『べらぼう』© NHK 横浜流星主演の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(NHK総合)を見ていて思うことがある。宮沢氷魚の演技が最大限引き出される瞬間はいつなのだろうかと。
彼の演技最大の魅力は、目そのものが演技化することであり、その瞳の美しい色にある。それは父ゆずりの固有の色合いなのである。
宮沢氷魚の瞳が大河ドラマで色づく瞬間が早く見たい。男性俳優の演技を独自視点で分析するコラムニスト・加賀谷健が解説する。
◆目そのものが演技化
俳優の演技をほめるとき、よく目の演技に着目することがある。この間、舘ひろしが往年の名作映画を紹介する番組『シネマラウンジ』(BS10)で、アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』(1960年)が取り上げられていて、超クロースアップで写るドロンの目の演技をフィーチャーしていた。
この目があれば、世界をとれるという意味合いのコメントを舘がしていたが、それは目の演技というより、目そのものが演技化しているのではないかと筆者は思った。
それで思い出したのが、宮沢氷魚のことである。宮沢氷魚こそは、その琥珀色の瞳をたたえた目がイコール演技に自然と結びついてしまうような、稀有な才能の俳優だからである。
◆琥珀色に輝く父ゆずりの瞳の色
その才能はひとまず持って生まれたものであることを確認しておかなければならない。宮沢氷魚の父は、元「THE BOOM」のボーカル、宮沢和史である。宮沢和史もまた琥珀色に輝く瞳の持ち主なのである。
これは単純な事実として、宮沢氷魚の美しい瞳の色は、父ゆずり、父からのプレゼントだといえる。プレゼントは英単語として贈り物の他に、現在を意味する。
つまり、贈り物である瞳の色を俳優として取り込む(演技化)。その上で贈り物を才能に磨きあげる。それが今現在、あれだけの輝きを放つ瞳の演技になっているのである。だから宮沢氷魚は決して目の演技をしているわけではない。そこからさらに踏み込んだ目そのものの演技なのだ。
◆いい加減の光が条件
ただし、瞳の色は常にはっきり確認できるわけでもない。条件がある。それは光である。いい加減の光が目に差し込んで初めてあの美しい瞳の色が、誰の目にも明らかになる。
宮沢氷魚が球団の新人スカウトを演じた『ドラフトキング』(WOWOW、2023年)に条件がそろった瞬間がある。宮沢演じる神木良輔が強豪校の視察にくる場面。グラウンドの陽光が温かな光線として神木の目に差し込み、宮沢の瞳の琥珀色があざやかに浮かぶ。
見逃してしまいそうになる場面だが、これは宮沢氷魚という俳優の才能を最大限引き出した瞬間のひとつだと思う。鈴木亮平とゲイカップルを演じた映画『エゴイスト』(2023年)でもそうだった。鈴木演じる主人公の部屋。昼の室内でたっぷり光を吸収する宮沢の瞳が微妙に色づき、その色合いが見え隠れする官能性があった。光や照明の加減と演出によって、目そのものの演技は、微細に変化する。
◆大河ドラマで色づく瞬間を早く見たい
横浜流星主演の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(以下、『べらぼう』)に出演する宮沢は逆に瞳の色の変化を温存した状態にある。渡辺謙演じる時の老中・田沼意次の嫡男・田沼意知として第1回冒頭場面から初登場する。父とともに馬上にある意知は、後ろ姿が際立つばかり。
意知が次に登場するのは、横浜演じる主人公・蔦屋重三郎が田沼邸に直訴にくる場面(この場面でも最初は後ろ姿が目立つ)。10代将軍・徳川家治(眞島秀和)に重用され、江戸の貨幣経済を活性化させる意次は紀州藩の足軽生まれで、旗本から異例の出世を果たした人物。そのため身分にとらわれず、市井の意見にも耳を貸した。
息子とてその姿勢は同じ。父の元に面白い町人がやってきたと思う意知は、庭先から一部始終を観察する。意次と重三郎との激論あと、庭先にいる意知が微笑むワンショットが挿入される。
さわやかで痛快なショットだが、昼の外光を浴びてもまだ琥珀色の瞳ははっきり見えない。宮沢の目そのものの演技をいつまで温存するのか。大河ドラマでその瞳が色づく瞬間を早く見たい。
<文/加賀谷健>
【加賀谷健】
コラムニスト / アジア映画配給・宣伝プロデューサー / クラシック音楽監修「イケメン研究」をテーマにコラムを多数執筆。 CMや映画のクラシック音楽監修、 ドラマ脚本のプロットライター他、2025年からアジア映画配給と宣伝プロデュース。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業 X:@1895cu