源 (講談社現代新書 2760)』
著者:金谷 啓之
出版社:講談社
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