
【写真】脚本は『きのう何食べた?』『おかえりモネ』などの安達奈緒子が担当
大河ドラマ第66作となる本作は、幕末を舞台に、忘れられた歴史の“敗者”=幕臣の知られざる活躍を描くエンターテインメント。幕府を倒した側ではなく、幕臣の側から幕末史を描く。
“時代遅れな江戸幕府が明治維新で倒れ、日本はようやく近代を迎えた”という歴史観は、もはや過去のもの。近年の研究では、日本の近代は既に幕末から始まっていたことが明らかになっている。司馬遼太郎が勝海舟と並べて「明治の父」と呼んだ人物、それが小栗忠順だ。
幕末の日本は、現代と本当によく似ていた。グローバル経済に巻き込まれ、関税率の交渉に悩まされ、物価高と格差が人々の生活を直撃。またフェイクも含めた情報が拡散されて誰もが世相を批評するようになり、社会の分断が深刻化した。さらに災害やテロの脅威があり、大国のパワーゲームによる戦争の危機がすぐそこに…。あすどうなるか分からない不確実な時代だった。そんな中、小栗は国の独立と社会の安定を守ろうと、近代化政策を推し進めた。
このドラマは、小栗が国内外の諸勢力と繰り広げる外交・情報戦にスポットを当てる。次々と起こる幕末の事件の裏で起きていた、信頼と裏切りが交錯するスリリングで熱いドラマ。そこでは、人間対人間の真心と腹芸、そして情報が、一寸先の運命を左右する。それはライバルの勝にとっても同じだった。
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万延元(1860)年、遣米使節として渡米し西洋文明を体感。帰国後要職を歴任して軍制改革や近代的工場(造船・製鉄所)の建設、日本初の株式会社設立などさまざまな改革を推進する。特に、武士でありながら経済に明るい小栗は幕府にとって得難い人材で、何度も勘定奉行を務めた。空気を読まず上司に直言しては辞職し、辞めては呼び戻されること70回という伝説も。
明治の政治家・大隈重信は、明治政府の近代化政策のほとんどは小栗の模倣だったと語ったという。江戸幕府終末期の勘定奉行として、その名は徳川埋蔵金伝説にも登場する。2027年は小栗生誕200年となる。
脚本は安達奈緒子が担当。安達は「小栗は持っている人です。身分、能力、機会に恵まれた変わり者の天才となれば鼻につく人物かもしれません。実際、無血開城の立役者、勝海舟は小栗を疎んじました。しかし小栗は官吏であり、いわゆるリーダーではありません。公の人です。そして小栗は持っている人だからこそ《個》として自由に生きることを自分には許さなかった。つねに公がなすべきことを考え、変容せざるをえない国を少しでも良くしようと邁進する。その高潔さと頑固さは清々しいほどで、混乱の世にあって希望たりえる人だったと思います」とコメントした。
大河ドラマ『逆賊の幕臣』は、NHK総合ほかにて2027年1月より放送予定。
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【コメント全文】
作:安達奈緒子
<執筆によせて>
《幕末》を書く機会をいただきました。幸甚とはまさにこのことです。
あまたの人が心惹かれ著述した日本の大転換期。史実も人物もあまりに鮮烈で魅力的なので、ひたすら実直に描こうと肝に銘じます。ただ─。
「誰の目で見るか、どこまで広く見るか」
人は見たいものだけを見る、とは昨今よく耳にします。勝者が歴史を作るとも。だとしたら敗者とされた者の目から見た情勢はそれなりに様相が変わるはずです。また一国の政変に焦点を絞らず画角を広くとれば、大洋大陸を隔てた遠い国々の複雑にからみあう意図が見えてくる。はたして。
今見えている出来事は本当に「今見えているままなのだろうか?」
小栗忠順という幕臣の目を通して見る《幕末》には強烈に《今》を感じます。
身分制を打破し、個の力を存分に発揮できる社会は繁栄をもたらす。けれど行き過ぎれば能力主義という新たな身分制になりはしないか。こぼれ落ちる者たちの存在がかき消されてはいないか。《公(おおやけ)》は本当に公共のために力を尽くしているか。世界規模で同時多発的に何かが起きている、うねる潮流の正体が見えない、止められない。
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小栗は持っている人です。身分、能力、機会に恵まれた変わり者の天才となれば鼻につく人物かもしれません。実際、無血開城の立役者、勝海舟は小栗を疎んじました。しかし小栗は官吏であり、いわゆるリーダーではありません。公の人です。そして小栗は持っている人だからこそ《個》として自由に生きることを自分には許さなかった。つねに公がなすべきことを考え、変容せざるをえない国を少しでも良くしようと邁進する。その高潔さと頑固さは清々しいほどで、混乱の世にあって希望たりえる人だったと思います。
松坂桃李さんはまさにそんな高潔さをまとう方です。小栗がどんな人だったかを想像するとき、勝手ながら姿がピタリと重なります。極限まで苦闘する幕臣がスッと実体をもって立ち上がってくる、顔が見えてくる、するとやはり思うのです。
「なぜ彼は処刑されなければならなかったのか」
小栗を知れば知るほど彼の死が悔しい。その死には謎があります。これを解明していく物語はこの動乱の時代をさらに心惹かれるものにしてくれるはずです。
《幕末》を書くことを許されたのは《今》だったからだと考えます。がんばります。
制作統括 勝田 夏子
「……オグリって、誰?」そう思った方が多いと思います。恥ずかしながら私も最近まで知りませんでした。しかし、知れば知るほど「今こそもっと知ってほしい!」と思わずにいられません。
今、あらゆる価値観が音を立てて崩れ、分断と暴力が世界を覆っています。信じられないようなことが次々に起こるのを見ていると、文明の大きな変わり目に遭遇しているんだなと思います。幕末の人たちもこんな気持ちだったのかもしれません。そんなとき私は、小栗のことを考えるのです。
鉄道を見れば、莫大ばくだいな経費を調達する仕組みに興味を持ち、巨大な製鉄所を見れば、まず小さなネジの大量生産から考える。実にシャープ、かつ地に足のついた緻密さです。小栗は、時代の激変で混乱する社会を着実に明日、そして未来へとつなげるには何が必要なのか、至って現実的に考え抜きました。大言壮語はなく、終始一貫リアリスト。
そして、いい意味でオタク。パンデミックの時とか頼りになりそうで、現代にこそ必要なヒーローのカッコよさを感じます。一方、数字に強いが空気は読めないという不器用さも人間的です。案外それを気にしてたりしたら面白いな、などと想像が膨らみます。
人は、今あるものを壊せば新しい何かが始まると期待しがちですが、ただ壊すだけでは社会は持続できません。小栗自身は「逆賊」の汚名を着せられ葬られましたが、彼が敷いたレールやまいた種は、日本の近代の礎となりました。
そんな彼の物語を、当代きっての実力派・安達奈緒子さんの骨太な脚本と、全幅の信頼がおける松坂桃李さんの品格あるお芝居とで、スリリングかつ胸熱にお届けできるのは望外の喜びです。
2027年は「逆賊の幕臣」、皆さまどうぞご期待ください。